↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
24/30

十二着が動いた日

 最終実演の朝、私は十二着の裾を一着ずつ持ち上げ、縫い目の裏へ指を滑らせた。


 見た目を確かめるためではない。縫い代が立っていないか、重なりが動きを妨げないかを、指先で読むためだ。


「十二着、すべて確認しました」


 私が告げると、仕立場に並んだ職人たちが息をついた。


 王家用の十二着は、六着ずつの二組に分け、そのうち二着を調整用として組の間を行き来させながら仕上げた。体形の違いを無理に同じ線へ押し込まず、肩、脇、腰、裾の重なりで揃って見えるようにしてある。


 襟一筋、袖二筋、裾三筋の飾りも、色味の違う布を欠点にせず、光の移る位置へ振り分けた。


 誰か一人が徹夜して整えた十二着ではない。


 曲線を得意とする者、長い直線を揃える者、布の薄い部分を扱える者。それぞれが選んだ仕立台で、自分の持ち場を終えた。そのたび次の者へ衣装を渡し、渡した者は必ず休んだ。


 だから今朝、十二着すべてを前にしても、疲れで震えている指は一本もなかった。


「参りましょう」


 私は使い終えた裁ち鋏を道具棚へ戻した。今日は切り直す日ではない。仕上げた衣装が、着る人の身体に答えを出してもらう日だった。


 王宮の試験室には、二列の衣装掛けが用意されていた。


 片側には私たちの十二着。向かいには、侯爵家の旧工房が揃えた十二着が並ぶ。


 セルジュとミレーヌも来ていた。ミレーヌは私たちの衣装を上から下まで眺めたが、声はかけてこなかった。セルジュは王家の係へ何度も古い御用達の実績を語っている。


 けれど、試験をするのは看板でも実績でもない。


 十二人の着用者だった。


 王家側から告げられた動作は、歩く、椅子へ座る、腕を上げる、六段の階段を上り下りする、深く礼をする、そして胸いっぱいに息を吸ったまま言葉を述べること。


 どれも礼装を着て行う、ごく当たり前の動作である。


 最初に、私たちの十二着が試された。


 一人目が歩く。裾は靴先を避け、遅れずについていく。


 二人目が座る。腰の重なりがわずかに開き、立ち上がれば元の線へ戻る。


 三人目が両腕を上げても、襟は首を引かなかった。


 私は順番に針目を追った。見慣れた衣装なのに、着る人が動くたび、胸の奥が固くなる。


 六段の階段では、裾を短くしたのではなく、膝が上がる分だけ内側が動いた。深い礼では背の布が引かれず、起き上がったあとにも皺が残らない。


 最後の十二人目が深く息を吸った。


「このまま、最後まで務めを果たせます」


 声は途切れなかった。


 王家の衣装係が、十二枚目の試験札へ印をつける。


「エレノア・リースの指揮する工房の王家用十二着、全着、全動作試験を通過しました」


 背後で、小さな歓声が上がった。


 私はすぐには振り向けなかった。十二人が苦しそうに胸元を押さえることも、裾を踏んで立ち止まることもなく、試験台の向こうまで歩いていく。その姿を、最後まで見ていたかった。


