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開かれた内側

 王宮の衣装室に、三十二着分の許しがそろった。


 王太子妃殿下をはじめ、婚礼衣装を着る方々には、あらかじめ一つずつ説明した。旧工房から回収して保管されていた十二着と、仕立て直した参列者用二十着の裏地を一部外し、縫い代と古い針穴を確かめること。確認したあとは、私の手で元どおりに閉じること。そして、断ることもできること。


 衣装は、着る方のものだ。真相を確かめるためであっても、私が勝手に刃や針を入れてよいものではない。


「以前の私の衣装から始めなさい」


 王太子妃殿下は、そうおっしゃって衣装台の前に立った。張りつめていた職人たちの呼吸が、かすかに揺れる。


「内側に残ったものまで含めて、これは私が着る衣装です。誰の仕事で作られ、誰の仕事で直されたのか、私自身が知りたいのです」


 ほかの三十一人からも、同じように同意をいただいた。誰一人、私に判断を預けなかった。それぞれが衣装を見つめ、自分で開くことを選んでくださった。


 私は保管されていた王太子妃殿下の以前の衣装を裏返し、脇の裏地を指二本分だけほどいた。絹糸が擦れる、ごく小さな音がする。表からは見えない縫い代が現れた。


 細い針を差し込んで糸を持ち上げ、布を傷めないよう、一目ずつ開く。急げば証拠も衣装も損なう。衣装室に並ぶ全員が見守るなか、私はいつもの仕立台にいるつもりで手を動かした。


 そこに、三つの穴があった。


 肩から袖へ向かって、わずかに間隔の違う三つ。私が着る方に腕を動かしていただいたあと、袖山の位置を決めるために打つ三針の跡だった。


「この穴です」


 元の針子が、保存していた糸を白布の上に置いた。抜かれた形のまま、三針分の糸が小さく折れている。彼女の指先は震えていたが、糸を置く位置に迷いはなかった。


 穴へ重ねると、撚れた位置も長さも一致した。


「ミレーヌ様は、これを抜かせました。穴は爪で横へ伸ばして、見えなくしろと」


 確かに穴の周囲だけ、布の糸が横へ押し広げられていた。指の腹でなぞれば、そこだけ織りがわずかに薄い。洗っても、押しても、針が通った事実までは消えない。


 王太子妃殿下は穴を見下ろし、静かにお尋ねになった。


「この三針が残っていれば、どうなっていましたか」


「腕を動かしたあとで、着る方に合う位置へ直せました。これは完成の印ではありません。直す場所を忘れないための印です」


「では、それを抜いて完成したと言ったのですね」


「はい」


 私は次の衣装を開いた。その次も、その次も。


 三十二着すべてに、三針の跡があった。


 残っていた穴も、爪で消そうとされた穴もあった。裏地を開くたび、着用者の表情が変わった。驚き、怒り、それから、自分の衣装を確かめた者だけが持てる納得へ変わっていった。


 穴の位置は、一着ずつ違っていた。私の未完成の原型を使ったあと、着る方の動作に合わせて肩頂点、布目、腕のゆとりを定めた場所だけが、三針を抜かれたまま残されていた。


「裁断も再現できます」


 年配の裁ち手が、三十二枚の端布を番号順に並べた。私は裁ち手の横へ端布を渡す者と、使用した長さを測る者を置いた。誰か一人の記憶だけに頼らず、同じ手順を皆の前で繰り返せる配置にした。


 王宮が用意した試し布は、当時と同じ幅だった。裁ち手は一番の札から順に、流出した原型の写しを置いていく。身頃、袖、脇布、裳裾。置き方を迷うことはなかった。三年間、ほぼ一人で裁断を担ってきた手は、嫌だった仕事の順番まで覚えていた。


 布へ原型が置かれるたび、乾いた紙の音が重なった。


 十枚目で、袖の布目が逆を向いた。


 十九枚目では、身頃の片側が布端へ寄った。


 三十二枚目を置いたとき、試し布の上には、端布の切り口と同じ形の隙間が残った。端布をそこへ置けば、鋸の歯のような切り口までぴたりと重なる。


「セルジュ様から、布目は構わない、できるだけ詰めろと言われました」


 裁ち手は、原型の端を押さえたまま言った。


「いつもの置き方より布が少なく済むと。逆らった布目で裁てと命じられたのは、あの一度だけです」


 王宮の衣装係が、通常の配置と再現した配置に使った試し布を測った。巻尺を端へそろえ、長さを読み上げ、残りを重ねる。


 節約された量は、十八パーセントだった。


 偶然で一致する数字ではない。


 セルジュは私の未完成の原型を持ち出し、布代を十八パーセント減らすため、三十二着を布目に逆らわせて一括で裁たせた。ミレーヌは、私が打った三針を抜かせ、仮縫いの穴を消させた。そして修正前の線を自分の考案として示した。


