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第15話 熱鉄は誰も裁かない

火刑まで、あと六日。


 赤熱の輪が、王宮前広場へ運び込まれた。


 大人が両腕で抱えるほど大きな鉄輪だ。


 四人の司祭が長柄の鉤で支え、白い炭を積んだ炉へ入れる。


 鉄が赤く染まる。


 雨上がりの広場に、焼けた空気の匂いが広がった。


「神を信じる者は焼けず、異端者だけが焼ける」


 審問司祭の声が響く。


 広場を埋めた民衆が祈りの印を結んだ。


 貴族席。聖騎士団。下町から来た市民。国境砦の兵士。


 昨日まで危篤を伏せられていた国王の死も、今朝になって公表された。


 壇上には第一王子エドマンドがいる。


 王冠はない。


 父王の証言書と王印を、両手で持っていた。


 大司教アンブローズは白い法衣で裁判席へ座っている。


「被告、アルベリク・ルーセル・オーレリア」


 名を呼ばれ、アルベリクは壇上へ進んだ。


 両手に枷はない。


 逃げても意味がないからだ。


「黒い聖痕を用い、王国の奇跡を汚した罪」


「見えるようにしただけだ」


「国境聖塞の聖火を妨げ、敵国兵を救った罪」


「王国兵と八千人の供物も救った」


「供物名簿を盗み、聖遺物簿を不当に開いた罪」


「それは否定しない」


 民衆がざわめく。


 審問司祭が鉄輪を示した。


「言葉ではなく、神意に問う。輪を握りなさい」


「その前に聞きたい」


 アルベリクは赤い鉄を見る。


「この奇跡は、誰が払う」


「神意に代金などない」


「なら、開いても困らないな」


 左手首を掲げる。


 裁判席のアンブローズがわずかに目を細めた。


「開帳」


 黒い線が石畳を走った。


 広場にいる全員の手首ではない。


 熱鉄と、壇上の三人だけへ伸びる。


 アルベリク。


 審問司祭。


 そして、炉の裏へ隠された白い名簿。


「名簿を出せ」


「そのような物はない」


「あなたの足元にある」


 ヨハネスが聖騎士の列から出た。


 審問司祭の前へ跪く。


「失礼します」


 返事を待たず、壇の白布を剥がした。


 小さな簿冊が落ちる。


 表紙には『神判記録』とある。


「団長、何を」


「疑うことも、信じる仕事です」


 ヨハネスは簿冊をアルベリクへ渡した。


 頁には、今日の判決がすでに書かれていた。


 異端 アルベリク。


 聖別 セシリア。


 忠信 ヨハネス。


「審判は、まだ始まっていない」


 アルベリクは三行を民衆へ向ける。


「だが結果は、人間の字で書かれている」


「過去の記録だ!」


 審問司祭が叫ぶ。


「では、三人で試そう」


 アルベリクが壇上から手を差し出した。


「セシリア。ヨハネス」


 白い聖女服のセシリアが、民衆の間から歩いてくる。


 青い瞳が弟を見る。


 アルベリクには、彼女を信じた夜の感情がない。


 それでも今、来ると予想した。


 セシリアは迷わず壇へ上がった。


 ヨハネスも剣を部下へ預ける。


「何をなさるつもりです」


 審問司祭が後ずさった。


「異端、聖女、聖騎士。三人で同じ輪を握る」


 アルベリクは神判記録を掲げた。


「鉄が本当に裁くなら、それぞれに違う結果が出るはずだ」


「神を試すこと自体が異端です!」


「都合の悪い試験だけを禁じる神か」


 アンブローズが片手を上げた。


 審問司祭が黙る。


「続けなさい」


 大司教が言った。


「あなたが何を証明するか、見届けましょう」


 鉄輪が炉から引き上げられた。


 赤い雫のような火の粉が落ちる。


 近くにいるだけで頬が痛い。


 セシリアが右手を伸ばした。


 白い光が指を包む。


 ヨハネスは何もまとわず、節くれだった手を伸ばす。


 アルベリクは左手を開いた。


 黒い聖痕が炎のように立ち上がる。


「怖い?」


 セシリアが聞く。


「怖くないと言えば、信じるか」


「信じない」


「では聞くな」


「そういう言い方は覚えているのね」


 姉が、ほんの少し笑った。


 ヨハネスが鉄輪を見る。


「私は、焼けても構いません」


「私は構う」


 アルベリクが言う。


「三人とも手を離さない。誰か一人へ熱が移ったら、その時点で試験を止める」


「自分だけなら続けるつもり?」


 セシリアの問いに、答えなかった。


「それを答えないから、信用できないのよ」


 姉の白い指が、赤熱へ触れた。


 同時に、ヨハネスとアルベリクも輪を握る。


 広場から悲鳴が上がった。


 赤い熱が、三人の手へ食い込む。


 セシリアの白い光が強くなった。


 その内側へ、アルベリクの黒い炎が流れ込む。


 純白と漆黒が、赤熱の輪の上で重なった。


 ヨハネスの手から血が落ちる。


 けれど、皮膚は焼けない。


 セシリアも。


 アルベリクも。


 誰も焼けない。


