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第18話 名簿の底で妹たちが眠る

火刑まで、あと三日。


 アルベリクが銀の鍵を差し込むより先に、牢の錠が外から開いた。


 鉄扉の向こうに、セシリアが立っている。


 聖女服は泥と苔で汚れ、銀髪から水が滴っていた。


「姉上」


「迎えに来たわ」


「炉につながれたはずでは」


 セシリアの左手首から、白い糸が壁の奥へ伸びている。


「つながったままよ。だから私がどこにいるか、聖庁には分かる」


「では、すぐ追手が来る」


「ええ。急ぎましょう」


「どこから入った」


 姉は背後の暗い通路を指した。


「私が供物を運んだ地下水路」


 青い複写で見た、逆向きの道。


「私が運んだ道だから、私が逆に連れ出す」


 アルベリクは姉の顔を見た。


 信じた夜の記憶はない。


 けれど、昨日ザフィールの帳面を読み、記憶がなくても選び直せると知った。


「先頭を任せる」


 セシリアの青い瞳が揺れる。


「信じるの?」


「今日の姉上を、今から見る」


「十分よ」


 二人は水路へ走った。


          ◇


 地下水路の出口には、六台の荷馬車が待っていた。


 西門で見た、エドマンドの逃走用に見えた馬車だ。


 荷台には平民服ではなく、毛布と水、担架、乾燥食が積まれている。


「逃げる準備ではなかったのか」


 アルベリクが言うと、御者台のエドマンドが不機嫌そうに振り向いた。


「八千人を王都へ運ぶには六台でも足りない」


「最初から救出に使うつもりだった?」


「お前へ話せば、一人で先に行く」


「信用がないな」


「十五年黙っていた兄を信用するな」


 返す言葉がなかった。


 馬車の周りには、見覚えのある者たちがいる。


 ヴィクトルと砦兵。


 白髪のイルマと薬箱。


 ヨハネスが率いる聖騎士。


 川向こうから入ったザフィールと、金環をつけたナディール騎士。


 白銀と金の騎士が、青い手灯りを先頭に並んでいる。


 昨日まで互いへ剣を向けていた者たちだ。


 ザフィールとヨハネスが、同時に相手を見た。


「白い火の命令を出した男か」


「国境へ兵を進めた敵将ですね」


 二人の手が剣へ動く。


「やめろ」


 アルベリクが間へ入った。


「仲直りしろとは言わない」


「では退け」


 ザフィールが言う。


「互いを許さないまま、同じ出口を守ってくれ」


「背中を預けろと?」


 ヨハネスの声は硬い。


「違う。八千人へ背を向けるなと言っている」


 先に剣から手を離したのは、ヨハネスだった。


「救出が終われば、改めて罪を問います」


「望むところだ」


 ザフィールも手を離す。


「終わるまでは?」


「同じ青い灯りを追う」


 二人は握手をしなかった。


 それでも、同じ地下道へ並んだ。


「遅いぞ、王子」


 ヴィクトルが縄束を投げる。


「囚人は時間を選べない」


「言い訳してる暇に結べ」


 ザフィールが青い帳面を掲げた。


「返事を読んだ」


「余計な記録が多いと書いた」


「それでも話したいとも書いた」


「後半は忘れろ」


「俺は忘れない敵だ」


 ザフィールが笑う。


 その笑い方を、アルベリクはやはり知っている気がした。


 思い出ではない。


 昨日、帳面を読んで想像した声と同じだった。


「リュカは」


 見回すが、小さな姿はない。


「砦へ置いてきた」


 ヴィクトルが答える。


「子どもの仕事じゃない」


「そうか」


 なぜか胸の奥が少し軽くなった。


 エドマンドが王家の通行印を掲げる。


「聖路は半日だけ開ける。王都へ戻る便はない」


「供物を出したあと、どうする」


「歩いて帰る」


「八千人で?」


「だから敵国側にも船を用意した」


 ザフィールが答える。


「我が軍の船が三十。砦の馬車が四十七。歩ける者は歩かせる」


「失敗すれば、両国から反逆者だな」


「成功しても反逆者だ」


 ヨハネスが剣帯を締めた。


「ならば、成功したほうがよい」


 セシリアが青い灯りを掲げる。


「行きましょう」


 金環騎士と聖騎士が、同じ地下道へ入った。


          ◇


 聖火炉の底で、八千百二十六人が眠っていた。


 青い脈動は、以前見たときより弱い。


 最終点火へ向け、寿命が中央炉へ集められている。


