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自堕落に生きると決めた貴族、何故か今日も忙しい ~高級自堕落貴族を目指す~  作者: 鏑右いなだ


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第2話 自堕落な赤ん坊

 青空の下、開け放たれたガラス窓から心地よい風が流れ込んでくる。


 カーテンがゆらりと揺れた。それだけのことなのになぜかじっと眺めていたくなる。

 

 (……いい風だ)

 

 赤ん坊用の小さなベッドに収まりながら、ミットリオはそんなことを思っていた。


 前世の記憶がある。戦場の砂埃と血の匂いを鼻が覚えている。

 だからこそ、この風がこの青空がたまらなく尊く感じるのだ。

 

 「……う」

 

 思わず声が出たのは風が少し強くなったせいだ。

 本人の意図ではない。赤ん坊の体というのは、こういう細かいところで裏切ってくるのだ。

 赤ん坊になってから、何度も裏切られている。

 

 「はいはい。ミットリオどうしたの? 何かあった?」


 ベッドを覗き込んだ女性は、そのまま慣れた手つきでミットリオを抱き上げた。

 口元を優しく拭いゆらゆらと体を揺らす。

 そのリズムは不思議と心地よく、つい身を任せてしまいたくなる。

 

(……この母上は抱き方が上手い)

 

 前世では誰かに抱かれた記憶などもうずっとなかった。 

 だから最初はひどく戸惑ったのだが、今ではもう観念して全身を預けるようにしている。


「ねえねえねえっ! ミトは起きてるっ!?」


 扉が勢い良く開いて一人の少女が部屋に入ってくる。


「シュトラっ、部屋に入るときは静かに入ってきなさいと何度も言っているでしょうっ?。貴方は女の子なんですからもっとお淑やかに動きなさいっ。それと赤ん坊がいるのだから乱暴に扉を開けるのはよしなさいっ」


「……ごめんなさい、母さん」


 しょんぼりとして肩を落とすシュトラ。


「全く、ミトもびっくりして泣いて…………、…………泣かないわね。どうしてかしら?」


「ほんとだーっ、静かにしてるねっ」


 二人が不思議そうに首を傾ける中、ミットリオは内心で静かに息をついた。

 

 (扉が開く音くらいで泣くか。こちとら戦場の砲声を知っているんだぞ。あれがうるさいわけがない)

 

 などとは当然言えない。

 

 シュトラがミットリオのほっぺをそっと触る。もちもちと指が沈む感触に少女の顔がほころんだ。


「……あう」


 ミットリオは自分の頬を無遠慮に触られているとゆうのに、くすぐったくて笑ったり、不快だからぐずったり何て事をせず、黙ってそれを受け入れていた。


「……お母さん、ミトって泣いたりしないね」


「そうね、泣いているのをあまり見ないし、笑っているのもそう見ないわね。いつもじっと私達の顔を見ているのよね」


 二人は、あまり表情を変えないミットリオの顔を見て、不思議そうに頭を捻っていたが、その内、赤ん坊の姿が可愛くなり、二人ともミットリオのほっぺをフニフニと触る。


 (……またか)


 溜め息をつきたかった。

 しかしついたとしても、肺が小さすぎて意味を成さないだろう。


 コンコン。

 誰かが部屋の扉を優しくノックする。


「シュトラ代わりに出てちょうだい」


「はーい」


 自身の手が塞がっているので、シュトラに代わりに部屋の扉を開けて貰うようお願いする。

 

 母親のお願いを快く受け入れたシュトラは、だだっと扉に向かって駆け出す。

 

 その姿を見て母親は溜息を吐いた。


 (……淑女への道は遠いわね)


 ボソッと呟く母親の一言に、ミットリオは心の中で同意をした。


「お父さんっ!」


「やあシュトラ。ここにいたのか」


「うんっ」


 現れたのはスラッとした男性だった。

 シュトラに父親としての名で呼ばれると、顔を綻ばせながらシュトラの頭を優しく撫でていた。


「シトレア、ミットリオの様子はどうだい?」


「ええ、とても静かにお利口にしているわアウドール」


「それは良かった」


 アウドールと呼ばれた男性は、自身の妻の言葉に安心すると、シュトラの時のように嬉しそうに顔を綻ばせる。

 そして妻のシトレアは、そんな夫の笑顔を見て心が幸せな気持ちに包まれる。

 二人の間に、説明のいらない空気が流れる。


 (……見なかったことにしよう)

  

 赤ん坊のミットリオは、その時空気を処理する精神的余裕がないので、知らないふりをすることにした。

  

「僕にもミットリオを抱かせておくれ」


「はいどうぞ」


 シトレアの腕からミットリオを大事そうに預かると、アウドールは自身の腕の中で、ミットリオを優しく抱いてあげた。

 抱かれているミットリオは、またしても泣きもせず笑いもせずに黙って父親の顔を見上げている。


「……ミトは大人しいね」


「……そうなのよ。シュトラの時はもっと手が掛かったというのに、ミットリオがこんなに大人しいと拍子抜けしちゃうのよね」


 二人が心配そうに顔を寄せ合う。

 問題があるのではないかとそういう顔だ。

 

 (……ご心配はありがたいが俺は至って健康だ。ただ、泣く理由がないだけなのだ)

 

 腹が満たされているし寒くもない。常に誰かがそばにいる。

 これで泣く方が、かつての自分には理解できなかっただろう。

 

