第19話 加工と色付け
ミットリオが裏庭に訪れると、鍬で土を耕す音が聞こえてきた。
「ねえターブツさん、少しいいかな?」
ミットリオは思いついた遊びを頭の中で何度も転がしながら、シュトラを引き連れてターブツのいる庭へと向かった。
その間シュトラは一言も喋らなかった。
ただミットリオの斜め後ろをついてきていた。
麦わら帽子のターブツが顔を上げる。
土に汚れた膝を軋ませながら立ち上がる時、かすかにうめき声が漏れるが、それでも笑顔は崩れなかった。
「おおっ、ミットリオ坊ちゃんとシュトラ様。どうされましたかな?」
「少し頼みたい事があるんだけど」
「はいはい、私に出来る事なら何でもいいですよ」
「これ位のさスライスした木っ端とか余ってないかな?」
ミットリオは両手を広げてみせた。十センチほどの空間。
ターブツはその手の形を、帽子のつばの影の中でじっくりと眺めた。
「ふむ……、少々お待ち下さい」
ターブツは少し考える素振りを見せると、小屋の方へと歩いていく。
小屋の方へ歩いていく背中を、ミットリオは満足そうに見送った。
「ねえミト」
シュトラが小声で言った。隣に立つと、彼女が庭の花ではなくミットリオの横顔をずっと見ていた事に気づく。
「本当に釣りなんか出来るの……?」
「うん、俺の考えている事が本当ならば出来ると思うよ?」
「……思うってなによ」
シュトラは溜息をついた。その溜息には呆れと笑いが少し混ざっていた。
ミットリオは敢えてそれに気づかないふりをする。
待っている間、ターブツが手入れをしている花に目を向ける。
そこには白い花の周りを、蜂が一匹旋回していた。
「ありましたよ坊ちゃん。小屋に数個ありました。はいどうぞ」
「おおっ! ありがとうターブツさん! これで釣りが出来るよっ!」
小屋から数個の端材持ってターブツが帰って来る。
ターブツは端材とミットリオの顔を交互に見比べて、それから麦わら帽子を少し持ち上げると照れたように頭をかいた。
「……そうですか。それは良かった」
「ありがとねー!」
二人がお礼を言いながら屋敷へと戻っていくのを、ターブツはその場で見送った。
それが済むと麦わら帽子のつばを下げながら、また鍬を手に取って土を耕す事に専念する。
「よ~しっ、材料は揃ったから後はこれを加工するための道具と時間だけだね」
ミットリオは端材を両腕に抱えてさくさくと歩く。
その後ろをシュトラはポテポテとついていきながら、弟の後頭部をじっと見ていた。
ミットリオは釣りをすると言い張っていた。だが何故か木の切れ端を手に入れている。
絶対に無理だ、とシュトラは思った。
でもそう言ったら弟は絶対に「出来るよ」と笑う。だからこれ以上は何も聞かず、黙って弟小さな後頭部を眺めていた。
コンコン、とミットリオがノックをすると、チェルスはすぐに扉を開けた。
「ミットリオとシュトラじゃないか。一体どうしたんだい?」
「少し兄さんに手伝って欲しい事があるんだけど」
「僕にかい?」
ミットリオは、両手に抱えている端材をチェルスの目の前に差し出した。
「この端材を魚の形に加工して欲しいんだけど出来る?」
言ってミットリオは手に抱えている端材を、数個チェルスに渡した。
受け取ると、チェルスは手のひらの上でそっと傾けて、木目を光に透かすように見た。
そこでチェルスの額に少し眉が寄った。
この顔をしている時は、何かを考えている時の顔だ、とシュトラは思った。
「……分かったよ。少し時間が掛かるかもしれないけど、やってみるね」
「わあっ、ありがとう! 俺も後から来るから、それまで進めといてくれると嬉しいな」
ミットリオが出ていった後、チェルスはしばらく端材を手の中で転がしていた。
シュトラはそれを静かに見ていた。
やがて端材を見るのを満足したのか、チェルスが棚から彫刻刀を出し、端材を机に固定して、刃先をあてがう角度を何度か確かめる。
しゅりっ。静かな音と共に木屑がひと欠片落ちる。
また確かめる。また削る。
窓から差し込む午後の光の中で、チェルスの横顔は真剣だった。
ミットリオがチェルスに頼んだのは「魚の形に」だけだった。
誰も鱗を彫って欲しいとは言っていなかった。
シュトラは、弟にはついていかずチェルスの部屋にある隅の椅子に、そっと腰を下ろした。
「ねえデフィー、絵の具とか少し余ってたりするかな?」
チェルスに端材を預けた後、ミットリオはメイドのデフィーの元を訪れていた。
「絵の具ですか?」
デフィーはミットリオの頼みに首をコテンと傾げた。
その角度がいつも一定だと、ミットリオは頼み事をする度に思う。
角度は右にちょうど十五度くらい。
「そう。少し色を付けるのに必要でさ。ほんのちょっとでいいんだけど」
「……少々お待ち下さい」
すうっと、足音もなくデフィーが奥へ消えていく。
ミットリオは一人になった廊下で窓の外を見た。