 代わりに、白い名簿から無数の細い糸が伸びていた。


 観衆の手首へ。


 広場の外へ。


 王都の地下へ。


 熱を消しているのは信仰ではない。


 名簿へ書かれた誰かの寿命だ。


「見ろ!」


 アルベリクは、三人の手を離さないまま叫んだ。


「白い奇跡も、私の黒い聖痕も、していることは同じだ!」


 白は、代金を隠して移す。


 黒は、代金を見せて移す。


「どちらも命を生み出していない。誰が払うかを変えているだけだ!」


 黒い聖痕が、白い名簿を開く。


 三人の名の横に、別の字が現れた。


 保護対象 セシリア。


 保護対象 ヨハネス。


 保護除外 アルベリク。


 人が書いた分類だった。


「鉄が裁いたんじゃない」


 アルベリクは輪を放した。


 セシリアとヨハネスも同時に手を離す。


 赤熱の輪が石台へ落ちた。


「帳簿を書いた人間が決めた」


 静寂のあと、どこかで歓声が上がった。


「焼けなかった!」


「王子は異端ではない!」


「神判に勝った!」


 声が広場を埋めていく。


 アルベリクは喜べなかった。


 自分が無実だと証明するために来たのではない。


 輪の熱を消した糸は、まだ誰かの腕へつながっている。


「待って!」


 少女の声が、歓声を割った。


 白い頭巾を取ったのは、マグダレナだった。


 十四歳。


 授印式で倒れたときより顔色は戻っている。


 イルマに肩を借り、壇上へ上がる。


「この人は、神判に勝ったんじゃない」


 マグダレナが自分の手首を出した。


 アルベリクが聖痕を開く。


 奇跡残高 零。


 代替供物 ノエル・ベルク。


 黒い文字が、広場の上へ大きく映る。


「私は、命が残っていないから炉へ入れられるはずでした」


 少女の声は震えていた。


「セシリア様が私を隠しました。助かったと思いました。でも、代わりに十一歳の男の子が選ばれた」


 セシリアが頭を下げる。


「私が名簿から消した」


 民衆がざわめく。


「知らなかったと言うつもりはありません。別の子が選ばれると知っていました」


 マグダレナがセシリアの手を取った。


「ノエルは、生きています」


「砦の地下で、迎えを待っているわ」


「だったら、二人とも出してください」


 少女は裁判席へ向いた。


「私を戻して、帳尻を合わせないで。ノエルを残して、私だけ救わないで」


 神判に勝ったという歓声が止まった。


 代わりに、人の声が生まれる。


「地下に何人いる」


「本当に子どもを使ったのか」


「王の証言を読め!」


 エドマンドが立ち上がった。


 父王の証言書を開く。


「崩御した国王の名と王印において、供物制度への王家の関与を証言する」


 一字ずつ、広場へ読んだ。


 寿命を使うと知っていたこと。


 請求先を知ろうとしなかったこと。


 生まれる前の弟を器にしたこと。


 エドマンド自身が署名し、十五年黙っていたこと。


 民衆の怒りは、異端の王子一人へ向けられなくなった。


 王家へ。


 教会へ。


 名簿を書いた人間へ。


 アルベリクは、ようやく鉄輪から目を離した。


「大司教」


 アンブローズを見上げる。


「これでも、私だけを裁くか」


「いいえ」


 大司教は立ち上がった。


「あなたの示したものを、すべて裁きの対象とします」


「供物を解放しろ」


「その前に、もう一つ見るべきものがある」


 アンブローズがアルベリクの左腕を指した。


 黒い聖痕が、勝手に開いている。


「閉じろ」


 命じても止まらない。


 熱鉄から伸びた赤い線。


 セシリアの白い光。


 アルベリクの黒い炎。


 三つが重なり、彼の腕へ新しい請求書を書き始める。


 肩を越え、首筋まで黒字が上がった。


 累積肩代わり 八千百二十六件。


 未決済残高 計測不能。


 王国最大債務者 アルベリク・ルーセル・オーレリア。


 債権者 ――


 歓声が消えた。


 民衆が一歩ずつ後ずさる。


「八千人分を、あの王子が?」


「だから黒いのか」


「救ったんじゃない。集めたのでは」


 救世主と呼んだ口が、次の瞬間には悪魔と囁く。


 アルベリク自身にも分からない。


 八千件は、あの夜に肩代わりした数と一致する。


 だが、未決済残高はなぜ計測できない。


 記憶で払ったはずの代金は、どこへ残っている。


 第一回と第二回の請求まで、今の自分へ重なっているのか。


「これは何だ」


 アンブローズへ問う。


 大司教は答えなかった。


 ただ、火刑台で見たものと同じ目で、アルベリクを見ていた。


 処刑する相手ではない。


 再び災厄になるかもしれない王を見る目だった。


 黒い文字が喉元で止まる。


 最後の一行だけが、広場の全員へ読める大きさで浮かんだ。


 最大債務者 アルベリク。



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