白亜の昼食と、三段階の値札。
タン、タン、タン。
軽快な足音が階段から響く。
「ふぁ〜。店主、おはよう〜」
「ルナ! 待ってよ! 寝癖まだ直ってないよ!」
欠伸をしながらロビーへ降りてきたルナの背中を、ネスが慌てて追いかけてくる。
アトリエの中には、食欲をそそる香ばしい匂いが充満していた。
厨房から顔を出したレッターが、ぱぁっと花が咲くような笑顔を向ける。
「お昼ご飯、まだですよね? よかったら一緒に食べますか?」
帳場から、完璧な営業スマイルがすっと差し込まれる。
「銅貨五枚でいいですよ」
ルナが目を丸くした。
「無料じゃないの!?」
ネスが、肩をすくめてぼそりとこぼす。
「ブレないよね、ほんと……」
ルナが周囲を見回し、ふと首を傾げた。
「あれ? メテスは?」
リヒャルトが、羽根ペンをインク壺へ戻す。
「昨夕から調査に出たままです」
「白亜を単独で離れることもあるんだね」
チーン。
魔導リフトの到着音が鳴り、重厚な扉が開いた。
「めっちゃ寝たぁぁぁぁぁ……っ!」
両腕を大きく伸ばし、顔ツヤの良くなったギルド職員が降りてくる。
鼻をひくつかせ、目を見開いた。
「すっごく良い匂いする!」
「白身魚の香草焼きです!」
レッターがフライパンを揺らす。
じゅう、と魚の皮が焼ける音とハーブの香りが弾けた。
きゅるるるる。
ギルド職員の腹が、盛大に鳴る。
帳場に座るリヒャルトと、ばっちり目が合った。
「……いくらですか?」
リヒャルトが、黄金の睫毛を伏せて優雅に微笑む。
「銅貨八枚でいいですよ」
ルナとネスが、顔を見合わせた。
五枚と、八枚。
自分たちが三枚分、密かに特別扱いされていたことに気づく。
二人は帳場へ向き直り、無言でリヒャルトへ感謝の眼差しを送った。
カラン。
静かなベルの音が響き、扉が開く。
「……めっちゃ食欲が湧く匂いしてる!」
常連客が、吸い寄せられるように入ってくる。
メテスが不在のまま、外の札はまだ『準備中』へ切り替わっていなかった。
カランカラン。
「お! まだ間に合う?」
別の常連の冒険者までが顔を出した。
リヒャルトが、席を立たずににこやかに告げる。
「お手数お掛けしますが、扉の札を『準備中』へ変えてもらえますか?」
「おうよ」
冒険者が外の札を裏返し、そのままずかずかと入ってきてカウンターへ腰掛けた。
「大盛りで!!」
ゴリ。
乳棒を回す手が止まる。
瞳が、深く、重いため息と共に持ち上がった。
「うちはポーション屋だ」
リヒャルトが、流れるような動作でメニューと値札を提示する。
「本日のメニューは、白身魚の香草焼きとパン、特製茶のセットです。お代は銀貨一枚になります」
「よしきた」
常連客と冒険者が、一切の躊躇なく銀貨をカウンターへ置いた。
そのまま、リヒャルトがさらににこやかに続ける。
「なお、食後の微回復ポーションも追加できますが、いかがなさいますか?」
常連客が、迷いなく手を上げた。
「じゃあ、それも!」
冒険者が、負けじと身を乗り出す。
「あと、捻挫用もお願い!」
「あっ! 俺も欲しい! 疲れたらこれシリーズも頼むわ」
リヒャルトが、黄金の睫毛を伏せて優雅に微笑む。
「毎度ありがとうございます。たいへん結構なご判断です」
その瞬間。
ギルド職員の顔に、にやにやとした笑みが広がった。
銅貨八枚と、銀貨一枚。
圧倒的な身内価格で恩恵を受けたという優越感。
レッターが配膳した熱々のセットを前に、ギルド職員はドヤ顔で鼻の穴を広げ、ふふーん!と胸を張った。
常連客が怪訝な顔をする。
「どうした? 腹壊してるなら、代わりに食ってやるぞ?」
「ちがいますー! 俺の皿に触るな!」
慌てて皿を抱え込むギルド職員を見て、ルナとネスが顔を綻ばせながら白身魚を頬張っている。
その匂いに釣られ、ロビーのソファで寛いでいた他の居住者たちまでが身を乗り出した。
「えー? ずるーい!」
「レッターくん! 俺たちの分も頼めるー?」
冷ややかな声が、アトリエに落ちる。
「ここはポーション屋だ。レッター、先に腹を満たせ。コイツらは放置しろ」
店主が、乳鉢と薬瓶を無骨な手つきで片付ける。
リヒャルトが立ち上がった。
「では、我々も昼食としましょう」
エプロンで手を拭きながら、レッターが少しだけ眉尻を下げる。
「メテスさん、ちゃんと食べてるでしょうか」
店主は布巾を投げ置き、無愛想に言った。
「……取り置き多めで、残してやれ」
ぱちくりと。
レッターが瞬きをして、すぐに満面の笑みを浮かべる。
「はい! 追加で、メテスさんの好きなお肉も焼いておきますね!」
足元から、熱烈な催促が響く。
「きゅ!(おっひるごはーん!)」
「わふ(大盛り!)」
クリムが前足で床を叩き、ルゥが尻尾を床に打ち付ける。
不在の守護者が戻った時、すぐに温かい皿を出せるように。
今日も厨房は、美味そうな匂いと、やかましい笑い声に満ちていた。




