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自堕落に生きると決めた貴族、何故か今日も忙しい ~高級自堕落貴族を目指す~  作者: 鏑右いなだ


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第1話 俺は自堕落な生活を送る

 ……空が紅い。


 ああ、綺麗だなと思った。

 それが、戦場で死んだ俺の最後の感想だった。


 爆撃の衝撃で体がぐわりと浮いた。

 視界がぐるんと傾く。

 

 ヒュッと風を切る音の後、どんっ、と腹の底を殴られたような感覚が襲う。

 土煙、硝煙、怒号、血の匂い。

 どれも肺に入る前に、すうっと意識が遠のいていった。

 

 仲間の声が聞こえた気がした。

 だが、聞こえただけだ。応える時間はもう残っていなかった。

 ただ、落ちながら見上げた空が、やけに鮮やかな紅色をしていたのは分かった。

 夕焼けか、それとも何かが燃える火の色か。

 ……んなの、どちらでもいい。

 

 二十年、血と泥にまみれて戦場を這いずってきて、最後に見たのがこの色なら、案外悪くない。

 

 ……ああ、綺麗だな。

 悲鳴も上げず、神に縋りもせず、俺はそう思いながら死んだ。


    


「え~と高橋君と言ったかな?」


 眩しかった。

 暗い場所から急に引っ張り出されたみたいに、白い光だけが目一杯に広がっている。

 目が開いているのか閉じているのかも分からない。

 遠くで声がしていた。

 人の声のような機械音のような、水の中で聞くみたいな妙な響きだった。


 体を起こそうとしたが力が入らない。

 というより、動かすべき手足そのものが存在していなかった。


 ……何だこれは……。


「うん?」


 ……体がない。


「いやちゃんとあるよ」


 俺は口に出していないぞ。なのに返事が来ている。


 ……どこにだ。


「魂としてそこに」


 ……魂て。


「具体的には少し違うかもしれないけど、ちゃんとあるよ」


 言葉が出なかった。

 体がないのに言葉が出ないとはどういう状態なのかよく分からないが、魂がそういうことになっているらしい。


 光に目が慣れてくると、声の主の姿が見えてきた。

 書類をめくりながら、こちらを見もしない女だった。

 そこで女がようやく顔を上げた。

 

 整った顔だった。

 年齢はよく分からない。


 三十にも見えるし、三百にも見える。

 ただ纏っている空気が、地球の理屈とは別のところにある感じがした。

 手元の書類を捲る速度からして、忙しいのは本当らしい。

 俺が死んだことにさほど感慨がないのも、声の温度から滲み出ていた。


「……うん? 聞いているのかな?」


 女は俺の反応が鈍いと感じたのか、手を止めてこちらを見てくる。

 だが俺は女の質問どころではなかった。この状況を把握するだけで、頭が精一杯だ。


「うーんそうか、まだ混乱しているのかな。無理もないか、ここに来てまだ数分しか経っていないからね」


 …………何のことだ? この女は何を言っている?


「よーしよし、ようやく意識がこちらに追い付いてきたな。良いよー良い傾向だよー」


 女は、オホンッと一つ咳払いをして口を開いた。


「説明するとしよう。高橋君、君はね死んじゃったんだよ」


 それは……、……何となく知っている。


「爆撃で死んだのも知っているかい?」


 ……それも知っている。……最後に見た景色がそれだった。


「仲間は半数が死んで、戦争はまだ続いてる」


 ……それは、あまり知りたくなかった。


「ごめんね」


 女は謝るが、全然ごめんと思っていない声だった。

 

 本当は、仲間がどうなったかを聞こうとしていた。

 それを先に言われた上に、謝罪の形だけ貰った。

 同情の欠片もないさっぱりした物言いだったが、こちらもそれほど崩れなかった。


 二十年も戦場にいれば、悲報は重さではなく数で来るものだと体が覚えてしまっている。

 もっとも、自分の死後の話を聞かされるのは、さすがに初めてだったが。


「で、ここからが本題。唐突にだけど君は今運命の岐路に立たされている」


 ……あ?


「後が詰まってるんで、さっさと決めてほしいんだよね」


 ……なにを。


「現代で普通に生まれ直すか、異世界で生まれ直すか」


 ……は?


