第9話:フェンス越しの咆哮、泥の弁当大作戦
店の前をフェンスで塞がれるという物理的な妨害に対し、アマネが思いついたのは「工事の作業員を客にする」というとんでもない逆転劇!
極厚メンチカツサンドで資本の暴力を粉砕する、痛快スカッと展開です!
ガガガガガガッ! ドドドドドッ!
ポラリスの店内に、脳を直接揺さぶるような激しい重機の音が響き渡っていた。
窓の外には高さ三メートルの無機質な鉄のフェンスが立てられ、唯一の入り口は重機に完全に塞がれている。通りすがりの客が、この奥に定食屋があることなど絶対に気づけない完全な「封鎖」だった。
「……計算外だ。料理以前の問題だ。この振動では繊細な火入れが狂う」
蓮が調理台を苛立たしげに拳で叩く。
恵比寿の「無菌・無振動」の銀世界ではあり得なかった、資本力による露骨な環境的妨害。蓮の神経は、かつてないほどに逆撫でされていた。
「蓮、落ち着いて。……これ、僕が買ってきた耳栓だよ。一応、最高級の遮音性のやつ。ケースも可愛いでしょ?」
リョウが相変わらずのキラキラした手つきで、宝石箱のようなケースに入った耳栓を差し出す。
「……遮音してどうする。客が入ってこれないんだぞ。お前の脳内はお花畑か?」
「あはは、ひどいな。でも、蓮がそんな怖い顔してると、せっかくのソースが緊張して分離しちゃうよ。ね?」
その隣で、アマネは二人のやり取りを「……尊い。この殺伐とした距離感、一秒ごとに国宝としての価値が上がってるわ……」と魂を飛ばしながら見守りつつも、ふと窓の隙間から一点を見つめた。
(……工事の人たち。あんなに一生懸命、重い資材を運んでるけど……)
お昼休み。作業員たちは地べたに座り込み、ホコリにまみれながら、コンビニの冷たいおにぎりやカップ麺をかきこんでいた。
「――決めた! 蓮さん、リョウさん。コンロの火を最大にして!」
アマネが唐突に叫んだ。
「はあ? 客もいないのに何を作る気だ」
「客なら、目の前にいっぱいいるじゃない! フェンスの向こう側に!」
アマネが指差したのは、泥と汗にまみれて働く十数人の作業員たちだった。
「道が塞がって客が来られないなら、こっちからフェンスを飛び越えてやるの。……私たちが今やるのは、高尚なレストランごっこじゃない。この街の空腹を黙らせる『ポラリスの炊き出し』よ!」
アマネは棚から、おばあちゃんが使っていた使い捨て弁当容器を山のように引っ張り出してきた。
「二人の天才さん。条件を出すわよ。
一つ、片手で食べられるくらい手軽であること。
二つ、冷めても肉の脂が甘いこと。
三つ、食べた瞬間に『午後からも頑張るか!』って思える、爆発的な元気の色をしていること! ……できるわよね?」
蓮とリョウは顔を見合わせた。
これまで「皿というキャンバス」に最高級の芸術を描いてきた二人に、アマネは「箱の中の、泥臭い日常」を作れと言ったのだ。
「……面白い」
蓮の口角が、凶悪に吊り上がる。
「リョウ。氷室熟成肉は融点が低い。冷めても脂は固まらないな?」
「うん。でも、そのまま焼いて弁当にしたら、せっかくの肉汁が全部外に逃げちゃうよ」
「だから、衣をつけて高温の油で揚げる。『極厚のメンチカツ』にして、旨みを一滴残らず衣の中に封じ込めるんだ。……そして、それを分厚いパンで挟む」
リョウの瞳がパッと輝いた。
「メンチカツサンド……! なるほど、パンをクッションにして、こぼれたソースと肉汁を全部吸わせるんだね! 最高だよ、蓮!」
調理が始まった。
蓮の超速の包丁捌きがタマネギを細かいダイスに変え、そのすぐ横でリョウの優雅な腕の振りが、氷室熟成肉の端材を「琥珀の特製ソース」へと変えていく。
(ちょ、ちょっと待って……! 今、蓮さんが切った端材をリョウさんが流れるような動作で受け取ったわ……。何この一糸乱れぬコンビネーション……! ボロいキッチンが、二人のオーラでベルサイユ宮殿に見える……目が、目が幸せすぎて焼ける……っ!)
