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第11話:狂気の残火、命の厨房(キッチン)

敗北し、すべてを失って狂気に囚われた佐伯が、ガソリンを持ってポラリスを襲撃! 絶体絶命の危機を救ったのは、まさかの”あの人”でした。

蓮が佐伯に渡す、料理人としての「引導」にもご注目ください。いよいよ次回、最終回です!

コンペの祝勝会。ポラリスの店内は、商店街の人々が持ち寄った地酒と、現場作業員たちの笑い声で溢れかえっていた。

 アマネは上気した顔で「これでおばあちゃんの店は安泰だね!」とはしゃぎ、リョウも「僕、この店に転職してもいいかな?」と冗談めかして笑っている。


やがて宴が終わり、深夜。

 三人が片付けを終えようとしたその時、店の扉が乱暴に蹴り開けられた。

 吹き込んできたのは、札幌の冷気と、胃を抉るような「揮発油」の匂いだった。



入ってきたのは、佐伯真司だった。

 かつての完璧なシェフコートは汚れ、瞳には濁った憎悪の火が灯っている。その手には、強烈な匂いを放つポリタンクが握られていた。


「……佐伯。何をするつもりだ」

 蓮がいち早く異変を察知し、アマネの前に立ちはだかった。

「久我蓮……。解析できない魔法なら、物理的に消せばいい。更地になれば、そこには数値しか残らないんだよ!」


佐伯は狂ったように笑いながら、カウンターにガソリンをぶちまけ始めた。

「やめなさい、佐伯さん!」

 アマネが蓮の背中から身を乗り出そうとするが、蓮はその細い肩を力強く、けれど壊れ物を扱うように片手で押しとどめた。


「下がるんだ、アマネ。……こいつは今、自分というシステムが崩壊して、エラーを起こしているだけだ」

「離して! 蓮さんも危ないじゃない!」

「……いいから、俺の後ろにいろ」

 蓮の背中は、かつての傲慢な「帝王」のそれではなく、たった一人のパートナーを守り抜こうとする、静かで強固な「盾」だった。



蓮に守られながら、アマネは恐怖を怒りに変えて叫んだ。

「ねえ、佐伯さん! あんた、本当にそれでいいの!?」


「うるさい! 黙れ!」

「黙らないわよ! あんた、さっき『更地にする』って言ったわよね? でもね、それって、あんたが一生、蓮さんに勝てないことを自分で認めるってことなのよ!」


佐伯の、ライターを握る手がピクリと止まった。

「……何だと?」


「この店を燃やして蓮さんを追い出したって、あんたが作ったあの『テリーヌ』が、この街の人たちに負けたという事実は消えないわ! 店がなくなれば、あんたは永久にリベンジする機会さえ失うのよ! データのカケラもない『魔法』に負けたまま、一生惨めに逃げ回るつもり!?

 ……それって、あんたが一番嫌いな『非合理的な敗北』じゃないの!?」


「――ッ!!」

 佐伯の顔が、屈辱で真っ赤に染まる。アマネの言葉は、彼の信じる「合理性」という鎧の隙間に、最も鋭い刃となって突き刺さった。



佐伯が咆哮し、震える手でライターに指をかけたその瞬間。

「……そこまでだ。見苦しいぞ、小僧」


店の奥。いつの間にか現れた源さんが、地を這うような低い声で言った。

 佐伯は血走った目で源さんを睨みつける。

「どけ、老いぼれ! これは九条さんの、ナイン・グループの再開発計画の一部だ!」


「再開発、だと?」

 源さんは懐から、古びた、けれど重厚な一通の書面を取り出した。

「お前さんが縋っているその計画は、俺が判子を押さなきゃ一ミリも動かねぇ。……九条にも伝えてある。この商店街の土地の八割、そしてこのポラリスのビル一帯の所有者は……俺だ」


佐伯が息を呑む。

「九条は、俺が引退して隠居した『ただの爺』だと思って舐めていたようだがな。……トメさんの味が死なねぇ限り、俺はこの街を誰にも売りゃしねぇよ」


「……あはは……なんだ、それは。……私の積み上げた努力は、料理は……結局、血筋や権力、才能という理不尽の前では、何も残らないのか……っ!」

 佐伯がヤケを起こし、火のついたライターをガソリンの海へ落とそうとした。


ダンッ!

 蓮が調理台を蹴って宙を舞い、佐伯の手首を蹴り上げてライターを弾き飛ばした。火のついたライターは、間一髪でシンクの中へと落ちてジュッと消える。

 蓮は佐伯の胸ぐらを掴み、壁に乱暴に押し付けた。


「……佐伯。……お前は俺の影なんかじゃない」

 蓮の静かな声が、厨房に響く。

「恵比寿での俺の皿は、お前の完璧な原価計算と、一ミリの狂いもない温度管理があったからこそ完成していた。……お前の努力を、数値化された技術を、俺は一度も否定したことなどない」


「……久我、さん……」

「お前も料理人なら、火はコンロの上だけで扱え。……これ以上、他人の厨房を汚すな」


その言葉は、佐伯がずっと誰かに——九条や、蓮自身に——言ってほしかった「肯定」の言葉だった。

 佐伯の目から憎悪の火が消え、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。彼は両手で顔を覆い、子供のように声を上げて泣き崩れた。


源さんが静かに近づく。

「……ポラリスを消す、だと? ……お前さんごとき端役に、俺の『北極星』を消せると思うなよ。……お粗末」



通報を受けて駆けつけた警察の赤光が、ポラリスの窓を赤く染める。

 連行される佐伯の背中を、三人は無言で見送った。


ガソリンの匂いが残る厨房で、蓮はまだアマネの肩を抱いたままだった。

「……アマネ。怪我はないか」

「……うん。大丈夫。蓮さんが守ってくれたから」

 アマネが蓮の顔を見上げると、蓮は気まずそうにパッと手を離し、顔を背けた。

「……当然だ。俺の『外部センサー』が壊れたら、明日から飯が作れなくなる」


「……もう。素直じゃないんだから」

 アマネはクスリと笑うと、蓮の汚れたエプロンの裾をギュッと掴んだ。

 

「……坊主ども。……アマネ」

 源さんが、月明かりの下でポラリスの看板を見つめて言った。

「……トメが病院から戻ってくるぞ。……来週だ。……最高の『おかえり』を、用意してやれ」


蓮は、静かに包丁を握り直した。

 喉の奥には、確かな「味覚」の熱が宿っていた。





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