(13)離婚協議
知子と拓二は、約束の時刻に間に合うように家を出て、電車に乗った。富雄には前日、知子から電話で連絡してあった。
知子と拓二は、約束の時刻よりも少し早めに駅前の喫茶店に到着した。
店内を見渡したが、富雄の姿はなかった
二人は窓側の四人掛けのテーブル席に並んで座った。すぐに店員が水を持ってやってきたので、知子はコーヒーを二つ注文した。
約束の時刻になったが、富雄はまだやって来なかった。二人はしばらく、コーヒーを口に運んだりして、黙って富雄の来着を待った。
二人は、知子と富雄との離婚協議をしにこの場に来ていた。すでに知子と三人の息子たちが話し合って、富雄以外の家族全員一致で離婚することが方針として決まっていた。
この日は、知子が用意した離婚届に富雄の署名捺印をしてもらうつもりであった。
離婚協議を夫婦二人だけで行うのは、ややもすると危険が伴うかもしれないので、誰か一人が同席したほうが良いということになり、その同席者に拓二が選ばれた。
筋からすれば、長男の一雄がその任にあたるべきところではあるが、一雄が富雄と会うのは年に数回、富雄が家へ来たときだけであるのに対し、拓二は、数ヶ月前までは毎月、小遣いをもらうために富雄の会社で富雄と会っていたので、まだ父子の交流の縁が深い、というのが、拓二が同席者として選ばれた理由だった。
(感情的になったり、声を荒げたりしてはいけない)
拓二は、自分にそう言い聞かせていた。
事ここに至った以上、少しでも円満に両親の離婚を成立させることが最重要課題であり、富雄に対して強い口調で怒りをぶつけたりするのは、それを妨げる結果にしかならない、と思っていた。
富雄は、約束の時刻よりも約五分遅れてやってきた。
「すまない。仕事が片付かなくて」
そう言って席に着くと、富雄は店員にコーヒーを注文した。
「ようやく底を脱したようだ。リーマンショックで大変な目に遭ったけど、がんばった甲斐があった」
富雄はそう言ったが、知子と拓二の反応は薄かった。
「社員も少なくなったけど、これからまた一歩ずつやっていこうと思っている」
拓二は、富雄の話を聞き流し、言葉を発した。
「分かっていると思うけど、今日は書類を持ってここに来た」
拓二は知子に、離婚届を出すよう促した。
知子はバッグから離婚届を取り出し、テーブルの上に置いた。すでに知子と、知子の保証人の署名捺印は済んでいる。
富雄は離婚届を手に取り、しばらくそれを眺めていた。
「そこにお父さんの署名捺印と、保証人の署名捺印をお願いしたいんだ。それがあれば、市役所へ持っていける」
富雄はまだ離婚届を見ていた。
「保証人の署名捺印は今日は無理だろうから、一旦それを持って帰ってもいいよ。出来上がったら、オレの携帯へ電話してほしい。オレがお父さんの会社へ取りに行くから」
富雄はようやく離婚届から目を離した。そして、二人に言った。
「生活費のことなら、さっきも言ったけど、ようやく底を脱しつつある。だから、来月ぐらいからまた渡せると思うんだ」
(まだそんなことを言うのか)
拓二は頭に血がのぼりそうになったが、今日はあくまでも冷静に、と自分をなだめた。
「ここしばらく、苦労かけてしまって申し訳なかった」
富雄は、知子とよりを戻したいつもりなのだろうか。拓二には富雄の意図がよく分からなかった。
「今住んでいる家を、三月半ばまでに出なければならなくなったわ」
知子が初めて言葉を発した。
「そうなのか。どうして?」
「家主が転勤先からこちらへ戻ってくることになったからよ。もともと期間限定での契約だから、こちらが出なければならないの」
「そうだったのか」
「一雄は一人暮らしすることになったわ。私たち三人は、誠司さんの紹介で小さいアパートを借りて住むことになったから、もうすぐそこへ引っ越すわ」
「そうか……」
富雄にとって、初めて聞く話ばかりだった。




