坂下
「小万さん、幸せになれたのかしらね」
「どうでしょうね。若くしてお亡くなりになったそうだけど」
関の茶店を出て、次の宿・坂下へ向かう途中の、ミケタマである。
さっき見た、小万の寂しげな表情が、忘れられない。
「私、女の人には、みんな幸せになってほしいわ」と、ミケコ。
「そうよね。同感だわ」と、タマコ。
関を出て、市街地ともしばらくお別れ。
道はいよいよ険しい山道へと入っていく。
箱根と並ぶ、東海道の難所、鈴鹿峠を越えるのだ。
山道に入ってすぐのところに、転び石という岩石があった。
「これが、転び石ですって。もっと真ん丸かと思ったら、意外と四角いのね」
「何度片付けても、街道に転がり出たという、伝説の石なんですって。別名を弁慶転がし」
二人は、弁慶がコロコロ転がっていくさまを想像して、おかしくなった。
「プッ、おかしい」
「本当ね」
さらにしばらく行くと、今度は筆捨山が見えてきた。
「大きな岩石がゴロゴロしてるわね」
「昔、室町時代に絵師が描こうとしたけど、あまりの素晴らしい眺めに、筆を捨てたという伝説があるそうよ」
山の天気がコロコロ変わるので、描けなかったという伝説もある。
だんだん細くなる鈴鹿川。
源流に近づいているのだ。
それを横目に見ながら、道はますます険しくなっていく。
「うー、寂しいところね」
「昔の旅人は、心細かったでしょうね」
鈴鹿峠の手前に、鏡岩と呼ばれる、岩がある。
別名を鬼の姿見。
岩面が鏡のような光沢を持つ奇岩である。
かつてはこの辺り、山賊が出たという。
物陰に潜み、この岩に映った旅人の品定めをしていたのだとか。
残念ながら、明治時代の山火事によって、岩質が変わってしまったようで、現代では鏡肌ではなくなっているが、昔はよく映ったらしい。
近未来では、かつての旅情を再現するため、ピカピカに磨き上げられていた。
そこに一人の男が、ミケタマが通るのを今か今かと待ち構えていた。
(はあ、はあ。鈴鹿峠名物・鏡岩に映ったミケタマを眺める幸せ……)
ご存知、日影ウスオである。
この旅の間中、ずっとミケタマの尻を追いかけている彼は、尋常でないレベルの影の薄さを誇っている。
先ほど、確認のために鏡岩の前に立ってみた。
すると、本物の鏡の如くに磨き上げられた近未来の鏡岩といえど、彼の姿を映し出すことはできなかったのだ!
それをいいことに、ここでミケタマの後ろ姿と、岩肌に映った正面姿とを同時に楽しむという、難度の高い変態行為に及ぼうとしていた。
(しかも、左右逆転だぞ。左右逆転だぞ!)
二度も言うことではないが、趣味が特殊なレベルに達した彼の心中など、図る術はない。
そこにミケタマがやってきた。
「ふう、ようやく鈴鹿峠までやってきたわよ」
「やっと三重県も終わりね」
物寂しかった峠が、パアッと華やぐ。
鏡岩の前で、しばし立ち止まるミケタマの二人。
「これが鏡岩ね。本当に鏡みたいに良く映りますこと」
「かつての旅人は、こんなふうにゆっくりしてられなかったのでしょうね」
と、リラックスして鏡岩を眺めた。
「記念撮影するわよ」
「ありがとう、三重県。こんにちわ、滋賀県」
鈴鹿峠は、三重と滋賀の境目だ。
『ここより滋賀県』の看板の前で、パシャリ。
「じゃあ、行くわよ」と、ミケコはもう一度鏡岩に姿を映して、バイバイと手を振った。
「鏡岩さん、さようなら」と、タマコも手を振って行こうとしたのだが。
「あら?」
そのとき、物陰でかすかな音がしたのを、耳のいい人なら聞こえたかもしれない。
「どうしたの、タマ?」
「今、私たち以外にも、もう一人誰かが映っていたような気がしたんだけど」
「もう一人?嫌ね。もしかして山賊じゃないでしょうね?」
相方を怖がらせてはいけないと思い、タマコはこう言った。
「そういう邪悪なものではなかったと思うけど」
「じゃあ、何、悪の大魔王か何か?」
「それは邪悪でしょう」
気にすることではないということなので、先を急ぐことに。
「タマったら、お酒が切れかかっているんじゃないの?だからそういう幻影を見るのだわ」
「やだ、ミケと一緒にしないでよ」
峠を下っていく、ミケタマである。
そんな二人の後ろ姿を眺める、二つの目。
日影ウスオは、ドキドキしていた。
鏡岩には映らない彼。
堂々とミケタマの後ろに忍び寄っていたのだが……。
「な、な、な、何だ?タマコさんには、この僕が見えたのか?」
気づかれそうになって、慌てて物陰に隠れた次第であった。
鏡岩の正面に立って、自分の姿を映してみる。
岩の表面には、彼の後ろの様子がバッチリ映っていた。
「だ、大丈夫のようだな。ちゃんと映っていない……」
だとしたら、どうしてタマコが気付いたようだったのか、疑問であったが、彼は事実を魔解釈した。
「あ、愛の力だ!僕とタマコさんとの間にある、愛の力がそうさせたのだ!」
一方、その頃タマコは……。
(やだ、幽霊見ちゃったかもしれない。うー、またお祓いが必要かもね)




