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第8話:三人の隠し味、氷室の鼓動

ついに肩を並べて厨房に立つ、蓮とリョウ。二人の天才的な技術と、アマネの「色彩」が融合し、かつてないハンバーグが完成します。アマネのオタク的なツッコミも冴え渡っています(笑)。

しかし、完成の直後に、再び佐伯の魔の手が……!

ポラリスの狭く油臭い厨房に、信じられない光景が広がっていた。


ナイン・グループの最高機密である『氷室熟成肉』をまな板に置いた西園寺リョウは、包丁を握ったまま動けずにいた。その白い指先は、微かに震えている。

(……どうしよう。もし、また味が分からなかったら。僕の舌が、本当に壊れてしまっていたら……)


無菌室の「正解」から逃げ出してきた彼を襲う、強烈なフラッシュバック。

 その時、横からヌッと伸びてきた手が、リョウの包丁を握る手を上から強く押さえた。


「……震えるな。肉の繊維が潰れる」

 鋭利な刃物のような空気を纏った、久我蓮だった。

「リョウ。味など後で考えろ。今はただ、俺の指示通りに腕を動かせ。お前のその正確無比な技術だけを、俺に貸せ」


蓮の不器用だが力強い言葉に、リョウの目からふっと恐怖の色が消えた。

「……あはは。厳しいね、蓮は」

 リョウは小さく深呼吸をし、いつものキラキラとした王子様スマイルを取り戻す。

「でも、そこが君のいいところだよ。……よし、いこうか」


二人の天才シェフが、ポラリスの安物のオレンジ色のエプロンを締め、肩を並べて料理を始める。

 カウンターの隅でそれを見守るアマネは、味見用のスプーンを口に咥えたまま、魂が半分抜けていた。


(……ちょっと待って。何この画面の圧力。画力が強すぎて、うちのボロい壁紙が発火しそうなんだけど。不愛想な元・帝王と、彼を追いかけてきた一途なプリンス……!? ……ヤバい、開いちゃいけない禁断の扉がギギギッて音を立てて目覚めそう……!)


アマネは鼻血が出そうなのを必死に堪え、自分の頬をパチン! と両手で叩いた。

「……アマネ。何をしている。早く『色』を言え」

 蓮の冷徹な視線が飛んでくる。

「あ、はいっ! 今の二人の関係性……じゃなくて、お肉の状態ね!」



リョウが持ち出した氷室熟成肉は、パックを開けた瞬間、ナッツのような芳醇な香りでポラリスの油臭さを一瞬で高級レストランのそれに書き換えた。


「……リョウ。この肉の『色』を言え」

 蓮が問う。リョウは真剣な瞳で肉を見つめた。

「……これは、**『深い眠りに落ちている、静かな紫紺しこん』**だね。でも、蓮。君の熱が加われば、この子はきっと、見たこともない夜明けを見せてくれるはずだよ」


(うわぁ……。喋る言葉まで王子様。悔しいけど絵になる……)

 アマネも負けじと鼻をひくつかせ、肉に顔を近づける。


「違うわよ、リョウさん! 紫紺なんかじゃない!」

 アマネはドンとカウンターを叩いた。

「この子はね、**『真夜中の銀嶺ぎんれいに、一筋の朝日が差し込んだ時の色』**をしてるの。……静かだけど、雪の奥の方で、すっごく熱いマグマがドロドロ溶けてる感じ!」


蓮の脳内で、二人の異なる「表現」が激しくぶつかり合い、そしてこれまでにない巨大で緻密な設計図へと組み上がっていく。

(紫紺の眠りと、銀嶺の朝日。……なるほど、こたえは見えた。表面の熟成香を殺さず、芯にある爆発的な脂の甘みを引き出せばいいんだな)