 衣装は掛けられているときではなく、人が着て動いたときに完成する。


 十二着がようやく完成したのだ。


 続いて、旧工房の十二着が試された。


 立っているだけなら、金糸の飾りも、揃った色も美しかった。


 だが、一人目が三歩進んだところで裾が膝へ絡んだ。二人目は椅子へ腰を下ろした途端、脇の縫い目を押さえた。三人目が腕を上げると、肩につられて襟が喉元まで上がる。


 前回、立位では目立った不具合のなかった一着も、六段の階段で止まった。


「これ以上は膝が上がりません」


 着用者は無理をせず、一段下りた。


 残る衣装も、礼をすれば背が引きつれ、息を吸えば胸元が締まった。十二着すべてに、いずれかの動作で不適合の印がついた。


「飾りが崩れぬよう、姿勢を保っていただければ問題ありませんわ」


 ミレーヌが進み出た。


 衣装係は静かに首を横へ振った。


「着用者を衣装へ合わせる試験ではありません」


 セルジュが、今度は納期の短さを訴えた。だが、それにも返事はなかった。私たちへ与えられた日数も、試された動作も同じだからだ。


 やがて王家の立会人が、二つの結果を読み上げた。


 新工房の十二着は全動作試験を通過し、王家用衣装として受領する。


 旧工房の十二着はすべて不適合。すでに決まっていた金貨二百二十枚の返金に加え、王家御用達工房の資格を正式に取り消す。


 セルジュの顔から血の気が引いた。


「お待ちください。あの看板は、侯爵家が長年――」


「長年の契約であっても、本日仕立てた衣装の代わりにはなりません」


 判断は覆らなかった。


 私は喜びを隠すためにうつむくこともしなかった。ただ、職人たちと一緒に十二着を受け渡した。


 旧工房を許すつもりはない。助けるつもりもない。そして、失敗を笑いに行くつもりもなかった。


 私たちには、まだ仕上げるべき参列者用十八着がある。


 それでも、王宮からの帰路、馬車が侯爵家工房の前を通ったときだけは、窓の外から目をそらさなかった。


 入口には役人が二人立ち、脚立へ上った職人が金色の看板から留め金を抜いていた。


 かつて私は、あの看板の下で十年間、同じ椅子に座って針を持った。夜ごと針を磨き、歪みを直し、それでも「針仕事しかできない」と追い出された。


 最後の留め金が外れる。


 金色の看板は、役人二人の手で地面へ下ろされた。


 音はしなかった。


 けれど、入口に残った四角い薄い跡が、そこに何があり、何が失われたのかを何よりはっきり示していた。


 工房へ戻ると、公爵は職人全員へ礼を述べたあと、私に少し時間を求めた。


 人のいない原型棚の前で、私は鍵を腰から外さずに向き合った。


「まず、仕事についてお伝えします」


 公爵はそう前置きした。


「十二着を完成させた技術だけではありません。着る人の呼吸を守り、職人の休息を削らず、それぞれの腕が働く場所を作った。私は、あなたの仕事に深い敬意を抱いています」


「ありがとうございます」


 まっすぐ受け取ることができた。胸を張ってよい言葉だと思えた。


 けれど、公爵はそこで話を終えなかった。


「そして、これは仕事の評価とは分けて伝えます」


 心臓が一度、大きく鳴った。


「私は、あなた個人にも好意を抱いています」


 原型棚の鍵が、手の中でかすかに温まった。


 うれしい。そう思った自分をごまかすことはできなかった。それでも今すぐ何かを答えようとすれば、十二着を認められた喜びと、この胸の高鳴りを混同してしまいそうだった。


 公爵は私の沈黙を急かさなかった。


「返事を求めるために告げたのではありません。あなたの仕事への敬意を、私個人の感情で曖昧にしたくなかった。それだけです」


 公爵は手を差し出さず、私が言葉を選べる距離を残した。


「今は、受け取っておきます」


 私がそう答えると、公爵は一度だけうなずいた。


 仕事の返事と、好意への返事は別のものだ。


 それを分けて待ってくれることが、何よりうれしかった。


 翌日の午後、最初の異変は布商から伝わった。


 金色の看板を失ったセルジュとミレーヌは、王家を取り戻そうとはせず、侯爵家と取引のある貴族客を次々に茶会へ招き始めたという。


 二人は十二着の試験結果を伏せたまま、こう訴えて回っていた。


「王家の判断は衣装の出来によるものではない。エレノアに好意を寄せる公爵が、ひいきして侯爵家を陥れたのです」


 その日のうちに、同じ話を聞かされた貴族客は八家に達した。


 外された看板の代わりに、二人は公爵の好意そのものを、私の仕事を汚す道具として掲げ始めたのだ。


(第25話へ続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。