五つの動作が選ぶ一着
公開の仕立て比べの日、広間には九家の貴族と、それぞれの衣装係が集まっていた。
旧工房に残っている年間契約は、ちょうど九件。その全員が、自分の目で結果を確かめるために来ていた。
正面には二つの衣装掛けが並んでいる。
一方には私たちの新工房で仕立てた礼装。もう一方には、ミレーヌが旧工房の名で用意した礼装が掛けられていた。
「同じ時間で仕立てたのかしら」
ミレーヌは集まった客へ聞かせるように言った。
「こちらは三日で完成させたわ。いつまでも仮縫いを繰り返せば、身体に合うのは当然でしょう」
私は礼装の肩を指で確かめてから答えた。
「今日は、仕立ての速さを比べる場ではありません」
「負けるのが怖いから、条件を変えるつもり?」
「いいえ。着る方が礼装を選ぶとき、完成までの時間だけを身につけるわけではないからです」
広間が静かになった。
衣装は、衣装掛けの上で美しく見えればよいのではない。着る人が歩き、座り、誰かと言葉を交わすあいだ、その身体とともに動かなければならない。
だから私は、試着を引き受けてくれた女性へ向き直った。
「試す動作は、私ではなく、あなたがお選びください」
「私が?」
「はい。普段、礼装を着ているときに必要な動きを五つお願いします。順番も、ご自身で」
私が決めた動きなら、私の礼装に有利だと言われるだろう。公爵が決めれば、またひいきだと騒がれる。
けれど、実際に着る本人が選んだ動作なら、誰にも奪えない。
女性は少し考え、五つを挙げた。
長い歩幅で歩くこと。
椅子へ腰掛けること。
落とした扇を拾うこと。
右腕を上げて髪飾りへ触れること。
最後に、裾を踏まずに一度振り返ること。
「舞踏会で、本当にする動きばかりですわ」
「では、その五つを両方の礼装で試しましょう」
公爵は見物人の列、その端に立っていた。私の隣にも、試着台のそばにも来ていない。
私はまだ、公爵を呼ばなかった。
最初に、新工房の礼装を着てもらった。
腰の飾りは着用者が選んだ位置にあり、座ったときにも脇腹へ当たらない。肩の内側には腕を上げたときだけ開くゆとりを残し、裾は立っているときの長さではなく、踏み出した足へ布がどう流れるかを見て裁ってある。
女性は広間の端まで大きな歩幅で進んだ。
裾は靴先を避け、後ろへ素直に流れた。
椅子へ腰掛けても、襟は喉へ上がらない。立ち上がったあとも、腰の飾りは元の位置に戻った。
床へ置かれた扇を拾うため、上体をかがめる。背の布は張ったが、縫い目に引かれるほどではない。
右腕を上げても、肩線はずれなかった。
最後に振り返ると、裾が半円を描いて広がり、足元へ静かに収まった。
「もう一度、振り返ってもよろしい?」
女性が尋ねた。
「もちろんです」
今度は先ほどより速く振り返った。それでも裾は絡まず、飾りも揺れたあと同じ位置へ戻る。
「軽いわ」
その一言に、職人たちの張りつめていた息がほどけた。
私は喜びを抑え、肩と裾をもう一度確かめた。五つの動作は、すべて通った。
次は旧工房の礼装だった。
着替えを終えた女性が姿を見せると、広間から感嘆の声が上がった。正面だけを見れば華やかだった。肩には多くの飾りが重ねられ、裾にも細かな刺繍が広がっている。
ミレーヌは満足そうに胸を張った。
「見栄えの差は、もうお分かりでしょう」
けれど、女性が一つ目の動作を始めると、声は止まった。
長い歩幅で三歩進んだところで、右の裾が靴先へ巻き込まれた。転びはしなかったが、女性は歩みを止め、自分で裾を払わなければならなかった。
椅子へ座ると、腰回りに余った布が横へ押し出され、裾の刺繍が斜めにねじれた。立っても元へ戻らない。
扇を拾おうとかがんだ瞬間、肩の飾りが前へ落ちた。
「まだ三つ目です」
女性の静かな指摘に、ミレーヌの唇が固くなる。
「着方が悪いのよ。肩を後ろへ引いて」
「普段から、その姿勢のまま扇を拾う者はいません」
答えたのは、九家の衣装係の一人だった。
女性が右腕を上げる。
袖に引かれて肩線が首元まで持ち上がり、前へ落ちていた飾りがさらに傾いた。襟の片側も浮いている。
最後の動作は、振り返ることだった。
女性が慎重に身体を回した。それでもねじれた裾は足についてこず、刺繍の重みで外側へ折れた。正面へ戻ったときには裾の形が崩れ、片側だけが短く見えていた。
肩と裾。
衣装掛けでは隠れていた二つの崩れが、着用者自身の動きによって広間の全員へ示された。
「速く仕立てても、私はこれを着て舞踏会へは行けません」
女性はそう告げ、自分の手で旧工房の礼装を脱いだ。
私は勝ち名乗りを上げなかった。
旧工房を責める言葉も必要なかった。五つの動作を選び、二着を身につけた人の言葉が、すでに答えになっている。
やがて、九家のうち一人が旧工房との年間契約書を衣装係へ渡した。
「本日付で解約の手続きを」
それを合図にしたように、別の家も、また別の家も続いた。
違約金を口にする者はいなかった。実際に礼装の崩れを見た以上、約束された仕立てが果たされていないと、九家すべてが判断したのだ。
一件、二件と契約書が閉じられていく。
最後の九件目が解約を告げたとき、旧工房に残る継続貴族客は零となった。
セルジュは止めようとしたが、誰も彼の言葉を待たなかった。客たちは私に移ると約束したのではない。ただ、自分の意思で旧工房を選ばないと決めたのだ。
それでよかった。
私は空になった試着台の横から、見物人の列へ目を向けた。
公爵は最初と同じ場所にいる。試験の途中で口を挟まず、結果が出ても私の功績を代わりに語ろうとはしなかった。
「公爵」
私が呼ぶと、ようやくこちらへ顔を向けた。
「こちらへ来ていただけますか」
「はい」
公爵は私に招かれてから、初めて列を離れた。そして試着台の前ではなく、私の隣へ立った。
「五つとも、着る方が選んだ動きでした」
「ええ。だからこそ、誰のひいきでもない結果です」
肩が触れるほどではない。それでも、自分から隣へ招いたことを意識すると、胸の奥が少しだけ速く鳴った。
公爵は近づきすぎず、私と同じ方向を見ていた。
私はその距離を、自分で選べたことがうれしかった。
広間を片づけ、新工房へ戻ったのは夕刻だった。
職人たちと礼装を衣装箱へ収めていると、表戸の前へ旧工房の荷車が止まった。運び込まれたのは布ではなく、厚い帳面と、セルジュの印が押された前金返還の書付だった。
旧工房がまだ完成させていない品について、客から受け取った前金を返さなければならないらしい。
ところが、返還を負担する工房として記されていたのは、侯爵家ではなかった。
帳面の支払先には、私たちの新工房の名が書き加えられていた。
貴族客をすべて失ったセルジュは、今度は未完成品の前金まで、私たちに肩代わりさせようとしていた。
(第29話へ続く)