「私はうるさかったのー?」


 その質問にアウドールとシトレアが、一瞬だけ視線を交わした。 

 

「ん? いやそうじゃなくてシュトラはねもっと可愛い赤ん坊だったって事さ」


「そうよ。シュトラもミットリオとは違った可愛さがあったわよ」


「んふ」


 両親は上手く誤魔化しながら、娘の頭を同時に撫でる。

 二人同時に頭を撫でられたシュトラは、嬉しかったのか口から謎な声が漏れていた。


(……幸せそうだ)

 

 ミットリオはそれを静かに見ていた。

 

「父さんここにいたの?」


「やあチェルス、どうしたんだい?」


「門の前に商人の方が来てて、父さんを呼んでたよ」


「そうかい、それはありがとう。すぐに行くよ」


「はい」


「またねミットリオ」


 アウドールがミットリオをシトレアに預ける。

 名残惜しそうにミットリオの額を撫でてから、妻の頬に軽く口付けして部屋を出た。

 

 (……本当に仲がいい)

 

 前世にこういう光景があったかどうか。

 ミットリオは記憶を探ってみたが、出てくるのは剣と泥と仲間の怒声ばかりだった。

 

 アウドールと入れ替わりでチェルスが部屋の中に残る。


「見て見て兄さんっ、ミトってばねあまり泣いたりしないんだよっ?」


「そうなの母さん?」


「そうねぇ、二人と比べるとゆうのならばあまり泣いてないわね。とゆうよりも普通の赤ん坊よりも泣かない気がするわね」


「あたしと兄さんは泣いてたんだってっ!」


「もう僕は覚えてないよ、それに赤ちゃんは普通泣くものだろう? 僕らがうるさかったわけじゃないよ」


「ふふっ。さっきも言ったけど二人とも元気な可愛い赤ん坊だったわよ」


 母親の素直な言葉を聞いて、チェルスは照れた反応を見せて、シュトラはニコーッと笑顔になっていた。


「ミトのほっぺは気持ちいいね」


 照れ隠しで思わず弟の頬を触ったチェルスだったが、その頬がかなり気持ち良かったので、その感触に心を捕らわれてしまう。

 押すと戻ってくる弾力に、少年の目は丸くなる。


「そうよね、ミットリオのほっぺは柔らかくて気持ちいいのよね」


「あたしも触るっ」


 (……あっ、これは)


 三人の手が一斉に、ミットリオのほっぺをフニフニする。


「えあっ!」


 さすがに、それは。

 

 (……いや多いと思う)


「あっ、ごめんねミットリオっ」


「沢山触られるのは流石に嫌だよね……、ごめんねミットリオ」


「柔らかーいっ」


 チェルスとシトレアが謝る。だがシュトラだけがまだ触っている。

 

 (聞いてないな、この姉は)

 

 ミットリオはもはや怒る気も起きなかった。これはもうこの家の様式美だと思うことにした。

 

「ミットリオが嫌がっているからやめましょう。それよりもチェルスもシュトラもそろそろ学問の時間でしょ? デフィーが来る前に準備した方が良いのではないの?」


 シトレアの言葉にチェルスが素直に立ち上がる。


「そうだね、ほらシュトラ、デフィーが来る前に早く準備しとこうよ」


「ちょっと待って兄さんっ、もうちょっとだけミトの顔を見ておくのっ」


 母親の提言にチェルスは素直に従い、勉強の準備をするために部屋に戻ろうとするが、シュトラはまだ赤ん坊の弟を見ていたいのか、赤ちゃん専用のベッドに張り付いている。

 

「ほらほら二人とも、早く行きなさい。デフィーが来ちゃうでしょ?」


「ほら行くよシュトラ」


「あ~ん、またねミトっ」


 半ば引きずられるようにして、シュトラが部屋から出ていく。

 廊下に消えていく賑やかな声を聞きながら、シトレアがくすりと笑った。


「うあっ」


 気付けば自分の手が上がっていた。

 赤ん坊の体は本当に勝手な事をするものだ。


「あらミットリオ、お兄ちゃんとお姉ちゃんにバイバイしたの?」


 シトレアが目を輝かせる。

 

 (……してない。断じてしていない。これは筋肉の反射だ)

 

 しかしシトレアはすでに「息子の初めての意思表示」として記憶に刻んだらしく、感激した様子でミットリオのほっぺを両手でフニフニし始めた。


 (……また触るんですか……)


 ミットリオは諦めの境地でされるがままになる。

 

 貴族の家に転生した高橋、改めミットリオ・ジュダレームが、この世界に来て気づいたことが一つある。

 

 前世で血と泥の中を生きてきた自分が、今最も恐れているもの。


 それは戦でも病でも飢えでもない。

 ほっぺを三人同時に触られることだ。

 もっとも、それ以外はおおむね最高だった。


 腹は満たされる。眠い時に眠れる。誰も死なない一日が続く。


 外から流れ込む風は、今日も変わらず心地よい。

 

 (……まあ、いい人生だ。今のところはね)

 

 ベッドに戻されてフワフワの毛布を掛けられて、ミットリオはゆっくりと目を閉じた。

 次に目が覚めた時も、きっとこの風は吹いている。


 そして誰かがまたほっぺを触りに来る。

 それでも悪くない、とミットリオは思いながら静かに眠りに落ちた。







 



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 *こちらの作品は、カクヨム様、アルファポリス様でも投稿されています。

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