 若い職人が、震える息を整えてから口を開いた。


「エレノア様が夜に直していたことも、お二人は知っていました。昼にミレーヌ様の仕事として客へ見せて、動かない箇所は、夜のうちにエレノア様の台へ回していたんです。翌朝直っていると、またミレーヌ様の名で渡していました」


 私が直した衣装の数を、私は数えていなかった。着る方が困らないように、目の前の一着を直していただけだ。針を入れるたび、翌朝に間に合うかだけを考えていた。


 その一着ずつから、私の名だけが抜き取られていた。


 腹は立った。胸の内側を、粗い糸で引かれるようだった。悲しくないふりをする必要もなかった。


 けれど、セルジュとミレーヌに返してもらいたいとは思わなかった。二人が奪った名前を、二人の口から返されても、私の仕事は増えも減りもしない。


 衣装に残った三針と、布を裁った手と、糸を抜いた手が、もう事実を示していた。そして三十二人が、その事実を自分の目で確かめていた。


「確認は終わりました」


 私は王太子妃殿下に告げた。


「では、今度の婚礼で着る衣装を、最後に確かめてください。正しい布目で仕立てられたものを」


「はい」


 私は開いた以前の衣装の裏地を元どおりに閉じてから、本縫いを終えた婚礼衣装を両手で持ち上げた。縦の布目を指先で確かめ、窓から差す光へ透かし、左右を重ねる。布は無理なく同じ方向へ垂れた。


 王太子妃殿下に腕を上げ、下ろし、振り返っていただいた。


 布は身体の動きに沿って落ちた。袖山は引かれず、胸元にも皺が走らない。王太子妃殿下がもう一度腕を上げると、周囲から安堵の息が漏れた。


 肩の本縫いに緩みがないことを確かめ、裾を整え、最後に残っていた糸屑を払う。


「確認は終わりました」


 王太子妃殿下が歩かれると、婚礼衣装は遅れずについていった。立ち止まれば裾も静かに収まり、腕を胸の高さまで上げても肩は動きを妨げない。


「軽いわ」


 殿下は肩を回し、微笑まれた。


「これなら、誓いの間ずっと、自分の身体で立っていられます」


 そのお言葉で、私の仕事は終わった。名前ではなく、仕上がった衣装と、それを着た方の声が私の腕を証明してくれた。


 衣装室を出ると、廊下に公爵が待っていた。確認の場へ立ち入らず、扉の外で私たちの判断を待っていたのだ。


「旧工房には、今朝、差し押さえが入りました」


 融資元が金貨八百枚の借入から、織機六台の売却分二百四十枚を引いた返済残額、金貨五百六十枚を回収するためだという。裁ち鋏、仕立台、押し鏝、巻尺、残っていた反物と裏地まで、道具と在庫を合わせて三十一点が運び出された。


 織機六台に続き、三十一点。職人は累計十三名が去り、旧工房には、三十二着の注文を形にする手も道具も残らなかった。


 私は頷き、針箱の留め具を閉じた。助けに行く理由はない。壊しに行く理由もない。私は、選んでくださった方の衣装を完成させた。それだけでよかった。


「エレノア」


 公爵が私の名を呼んだ。


「婚礼のあと、交際の申し込みとは別に、私的な問いを一つしてもよいでしょうか」


 何を問われるのかは分からなかった。それでも、今ここで答えを求めず、問うことの許しから私に選ばせてくれる。


 仕事を見たあとで、私自身の答えを待ってくれる。その順番が、私には心地よかった。


 私は小さく頷いた。


「はい。婚礼のあとでしたら」


 公爵の肩から、わずかに力が抜けた。触れられてはいないのに、胸の奥だけが針先ほど熱くなる。私はその熱を急いで縫い留めず、針箱と一緒に持ち帰ることにした。


 その夜、差し押さえの札が下がった旧工房で、セルジュとミレーヌは、残された椅子を向かい合わせていた。


 道具も布もない。新しく縫える衣装は一着もない。それでも、婚礼の最終披露には、王侯貴族と三十二人の着用者が集まる。


 セルジュは入場の時刻を書いた紙を卓上へ押しつけた。


「完成したあとなら、縫えないことは問題にならない。皆の前で着るのを止めさせればいい」


 ミレーヌは、流出した原型の一枚を握り潰した。


「最終披露で訴えます。新工房の衣装は危険だ、と」


(第36話へ続く)

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