「どっちかを今すぐ」


 ……ちょっと待て、急すぎないか。


「人生の決断ってそういうもんだよね」


 ……俺まだ死んだばっかりなんだが。


「知ってる」


 さっきの俺の台詞を返された。


 女は右手に小さな地球、左手に見たことのない惑星を出す。

 どちらも手のひらに乗るくらいの大きさで、柔らかくそれでいて力強く光っていた。

 

 それを俺の目の前、というか魂の前に無造作に突きつけてくる。

 背後では、俺の人生で見たこと経験したことが、映画のように次々と流れていく。


「君の人生は素晴らしかったがそれと同時に多数の悲劇にも出会っている。そこで君という魂に興味の湧いた私が、君の魂を拾ってあげたのだ」


 女はコップで水を掬うみたいに、大袈裟な身振りで「拾ってあげた」を見せてくれた。


「君に選択肢を与えよう。現代に生を受け普通の生活を送るか。異世界に産まれ別の人生を送るか。好きな方を選びなさい」


 ……ちょっと待て、……ちょっと待ってくれよ。


「待てない。時間がないんだ」


 理解が追い付かないまま、ふと気付く。自分の魂が、少し薄くなっている。


 ……俺の体が……。


「気付いたかい? 君は魂だけの状態でここに存在しているのだ。早く決断すると良い。その状態は長くは続かない」


 そんな理不尽な話しはないと思った。

 だが考えてみれば、俺の人生はずっとそういうものだった。

 

 気付いたら戦場に立っていて、気付いたら二十年が経っていて、気付いたら空が紅くて、気付いたら死んでいた。

 立ち止まって考える時間など、一度も十分に与えられたことがない。


 ならば今更だ。


 現代に戻っても、俺にできることは戦うことだけだ。

 また銃を手に取って、また泥の中を走って、また誰かの声が聞こえなくなって、また夜明け前に目が覚める。

 

 行き着く先は、どうせ同じ場所だ。

 あの紅い空の下だ。


 俺は、女の左手の上で静かに光っている見知らぬ星を見た。

 血の色も硝煙の匂いも知らないだろう、どこか遠い世界。


 ……一回くらい、静かに生きてみたい。


 血と泥と鉄とは無縁の場所で、誰かの死に顔を見ない朝を迎えてみたい。

 現実から目を背けていると言われても構わない。

 俺は血と鉄と泥とは無縁の世界で、ゆっくりと自堕落に過ごしてみたいっ!


「宜しい。ならば君は異世界に生まれ直す選択を選ぶという事だね?」


 おうっ!


 俺は異世界に行って、前世の地獄のような世界とは無縁の生活を送ってやるっ!


 そう強く願った瞬間、俺の魂の火がぼっと少しだけ強く燃え上がった。


「分かったよ。ならば君の魂は異世界に転生させよう。ちなみに、のんびりできるかどうかまでは保証しないけどね」


 ……ん? 今なんか不穏なこと言わなかったか。


「気のせい気のせい」


 女は揺らめく魂の火を見て、ほんの少しだけ表情を柔らかくした。

 そして手元の書類をためらいなく千切り、一枚をこちらに差し出してくる。


「出生証明書。次の名前と家族構成が書いてある」


「……ミットリオ?」


「そう」


「ミットリオ・ジュダレーム?」


「そう」


 続柄の欄には「次男」とあった。家を継ぐのは兄ということだ。

 ……つまり俺は何もしなくていい。

 最高じゃないか。


 思わず笑みがこぼれ落ちた。


「…………ん? ……なんか急に声が出てるんだが」


「魂が安定したから」


「……あ、そう」


「慣れるの早いね」


「死んで魂になって生まれ変わって、出生証明書まで来たら、今更驚く元気もない」


「では、次の世界での名前も分かった事だし、君を向こうの世界に送るとしよう」


 女が指で空中に弧を描く。

 その瞬間、ふわっと落下する感覚が襲ってきた。


 光がどんどん遠くなる。

 白さが溶けるように薄れて、その向こうで、何か温かいものに包まれていく。

 産声とも風の音ともつかない柔らかい何かが、近づいてくる。


「ミットリオ・ジュダレーム。異世界でのキミの人生に幸あれ」


 最後まで事務的な声だったな、と思いながら意識が落ちていく。


 こうして元高橋はやと、現ミットリオ・ジュダレームは、マイロマーク王国ジュダレーム男爵家の次男として、誰も知らない世界へと産まれ落ちるのだった。

 

 ……ただし、この男が望んだ自堕落な生活が叶ったかどうかはまた別の話である。






 


 初めまして、作者の鏑右いなだと申します。

 僕の作品を最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 皆さんの応援が日々の執筆の励みになっています。

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 *こちらの作品は、カクヨム様、アルファポリス様でも投稿されています。

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