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第14話 母の遺言は途中で切れる

火刑まで、あと七日。


「署名を」


 死の床にいる父へ、アルベリクは証言書を差し出した。


 王都へ戻ったのは、日が沈む直前だった。


 ヨハネスが聖騎士団長の権限で、アルベリクを「明日の審判へ移送する囚人」として聖路へ通した。


 セシリアもイルマも、別の馬車で入っている。


 王宮は静かだった。


 国王危篤の報せは伏せられ、廊下には祝いの白布がまだ残っている。


 寝室にいるのは四人だけだった。


 寝台の王。


 第一王子エドマンド。


 大司教アンブローズ。


 そして、追放された第七王子。


「久しぶりに会った息子へ、最初に言うことがそれか」


 王の声は、紙を擦るように弱い。


「陛下は私を息子ではなく、器として登録した」


「その呼び方をするのだな」


「証言中です。署名を」


 机には、同じ文面の紙が三通ある。


 一通は明日の審判で読む。


 一通は砦へ送る。


 一通は敵国のザフィールへ渡す。


 どれか一つを燃やしても、罪が消えないようにするためだ。


「私が謝れば、考え直すか」


「謝罪を証言の代わりにしないでください」


「赦さないと?」


「赦すかどうかと、何をしたかは別です」


 アルベリクはペンを王の手へ握らせた。


「王家が供物制度を利用したと、民の前で認めてください」


「利用はした。だが、私が作ったのではない」


「それも書いてあります」


「私だけを悪王にすれば、話は簡単だぞ」


「死んで善人になろうとする者を知っています」


 セシリアの顔が浮かんだ。


 信じる感情はない。


 それでも、姉が死へ逃げなかった言葉は残っている。


「悪王で終わるのも逃げです。誰から受け取り、誰へ渡したか、全部話してください」


 王は息子を見つめた。


 かつてなら、その視線だけで口を閉ざしたかもしれない。


 今は父への恐れがあるのかさえ、よく分からなかった。


「アンブローズ。席を外せ」


「告解であれば残ります」


「これは王の命令だ」


「私は証人として呼ばれました」


 アルベリクが言った。


「省略した真実で、また書き換えられないために」


 大司教は穏やかに一礼した。


「承知しました」


 王は目を閉じた。


「制度は、私が即位したときにはあった。先王も、その前も使った。飢饉を止め、疫病を退け、国境を守った」


「代金を知っていた?」


「寿命を使うとは知っていた」


「誰の寿命かは」


「知らなかった」


「知ろうとしなかった、では?」


 王の喉が動く。


「……そうだ」


 エドマンドが窓辺で拳を握った。


 王は続ける。


「先王の代で、王家の器が尽きかけた。七番目が必要だと言われた」


「私が生まれる前に」


「お前が男児だと分かった夜だ」


「なぜ私だった」


 沈黙。


 答えたのはエドマンドだった。


「私が拒んだからだ」


 アルベリクは兄を見る。


 二十二歳。王太子。幼いころから一画も乱さず文字を書く人。


 授印石の裏にあった署名も、その手のものだった。


「兄上は七歳だった」


「意味は全部分からなかった。だが、私か、生まれてくる弟か、どちらかの名を書けと言われた」


「誰に」


 エドマンドの目が父へ向く。


「陛下に」


 王は否定しなかった。


「私は、自分の名を書けなかった。お前の名はまだ決まっていなかったから、『第七の器』と書いた」


「それが私の最初の名前か」


「すまない」


「七歳の子どもが選ばされたことは、兄上の罪ではない」


 エドマンドの表情が崩れかける。


「だが、その後十五年、黙っていたのはあなたの選択だ」


 希望を持たせた直後に、切る。


 自分でも残酷だと思った。


 それでも必要だった。


 兄を可哀想な子どもだけで終わらせれば、また記録から大人の責任が消える。


「証言書へ書いてください。署名した年齢も、黙っていた年月も」


「分かった」


 エドマンドは机へ座った。


 端正な字が、一画だけ震えた。


「母上は知っていたのですか」


 アルベリクが王へ聞く。


