歩ける旅装
翌朝、公爵家の工房に七脚の椅子が並んだ。
昨日の女性客は、茶会で噂を聞いた客たちを連れてきた。公爵が用意したのは、工房に続く広間と着替えのための衝立だけだった。
「私が盗用ではないと説明することもできます」
公爵は開場前、私にそう告げた。
「ですが、それでは公爵家の言葉を信じるか、ミレーヌの言葉を信じるかという話になります」
「あなたの仕事を見てもらう、と」
「はい。それで十分です」
公爵は頷き、客席の後ろへ下がった。
代わりに話すことも、私の手元へ口を出すこともしなかった。
私は仕立台へ旅装を広げた。
深い青色の上着は、立っているだけなら美しく見える。だが右袖が内側へねじれ、座れば背が引きつれた。肩幅だけを測り、動くためのゆとりを入れずに作られている。
「まず、ご希望を伺います。この旅装で、どのように過ごされますか」
「馬車に乗り、宿では自分で荷物を運ぶわ。旅先の礼拝堂へも行きます」
「では、歩く、座る、腕を上げる。三つの動作を試していただきます。上着の内側を解いてもよろしいですか」
「ええ」
許しを得てから、私は右袖と脇の裏地を解いた。
客席から、小さなざわめきが起きた。完成した衣装へ鋏を入れるのは、壊すように見えるのだろう。
けれど、縫い目を解けば、布がどちらへ行きたがっているかが分かる。
私は肩から肘、肘から手首までを測った。次に椅子へ座ってもらい、背から腰までを測り直す。腕を前へ伸ばしたときに不足する分を指でつまみ、印を置いた。
「昨日の原型は使わないの?」
客の一人が尋ねた。
「使えません。この方と、昨日試し袖を着た方では、肩の傾きも腕の上げ方も違いますから」
新しい試し布を身体へ当て、肩の頂点、布目、腕のゆとりを三針で留める。
それが原型の始まりだ。
「歩いてください」
女性客が広間を往復する。
「次はお座りください」
背へ斜めの皺が寄った。私は三針を一度抜き、半指分だけ留め直した。
「両腕を、棚の荷物を取る高さまで」
腕は上がったが、裾が持ち上がる。
もう一度、脇のゆとりを変える。
三人の職人は、私が指示する前に自分の仕立台へ動いた。細かな曲線が得意な者が袖山を整え、力強く一定の針幅を保てる者が背を受け持つ。長く座ると腰を痛める者には、立ったままできる裏地の仕上げを頼んだ。
「正午までに仮縫い。昼の休息後に本縫いへ入ります。夕刻の鐘までに間に合わせます」
急げば昼前にも縫える。
だが、疲れた手で仕上げた縫い目は旅の途中でほどける。見物人がいるからといって、いつもの工程を曲げるつもりはなかった。
女性客も頷いた。
「待つわ。旅先で破れるよりいいもの」
正午、仮縫いした上着をもう一度着てもらった。
女性客は十歩歩き、椅子へ腰を下ろした。背に皺は寄らない。右腕を頭上まで伸ばしても、袖はねじれず、裾も元の位置に残った。
「まだ完成ではありません」
歓声を上げかけた客たちへ、私は告げた。
「これから縫い目を整え、裏地を戻します。着心地は、夕刻にもう一度お確かめください」
驚いたように私を見る顔があった。
以前の私は、その言葉を口にできなかった。セルジュが納期を優先し、ミレーヌが飾り紐を選び終えると、まだ歪みの残る衣装まで完成品と呼ばれていたからだ。
私は針を取った。
午後は、三人の針音が途切れず重なった。
その途中、工房の扉が開いた。入ってきた二人の職人は、侯爵家の工房で使われていた灰色の前掛けを身につけていた。
「見学させてください」
一人の手には糸巻きの跡があり、もう一人の親指には、厚地を扱う者特有の硬い胼胝があった。
「セルジュ様から、ここで見た型を覚えて戻れと言われたのです」
客席の空気が冷えた。
「ですが、盗んだと責めている相手の技を盗めという命令には従えません」
二人は灰色の前掛けを外し、畳んだ。
「今朝、工房を辞めました」
先に去った五人と合わせて、退職した職人は七人になった。
私は二人をすぐ勧誘しなかった。
「最後まで見ていってください。そのあと、どこで何を縫うかは、ご自分で選んでください」
二人は客席の端へ立った。
夕刻の鐘が鳴る少し前、最後の糸を始末した。
完成した旅装を着た女性客は、まずゆっくり歩いた。それから椅子へ深く座り、両腕を上げる。最後には、床へ置いた旅行鞄を自分で持ち上げた。
青い布は肩から裾まで滑らかに落ちたまま、どこにも引きつれを作らなかった。
「あら」
女性客は腕を回し、今度は声を上げて笑った。
「軽いわ。同じ布なのに、昨日までよりずっと軽い」
「布を軽くしたのではありません。身体と反対へ引いていた箇所を直しました」
「旅先へ持っていくつもりはなかったの。馬車で一刻も座れば、背中が痛くなったから」
女性客は上着の前を留め、鏡の前で振り返った。
「でも、これなら着ていける。これは私の旅装だわ」
その一言が、どんな反論よりも広間へ響いた。
七人の客は順に袖の落ち方を確かめ、縫い目を覗き込んだ。一人が私へ尋ねた。
「同じ形しか縫えないという話は、誰が言ったのだったかしら」
「ミレーヌ嬢よ」
別の客が答えた。
「私は今日、自分の目で見たことを話すわ。エレノア・リースは、着る人が動いてから形を決める、と」
噂は、私が追いかけなくても、客自身の足で戻っていくだろう。
見学していた二人の元職人も、畳んだ前掛けを抱えて一礼した。一人は厚地を扱う工房を探し、もう一人は明日改めてここで働く条件を聞きたいという。
それぞれが、自分の行き先を選んだのだ。
客が帰ったあと、公爵は空いた椅子を一脚ずつ元の場所へ戻した。
「私が噂を否定しなくて、よかったのでしょうか」
「はい。着心地は、身分の高い方の言葉でも代わりに感じられませんから」
「では私も、見たことだけを申し上げます」
公爵は私ではなく、三人の職人と三つの仕立台を見た。
「一人の腕前だけでは、夕刻までに完成しなかった。あなたが三人の力を見つけ、三人が自分の持ち場を仕上げたから間に合った」
私が最も見てほしかったところだった。
「ありがとうございます」
そう答えると、公爵は温かな茶の載った盆を持ち上げた。
「片づけの前に、皆で休んでも?」
「もちろんです」
私たちが椅子を囲むと、公爵も同じ輪の中へ座った。指先へ戻る茶器の熱とともに、胸の奥にも小さな温かさが広がった。
だが翌朝、届くはずの裏地が届かなかった。
代わりに布商が青ざめた顔で現れ、空の荷車の前で頭を下げた。
「侯爵家から、あなた方へ一反でも布を売れば、今後の取引をすべて打ち切ると通告されました。同じ使者が、ほかの二軒にも向かっています」
三軒の布商が脅され、新工房へ来るはずだった荷車はすべて止められた。
婚礼衣装十二着の納期まで、あと二十六日。
仕立台は整った。職人の手もある。
けれど、裁つための布が一反も届かない。
(第5話へ続く)




