(17)卒業式と、おみくじ
拓二の大学の卒業式は、入学式同様、日本武道館で行われた。
卒業式に先立って、大学の大教室で学位授与式が行われ、拓二は学士の学位記を受け取った。
生物化学研究室へ立ち寄ると、安田助教がいた。
「ついに卒業だね。おめでとう」
安田助教が、拓二をねぎらった。
「ありがとうございます。これもひとえに安田先生の熱いご指導のたまものです」
拓二をいじることが好きな安田助教へ、拓二はやや大げさにお礼を言った。
「でも、まだあと二年間、マスターでお世話になりますので、これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ。本当は君の恋愛の指導もみっちりとしたいところなんだけどね、なにぶん独身で恋愛経験が乏しい僕には少々荷が重くてね」
「安田先生、ご心配には及びません。恋愛についてのご指導は先生の業務範囲外ですので、大丈夫です」
「その後、彼女とはうまく行ってるの?」
「だから、そもそも彼女じゃありませんし、付き合っていませんから」
「好きなんでしょ?」
「またこの展開ですか……彼女、じゃなくて、この前、ちょっと用事があってお会いした女性は、今年結婚するんですよ」
(墓穴を掘った)
安田助教にいじりの材料を与えてしまった。拓二は後悔した。
「そうなの? フラれたの?」
「付き合っていませんから、フラれたわけではありません」
「だけど、好きだったんでしょ?」
「もう、話が堂々めぐりじゃないですか」
「だって、君が素直に好きだって言わないから」
「言うわけないじゃないですか」
拓二は、苦笑するしかなかった。
「東京大神宮へお参りに行ったらどう?」
「東京大神宮、ですか?」
「知らないの? 恋のパワースポットとして有名だよ」
「知りませんでした」
「大学からも近いし、武道館からも近いから、卒業式が始まる前にでも立ち寄ってみたら?」
「はあ……と言うか、いったい何をお願いするんですか?」
「決まってるじゃん。彼女との恋愛がうまく行きますように、ってお願いするんだよ」
「何度も言わせないで下さい。彼女は、もうすぐ結婚するんですよ。彼女との恋愛なんて、うまく行きようがないじゃないですか?」
「ほら、やっぱり君は、彼女のことが好きだったんだね?」
(あれ?)
拓二は、綾子のことを想うと、なぜか胸が痛むのを不思議に感じた。
スーツ姿の男子と、袴姿の女子が、大学から九段下方面へぞろぞろと連なって歩いている。卒業式会場である日本武道館へ向かう人の群れである。
外堀通りの桜並木も、北の丸公園の桜もまだつぼみが付いたばかりであり、開花までにはもう少し日数がかかりそうであった。
「東京の桜の開花を判定する標本木は、靖国神社内にあるソメイヨシノなんだよ」
先刻、雑学に詳しい安田助教が、拓二にそんなことを言った。
(東京大神宮か)
安田助教に教えられ、気になったので調べてみると、東京大神宮は大学から日本武道館へ行く途中にあった。
卒業式が始まるまでまだ少し時間があることもあり、拓二は仲間と別れて一人で東京大神宮へ行ってみることにした。
鳥居をくぐると稲荷神社がある。その奥に、東京大神宮の本殿があった。
境内は参拝客でにぎわっていた。圧倒的に女性が多い。
神明造の立派な本殿前には、参拝客が列をつくっていた。拓二は特に意識せずに列の最後尾に並んだ。
(いったいオレは、何のために並んだのだろう?)
列に並んでしばらくたってから、拓二は自分自身をいぶかしんだ。
綾子のことがしきりに想い出される。このところ、安田助教にさんざんいじられてきたので、綾子のことを考える時間が多くなった。
そのせいか、これまで綾子へ抱いていたほのかな好意が、好き、というレベルにまで高まってしまったようである。
だが、今さらそんな想いを抱いたところで、自分にはどうすることもできない。
(綾子さんは、結婚が決まっているのだ)
不毛な喪失感が、拓二を苦しめた。安田助教がいじらなければ、自分はこんな気持ちにならずに済んだのに、と、拓二は安田助教をうらめしく思った。
拓二の順番が来た。
小銭を賽銭箱へ投げ入れ、二礼二拍手一礼の参拝を行った。参拝の間、拓二は特に何も考えなかった。
参拝を終えると、おみくじを引いた。拓二は、神社を参拝した後、おみくじを引くのが習慣になっていた。
卦は、大吉だった。
「朝日が昇るような大運勢です。この愛はきっと結ばれます」
(もし「この愛」が綾子とのことを指すのであれば、これほどむなしいことはない)
拓二はおみくじを引いたことを後悔し、すぐにおみくじ掛けにおみくじをくくりつけ、足早に鳥居の外へ出た。
日本武道館に到着し、アリーナ席へ着席した。
拓二は、大学の四年間の出来事をあれこれ思い出しながら卒業式に臨んだ。派手なことは何もなかったが、地味に楽しかった。
結局、彼女はできなかった。両親は離婚し、自分は大学院へ進学することになった。あとまだ二年間、学生生活は続く。
綾子のことがちらっと脳裏をよぎった。
(もういい加減、綾子のことを想うのはやめよう)
拓二は、強いて別のことを考えようとした。
卒業式のあと、仲間たちで集まり、居酒屋を何軒もはしごして夜通し飲み明かした。
拓二は翌朝の電車に乗り、引っ越したばかりのアパートへ帰った。
知子も三郎もすでに出かけていて、アパートにいなかった。拓二はスーツを脱ぎ、さっとシャワーを浴びてから、布団に入って寝た。