ここからだと裏庭がよく見える。そこではターブツさんがまだ鍬を動かしていた。
麦わら帽子が午後の光りの中輝いているように見えた。
しばらくして、デフィーが戻ってきた。
お盆の上に布を敷いて、その上に小さなチューブが三本。
間隔まで揃えて並べてあり赤と青と黄色の絵の具が並んでいた。
「こちらで宜しいですか?」
「おおっ、三色もあったんだ! ありがとうデフィー。とても助かるよっ」
ミットリオはチューブを受け取ろうと手を伸ばしたが、デフィーは盆ごと差し出した。
「……汚れますので、布ごとお持ちください」
「あ、そっか。ありがとう」
布の上のチューブは、思ったより重かった。
金属だから当たり前なのかもしれない。でも指先に伝わるその重さが、なんとなく本物らしくて、ミットリオは少しだけ丁寧に持った。
ミットリオに絵の具を渡すと、デフィーはペコリとお辞儀をした。
その角度もいつも一定だ、とミットリオはぼんやり思った。
こういう人が屋敷にいてくれると、なんとなく安心すると思った。うまく言葉にするのは難しいだけれど。
チェルスの部屋の前まで来ると、廊下に木の削りかすの匂いが漂ってきた。
そう言えば、前世で聞いた事がある。
木の削りカスにはストレスだかを和らげる効果があると。
扉を開けると、シュトラが椅子に座って窓の外を見ており、チェルスは机に向かったまま、集中しており顔も上げなかった。
そして見ると机の上に一匹の魚があった。
まだ白木のままだったけれど、たしかに魚の形をしていた。
丸みのある胴体に、尾びれの描かれたかのようなカーブ。それと何故か胴体に細かく刻まれた鱗の筋。
「……鱗まで彫ったの?」
「せっかくだからね」
ミットリオが呟くと、チェルスは彫刻刀を置いてようやくミットリオの方を見た。そして少し照れたように笑っていた。
「本当に魚になってるっ。兄さんすごいよ!」
「少し大げさだよ」
「大げさじゃないよ。本当にすごいんだから」
出来上がった魚を近くで見ようと、ミットリオは絵の具のチューブをお盆ごと机に置く。
するとシュトラが椅子から立ち上がってそれを見た。
三色のチューブを一本ずつ確かめて、それから筆立てからいちばん細い筆を抜いた。
「……私がやる」
「えっ、姉さんが色を塗るの?」
「兄さんがここまで丁寧に彫ったなら、色も丁寧に入れないと釣り合わないでしょ。それにまだ魚を彫っていて色を付けれる人が他にいないでしょう?」
シュトラは魚を手に取り光に透かして、チェルスと同じようにしばらく魚を眺めていた。
その言葉に反論出来なかったので、ミットリオは黙って一歩引くことにする。
「鱗に沿って彫ってあるから、ここに色が入りやすいと思う。溝に沿って置いていけばいいと思うよ」
「なるほど」
とシュトラが言った。
二人が会話を交わしながら、頷き合っているのを、ミットリオは少し離れた場所から見ていた。
考案して頼んだのは自分の筈なのに、なんだかもう自分の手を離れている気がした。
でもどうしてか悪い気はしなかった。
むしろ、
(……これ、良くない?)
しばらく経つと、シュトラが完成した木製の魚を渡してくる。ミットリオはそっと両手で受け取った。
軽い。でもちゃんと重さもある。
鱗の一枚一枚に色が入っていて、腹の部分は白くしてある。
点々と胴体の部分に色を付けていることから、これはシュトラなりの判断だったのだろう。
「これで、本当に遊べるの?」
シュトラが聞いてきた。
「なるよ。あとは針と糸と、ちょっとした魔法があれば」
「……魔法も使うの?」
「使うよ」
「誰が魔法を使うの?」
「俺が」
その言葉にシュトラはミットリオの顔を見た。ミットリオは至って真剣な顔をしていた。
「……それを最初に言いなさいよ」
「言ったら姉さんは手伝ってくれなかったでしょ?」
シュトラは返事をしなかった。その代わり筆を筆立てに戻す音が少しだけ大きかった。
そのやり取りを見ていたチェルスは微笑んでいた。
ミットリオは木製の魚を指先でつつつーっとなぞった。
鱗の筋を、尾びれの縁を、腹の白いところを順になぞっていく。
これで遊びになるのかどうかはやってみないと分からない。
でも少なくとも、兄さんが彫ってくれたこの魚はたしかに良いものだった。自分一人では絶対に作れなかったものが手の中にある。
それだけで今日はもう十分な気がした。
「よし。じゃあ次は母さんの所に行かないとね」
「まだ必用な物があるの?」
とシュトラが言った。
「針と糸が必要なんだよ」
「……なんで?」
「まあまあそう慌てない」
両手を使ってそう言ってくるミットリオ。
そこでシュトラはもう一度ミットリオの顔を見ると、天井を仰いでいた。
そんな二人のやり取りを見て、チェルスはまた笑っていた。
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