試作が本格化した。

 蓮の超人的な火入れに合わせ、リョウが完璧なタイミングでスパイスを投入する。二人の動きは、まるでお互いの呼吸を知り尽くした、緻密なダンスのようだった。


しかし、ソースの最終調整に入った時、二人の手がピタリと止まった。

「……蓮。ここはフォンドボーを足すべきだ。肉の強さにソースが負けている」

「いや、それでは重すぎる。源さんの口には合わない。酸味で輪郭を立てるべきだ」

 完璧な数値を求めるリョウと、現場の空気を読もうとする蓮。コンマ数ミリの正解を巡り、二人の天才の意見が真っ向から衝突する。


「――違うっ!!」

 その張り詰めた空気を切り裂いたのは、アマネの叫びだった。

「フォンドボーでも酸味でもない! 今のこのお肉に足りないのは、**『一番星が、夜空に穴を開けた瞬間のプラチナゴールド』**なの!!」


プラチナゴールド。

 その言葉に、蓮とリョウはハッとして顔を見合わせた。

「……野菜の甘みか」

「そうだね。タマネギのピュレで丸みを出そう」


アマネの「色」を架け橋にして、対立していた二つの才能が再び一つに融合する。

 かつての恵比寿のような、相手を蹴落とす殺伐とした空気はない。そこにあるのは、純粋に「美味いもの」を生み出そうとする無邪気な熱狂だけだった。


ついに、圧倒的なオーラを放つ『太陽のハンバーグ』が完成した。

 蓮は震える指でナイフを入れ、それを一口、口に運んだ。


――砂ではない。

 肉の繊維がほどけ、濃厚な旨みがアマネの言葉通り「爆発」した。香ばしい煙が脳を突き抜け、極彩色のビジョンが蓮の意識を鮮やかに塗りつぶしていく。


「……あぐっ……」

 蓮の目から、不意に一筋の涙がこぼれ落ちた。

「……蓮さん? 美味しいの?」

「……分からん。……だが、俺の魂が……今、叫んでいることだけは分かる」

 蓮は、涙を拭おうともせず、ただ何度も何度も肉を咀嚼した。



そこへ、いつものように源さんが現れた。

 リョウという見慣れない「輝くような美青年」が狭い厨房にいるのを見て、源さんは一瞬だけ眉をひそめた。

「……ポラリスも、ついにホストクラブに転職したのか?」


毒づく源さんに、リョウは「あはは、光栄な評価ですね」と爽やかに受け流しておしぼりを差し出す。源さんはフンと鼻を鳴らし、いつもの席に座った。


蓮は、三人で作った最高の一皿を、源さんの前に置いた。

 源さんは無言でナイフを入れ、一口、また一口と口に運ぶ。

 三人は息を呑んでその様子を見守った。


やがて、源さんは最後の一欠片まで無言で完食し、皿に残ったソースをパンで拭い取って食べた。そして、初めて、ポラリスの曇りの取れた窓と、古い看板を愛おしそうに見つめて言った。


「……面白い。……三つの違う風が、一つの鍋の中で見事に踊ってやがる」

 源さんは、満足そうにほうっと息を吐いた。

「……トメが目指していた『ポラリス(北極星)』が、ようやく札幌の空に昇り始めたな」



「やった……っ!」

 アマネが歓喜の声を上げ、蓮とリョウが静かに拳を突き合わせた、その直後だった。

 店外で、鼓膜をつんざくような激しい重機の音が響き渡った。


「何事だ!?」

 蓮たちが慌てて外に出ると、ポラリスの目の前の道路に、巨大な工事用の鉄のフェンスが立てられ始めていた。商店街の道が、物理的に封鎖されていく。


フェンスの向こう側で、佐伯真司が冷ややかにこちらを見つめていた。

「……逃げたネズミがどこへ行くかと思えば。……西園寺さん、あなたもすっかり『ゴミ箱』がお似合いだ。九条さんは、あなたを『裏切り者』として、全ての調理ライセンスを剥奪することを決定しました」


「……ライセンス剥奪……っ」

 リョウの顔が青ざめる。

 佐伯は、ポラリスの看板を指差して嘲笑った。


「コンペまであと三日。……この騒音と埃にまみれた店に、一体誰が足を運ぶと思いますか? いいえ、そもそも店を開けることすら不可能でしょう」

 佐伯の目が、蛇のように細められる。

「……あなたの『魔法』や『情熱』は、物理的な力(資本)の前では無力だということを、ここで学んでください」


圧倒的な絶望。しかし蓮は、隣で震えるリョウの肩に力強く手を置き、フェンス越しの佐伯を真っ向から睨みつけた。


「……佐伯。……お前の計算には、一つだけ『致命的なバグ』がある」

「……バグ、ですか?」

「ああ。……俺たちはもう、砂を噛むだけの孤独な料理人じゃない」


蓮の瞳には、重機の騒音にも、巨大な資本の壁にも決して屈することのない、確信の光が宿っていた。

 泥だらけの天才、追放された王子、そして共感覚のヒロイン。

 北極星の反撃が、今、始まる。



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