 王の顔に、初めて痛みが走った。


「知った。お前を産んだあとに」


「何と言った」


 母の顔を思い出せない。


 声も聞こえない。


 だから、父の口からでも受け取るしかない。


「一人で払うな」


 王が息を吸う。


「皆にも払わせるな、と」


 アルベリクの左手首が熱を持った。


 第一回 全額単独。


 第二回 共同名簿封印。


 母は、二つの結果を知っていたのか。


「ほかには」


「お前へ伝えろと言われた。だが私は、あれを熱に浮かされた言葉だと思った」


「続きを」


「思い出せない」


「嘘だ」


「本当だ」


「私は母上の顔も声も失った! あなたの記憶しか残っていない!」


 王の襟をつかむ。


 身体は驚くほど軽かった。


「思い出せ!」


「アルベリク」


 父が初めて、名を呼んだ。


 器ではなく。


 第七王子でもなく。


「すまない」


「それでは足りない」


「分かっている」


 王の皮膚から、白い光が抜け始めた。


 腕、胸、頬。


 借りていた年月が、一筋ずつ天井へ上っていく。


 光の下から現れたのは、骨と皮ばかりの老人だった。


 アルベリクの目に、請求書が開く。


 王命延命代 三十一年。


 返済者 王国民四百十三名。


「また、誰かの寿命で」


「私が望んだ」


 王は震える手で、証言書へ署名した。


「国のため長く生きる必要があると、自分に言い聞かせた」


 三通すべてへ王印を押す。


「公開しろ」


「します」


「私を救わないのか」


 父が問う。


 アルベリクは手を伸ばしかけた。


 四百十三人の寿命を戻すなら、王の命は終わる。


 王を生かすなら、誰かが払い続ける。


「救いません」


 答えた声は震えた。


「それでいい」


 王は目を閉じた。


 最後の白い光が、胸から抜ける。


 息が止まった。


 誰も泣かなかった。


 エドマンドは、父の手から落ちた王印を拾った。


 アルベリクは証言書三通を抱えた。


「貸せ」


 エドマンドが手を出す。


「燃やすつもりなら、三通では足りないぞ」


「私の名を足す」


 兄は三通すべてへ、自分が弟を器に選び、その後も沈黙したと書き加えた。


 王印の隣へ、摂政印を押す。


「一通は城門の布告板へ。もう一通はヴェルナへ。最後はナディールへ送る」


「父上が死んだから、正直になった?」


「父上が死に、次に隠せる立場が私になったからだ」


 エドマンドは王印を見た。


「これを持ったまま黙れば、十五年前と同じになる」


「告白しても、署名は消えない」


「消すつもりはない」


「私に赦してほしい?」


 兄は首を振った。


「覚えていてほしい」


「私は忘れるかもしれない」


「なら、国中に覚えさせる」


 エドマンドは扉の外へ控える書記官を呼び、最初の一通を渡した。


 逃げられない場所へ、自分の罪を置いた。


 赦せなかった。


 憎みきるための記憶もなかった。


 残ったのは、署名された事実だけだった。


「前も、こうだった」


 大司教が呟いた。


 あまりに小さな声だった。


 けれど、アルベリクは聞いた。


「前?」


 アンブローズの目が王の亡骸から離れる。


「今、何と言った」


「王の死には、立ち会ったことがあります」


「この王が死んだのは今だ」


「すべての王は死にます」


「言葉をずらすな。前とは、いつだ」


 大司教は答えない。


 アルベリクは聖遺物簿を突きつけた。


「第一回と第二回を知っているのか」


「知って、どうします」


「同じ失敗を避ける」


「過去の自分が正しかったと信じて?」


「結果は二つとも失敗だ」


「ならば、あなたがまた同じ道を選ばないと、どう証明しますか」


「答えになっていない」


「明日、民の前で答えていただきます」


 大司教は火傷した両手を法衣の袖へ戻した。


「明朝、熱鉄の審判を行う」


「神に私を裁かせると?」


「いいえ」


 慈父の微笑みはなかった。


「前と同じになる前に、人間があなたを裁きます」




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