忌み子の記憶と、責任の在り処。
白亜の要塞から細道を抜け、大通りへ出る。
陽光と喧騒が、大盾と片手剣を帯びた体を包んだ。
「やぁ! メテス! お使いか?」
すれ違う商人が、気さくに声をかけてくる。
無言でこくりと頷く。
歩を進める。
「お! 白亜の弟子! 店主に、飲んだらモテるやつ作ってくれって伝えてくれ! また行くからな!」
常連の冒険者が笑って手を振る。
無言のまま、小さく肩をすくめて返す。
「ちょ! お前! 絶対頼んだぞ!?」
背中越しに響く笑い声。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
さっきの声を、まだ覚えている。
『フェアシュメテス』
『俺の弟子を、勝手に卑下するな』
ばつが悪くて視線を逸らした。
それでも、胸の奥は妙に熱かった。
店主に襟首を掴まれ、あの白い要塞へ引きずり込まれるまで。
自分がこんなふうに人から頼られたり、笑いかけられたりする日が来るとは、想像すらしていなかった。
『私の子ではない!』
『……なんと恐ろしい魔力だ』
『実験体に使えるんじゃないか?』
物心ついた時から、俺は人ではなかった。
ターゲットを屠り、有り余る異常な魔力を抽出されるための、名を持たない道具。
記憶を探っても、両親の顔は浮かばない。
あるのは、内側で暴れる魔力の熱。
強制的に魔力を吸い上げられる、全身の血が逆流するような吐き気。
薄れゆく意識を、鋭い刃の痛みで引き戻される感覚。
身体の至る所に、悍ましい術式を焼き付けられる焦げた肉の匂い。
いっそ終わらせてくれ。
そう願っても、忌み子の身体は意思に反して生きようと足掻き続けた。
ある日。
地下迷宮での戦闘訓練の待機時。
一人が取りこぼした魔物が、研究員へ襲いかかった。
奴は、横にいた俺の腕を引き、躊躇なく肉壁にした。
肉が抉られる鈍い音。
あぁ、ここで終わるのか。
冷たい石の床へ倒れ伏した俺を見下ろし、研究員は歪んだ笑みを浮かべた。
『……ふむ。この流れ出た魔力で、魔物を生み出したり引き寄せたりする実験がしたかったのですよ。忌み子と呼ばれる所以を、実証する絶好のチャンスです!』
治癒魔術をかけられることもなく。
血を流す俺の足首が掴まれ、迷宮のさらに奥深くへと引きずられていく。
意識が混濁する。
周囲の空気が、急に騒がしくなった。
耳鳴りがひどく、声は聞こえない。
地面に頬を擦り付けたまま、薄く目を開けた。
視界の端。
床に、異質な魔力を引く光る陣が視えた。
本能だった。
俺は這いずり、血まみれの手をその光へ伸ばした。
身体が、強烈な力で引っ張られる。
次の瞬間。
俺は、虚空を落下していた。
嘘だろ。
千切れた傷口から流れる赤い血が、空に舞う。
諦めた意識とは裏腹に、生存本能が魔力のオーラを全身へ纏わせた。
ドンッ!
ガシャン!
バンッ!!
ゴンッ!!
「……っ」
石畳だ。
肺から空気が弾き出される。
湿った石壁。古い水の匂い。
見知らぬ、薄暗い路地裏。
はぁ、はぁ、ははは……。
血の味でむせる。
ふと、人の気配がした。
「……チッ」
深く、ひどく不機嫌な舌打ちが落ちてくる。
顎を乱暴に掴み上げられた。
口の端から、無理やり青苦い液体を流し込まれる。
熱い。
抉られた肉が、強引に縫い合わされていく生々しい感覚。
男は俺を床へ放り出すと、無言で背を向けて立ち去ろうとした。
行くな。
……俺を、そこへ置いていくな。
「……助けたなら」
横たわったまま。
血に塗れた身体で、男の大きな背中を見つめる。
視界は濁っていない。はっきりと、声に出した。
「最後まで、責任を取るべきだ」
ピタリと。
男の足が止まった。
振り返らない。
沈黙が、路地裏の湿った空気を支配する。
やがて男は、肺の底から重い息を吐き出した。
「……面倒くさい拾い物だ」
男の大きな手が、俺の血まみれの襟首を乱暴にひっ掴んだ。
そのまま、引きずり上げるように歩き出す。
いつの間にか、足は大通りの喧騒から外れ、薄暗い裏道へと入っていた。
「……この路地が、そうだったな」
ぽつりとこぼす。
見覚えのある湿った石壁を見上げ、喉の奥が妙に熱くなる。
あの迷宮の転移陣に、手を伸ばさなければ。
店主が、いつもと違うこの道を通らなければ。
俺は確実に死んでいた。
どうせ使うために拾ったのだと思っていた。
だが、違った。
頭を撫でられた。
見返りを求める気配もなく。
生きて戻ったことを確かめるみたいに、あの大きな手が髪をぐしゃりと撫でた。
あんなふうに触れられたことは、一度もなかった。
不死鳥の血入りの特製強化ポーションも、惜しみなく渡された。
死ぬな、戻れ、立て、と身体の方へ先に叩き込むみたいに。
役に立てとは何度も言われた。
だが、無事に戻ることを前提に強くされたのは、あの場所が初めてだった。
だからだ。
元々、俺は前へ出て潰すための魔力を持っていた。
屠るための魔術は、身体の奥に焼き付いている。
抽出され、削られ、絞られながら、それでも余るほどに。
けれど、白亜ができた。
帰る場所ができた。
守りたい家族ができた。
あの男が立つ場所が、そこにあった。
だから俺は、自分で選んだ。
この魔力は、もう誰かに搾らせない。
誰かを肉壁にするためにも使わない。
俺が纏う。
俺が受ける。
俺が止める。
攻撃のためだけに与えられたものを、守るためのオーラに変える。
大盾を持つ。
片手剣を持つ。
前へ出る。
だが、狙うのは敵の喉じゃない。
この力は、白亜へ届く刃を折るための盾だ。
微睡みの迷宮でも、あの男は俺たちを庇って死にかけた。
あの背中が崩れた瞬間、世界の全部がどうでもよくなった。
真っ先に魔物を滅多刺しにして、泣き叫んだのは俺だった。
俺の弟子を、勝手に卑下するな。
あの一言が、まだ胸の奥に残っている。
白亜を守りたい。
家族を守りたい。
けれど、いちばん奥にあるのはもっと単純だ。
あの男を失うくらいなら、俺が壊れる方が先だ。
メテスは静かに踵を返す。
這い寄る悪意を迎え撃つ、西の森へ向けて。
白亜へ。
俺の家族がいる場所へ。
あの男が立っている場所を、二度と血で汚させない。
音もなく、守護者が駆け出した。