アマネは内心で転げ回りながらも、二人の言葉を「翻訳」し続ける。
「アマネ、今の肉の叫びは!」
「『大地の底から、真っ赤なマグマがゴォォッて噴き出してる色!』」
「よし! リョウ、今だ、そのソースでマグマを封じ込めろ!」
ジュワアアアアッ!
カツが揚がる暴力的な音。立ち上る湯気と香ばしいソースの香りが、フェンスの隙間を通り抜け、冷たい春風に乗って工事現場へと溢れ出した。
お昼休み。
アマネはフェンスの隙間から身を乗り出し、現場監督に声をかけた。
「お疲れ様です! 工事、大変ですね。これ、うちの試作品なんですけど、皆さんで食べませんか?」
不審そうな顔をしていた作業員たちが、差し出された『ポラリス特製・マグマのメンチカツサンド弁当』を開けた瞬間、その表情が劇的に変わった。
「……なんだこれ。……衣がサクサクなのに、中から肉汁が滝みたいに……っ!」
「このソース、パンに染みててめちゃくちゃ美味ぇ……。昨日食ったどの飯よりも、腹の底から力が出てきやがる!」
「おい、これ……商店街の『ポラリス』の飯か!? トメさんの店の……!」
一人、また一人と、作業員たちがフェンスの前に集まってくる。
佐伯が立てたはずの「拒絶の壁」が、今、最高に食欲をそそる「行列の目印」へと変わっていた。
現場監督は、メンチカツサンドを猛然と平らげると、泥だらけの手でポケットから分厚い封筒を取り出し、フェンス越しにドン! と押し付けた。
「おい姉ちゃん! 明日からコンペまでの三日間、俺たち五十人分の昼飯、全部ここで頼む! これ、前金だ! 足りなきゃ後で払う!」
「ええっ!? ご、五十人分!?」
「うおおおお!! 午後も気合い入れてフェンス立てるぞ!!」
「おう!! 早く仕事終わらせて、明日の飯食うぞ!!」
作業員たちのモチベーションは最高潮に達し、なんと工事のスピードが午前中の倍以上に跳ね上がってしまった。
その光景を、通りの向こう側に停まった黒塗りのセダンの中から、爪に血が滲むほど強く手を握りしめながら見つめる男がいた。佐伯真司だ。
「……バカな。なぜ、あの状況で笑っていられる」
佐伯はギリッと奥歯を鳴らした。
「……私が立てたフェンスが、あいつらの飯を食うためのモチベーションになっているだと……!? ふざけるな……不確定要素どもめ……っ!」
物理的な封鎖という資本の暴力は、ポラリスの「匂い」と「熱」の前に、完全に粉砕されたのだった。
その夜。再開発ビルの最上階。
夜景を背負い、九条彰彦が冷徹な瞳でタブレットの報告書を眺めていた。
傍らには、ポラリスの「弁当」による圧倒的な反撃に、顔面を蒼白にさせた佐伯が立っている。
「……佐伯。ポラリスの周辺で行っている『整備工事』の件だが」
「はっ、順調です! 客足は完全に途絶えさせました!」
「嘘をつくな」
九条の底冷えする声が、静寂のオフィスを凍らせた。
「フェンスの外に、工事作業員のみならず、匂いに釣られた近隣の住民までが集まっているというSNSのログがある。……お前の小細工は、かえってあの店を『特別な存在』として宣伝しているに過ぎない」
九条はゆっくりと立ち上がり、佐伯の目の前に立った。
「余計なことはするなよ。私がリョウではなくお前を選んだのは、お前が誰よりも私の『システム』に忠実な部品だからだ。……コンペ当日、もし一ミリでもポラリスの『泥』に計算を狂わされるようなことがあれば」
九条の手が、佐伯の肩に置かれる。それは激励ではなく、いつでも「廃棄」できることを示す死刑宣告の手触りだった。
「……お前は二度と、私の視界に入ることはない。分かっているな、佐伯」
「――ッ! も、もちろんです、九条さん! 当日は……私の『最適解』で、あの店を更地にしてみせます!」
佐伯の震える瞳の奥に、王座への執念と、死への恐怖がドロドロに混じり合う。
運命のコンペティションまで、あと三日。
ポラリスの「色彩」と、ナイン・グループの「アルゴリズム」が、ついに正面から激突する。