「アンナ!」


 ヴィクトルが西壁へ走る。


 妹の名がある腕へ触れた。


「兄貴だ。今度は荷物だと思わない」


 ザフィールは三列下の名を見つけた。


「アミナ」


 金の籠手を外し、妹の手を両手で包む。


「口笛が下手なままでいろ」


 北壁にはミラ村四十一人。


 イルマが一人ずつ名を読む。


「父さん。母さん。帰ってきました」


 最深部の寝台では、ノエルが起きて待っていた。


「遅いよ」


「すまない」


 アルベリクが膝をつく。


「忘れた?」


「帳面で読んだ。君はノエル。眠らず、次の子へ危険を教えると言った」


「覚えてないんだ」


「だから、もう一度教えてくれ」


 ノエルは少し考えた。


「僕はノエル。十一歳。帰ったらマグダレナに、ずるいって言う」


「何が」


「僕だけここで待ってたから」


「一緒に言いに行こう」


 少年が頷く。


 セシリアが青い複写を中央炉へ広げた。


「三つの輸送路を同時に逆流させる。聖路へ二千、水路へ三千、砦の昇降路へ残り」


「誰がどこを」


 アルベリクは皆を見た。


 命令すれば早い。


 だが、今度は一人ずつへ頼む。


「セシリア。道を開いてほしい」


「そのために来たわ」


「ザフィール。川の出口を」


「妹ごと全員受け取る」


「ヨハネス。聖路の門を守ってくれ」


「教会が止めに来ても通します」


「ヴィクトル。起きた人を運んでほしい」


「生活の世話は俺の仕事だ」


「イルマ。目覚めた人の身体を」


「奇跡を使わず診ます」


「エドマンド。王都の門を」


 兄は王印を出した。


「最後まで、私の責任で開ける」


 全員が、自分の言葉で引き受けた。


 アルベリクは中央炉へ手を置く。


 黒い聖痕が、救出に必要な支払いを開く。


 青い光の中へ、八十人の名が浮かんだ。


 中央炉固定者。


 アンナ・ロウ。


 アミナ・ハディル。


 ノエル・ベルク。


 ミラ村四十一名。


 残り三十六名。


「これが大司教の安全策」


 セシリアの声が震える。


「残り寿命が少ない者から選んである」


 ヴィクトルが剣を抜いた。


「この文字を切れ」


「切れば、別の名が入る」


「なら俺を入れろ」


 ヴィクトルがアンナの名を押さえる。


「兄が妹の代わりになる。それなら文句はないだろう」


「ある」


 ザフィールもアミナの名へ手を置いた。


「俺を使え。妹より残り寿命も長い」


「二人とも手を離せ」


「またお前一人で払う気か」


「違う。ここに名前を入れ替える機能はない」


 黒い文字が、二人の手を拒む。


 固定者を一人外せば、名簿は残り寿命の短い次の一人を選ぶ。


 兄が妹を救えば、知らない誰かが壁へ戻る。


「誰かの大切な人を、顔が見えないから使うことになる」


 ヴィクトルが拳を壁へ当てた。


「またか」


 妹一人を助ければ、別の誰かが入る。


 マグダレナとノエルから続く鎖だった。


「代わることすら選べないのか」


「代わる相手を自分たちで選ぶかぎりは」


 アルベリクは中央炉を見る。


「必要なのは、特定の誰かを壁へ残さない支払いだ」


「では、どうする」


 炉の底に、もう一つの欄が現れた。


 固定供物 八十名。


 代替支払い 本人が選んだ記憶。


 必要数 未定。


 支払者一覧が、白紙のまま開く。


 過去の自分が作ったような、共同名簿。


「記憶で流れを保てる」


 セシリアが言う。


「何人分あれば足りる」


「分からない」


「一人の大切な記憶か、百人の小さな記憶かも」


 アルベリクは白紙の一覧を見た。


 同意を求めれば、また人へ支払いを迫ることになる。


 求めなければ、八十人を残す。


 大司教の言葉どおり、方法がない。


「兄ちゃん」


 聞こえるはずのない声がした。


 振り返る。


 食料箱の陰から、リュカが出てきた。


「砦へ置いてきたはずだ!」


 ヴィクトルが怒鳴る。


「荷馬車に乗った」


「誰の許可で」


「僕の」


「子どもの許可は許可じゃない!」


 リュカは首の銅貨を握り、白紙の支払者一覧を見る。


「僕には請求書がない」


「だから何だ」


「みんなより、たくさん残ってる」


 小さな手を挙げた。


「僕の記憶も使って」




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