忌み子の眼と、汚い世界への手紙。
カラン。
重い音を立てて、扉が開く。
ギルド職員が、幽鬼のような足取りでアトリエへ入ってきた。
そのままカウンター前の丸椅子へ、泥のように崩れ落ちる。
「……た、だいまぁ……こ、今度こそ……俺は寝る」
死に絶えそうな声だった。
すっ、と。
レッターがカウンターの奥から、湯気を立てる特製茶と、小さな紙袋を差し出した。
「お疲れ様です」
昨日彼が置き忘れていった特製の飴玉を、やさしい声とともに渡してくれる。
ギルド職員は泣きそうな顔になった。
「レッター君、ありがとう……! これ、飴玉の代金ね」
震える手で、銀貨と金貨をカウンターへ置く。
その硬貨を、横から伸びてきた白魚のような手が、滑らかに回収した。
「毎度ありがとうございます」
リヒャルトだ。
完璧な営業スマイルとともに、金色に輝く特製胃薬と、きっちり額面の書かれた領収書が差し出される。
ギルド職員は無言で頷いてそれを受け取った。
ゴリ。
店主が乳棒を回す。
「……それで?」
ギルド職員は特製茶を一口飲み、ふぅ、と深く長く息を吐き出した。
強張っていた肩の力が、少しだけ抜ける。
「……捕らえた連中から情報を引き出したらさ。……王都の腐った派閥争いとか、裏金とか、暗殺の段取りとか……そういうのは出るわ出るわ、だったよ」
「……ほう?」
「でも、俺たちが本当に知りたいのは、魔物を操っている黒幕の居場所とか、次の襲撃への備えとか、そっちなんだよ」
レッターが、目を丸くする。
「あ、そっちのですか」
「そう。実行犯のシッポは、きれいに切られてる。特殊な魔力なのか、禁忌の術か、魔導具か……痕跡が掴めない」
「……俺が出る」
静かな、けれどよく通る声だった。
アトリエの視線が、いっせいに壁際へ向く。
メテスだった。
静かにカウンターへ近づいてくる。
「……俺の魔力は、特殊だ」
リヒャルトの目が、微かに細められる。
「……視えるんですね?」
「ああ。……忌み子の俺が、こんなところで役に立つとはな」
メテスが自嘲気味に鼻を鳴らした。
その瞬間だった。
「フェアシュメテス」
地を這うような、重く冷たい声が落ちた。
ビクッ、と。
屈強なメテスの肩が、あからさまに跳ねる。
店主が、乳棒を止めて彼を睨み据えていた。
フルネーム。
それは、この白亜の主が、身内を本気で叱り飛ばす時の呼び方だった。
「俺の弟子を、勝手に卑下するな」
メテスは息を呑み、ばつが悪そうに視線を逸らした。
店主はしばらく黙ってから、小さく息を吐く。
「……頼めるか?」
メテスが、こくりと無言で頷く。
店主はカウンターの下から、小さなポーションの瓶を取り出し、メテスへ放り投げた。
「……万が一用だ。逃げることを優先しろ」
「……承知した」
メテスは装備の留め具を確認し、音もなくアトリエを出ていった。
残されたギルド職員が、顔を青ざめさせる。
「……え? もしかして……また俺、ギルドへ逆戻り?」
「お前は部屋で寝ろ」
店主が即答する。
そこへ、リヒャルトがすかさず別の小瓶を差し出した。
「今なら、質の良い睡眠をお約束する特製ポーションの在庫もございますよ」
「あっ、じゃあそれください!」
ギルド職員は追加で硬貨を置くと、特製茶を一気に飲み干し、飴玉の袋とポーション二本を大事そうに抱え込む。
そのままいそいそと、魔導リフトへ消えていった。
「きゅ!(良い夢みろよ!)」
クリムがカウンターの端で鳴く。
「わふ!(風呂入り忘れるなよ!)」
ルゥが床から低く吠えた。
再び静寂が戻ったアトリエ。
青苦い薬草の匂いの中。
リヒャルトが、閉じていた帳簿へ視線を落とす。
「……汚い世界ですね」
吐き捨てるような、冷たい声。
店主が、再び乳棒を握った。
ゴリ、ゴリ。
硬い音が、静かな空間を削る。
「……手紙を送ってやれ」
リヒャルトの羽根ペンが、ぴたりと止まる。
そして。
黄金の睫毛を伏せ、微かに、けれど確かに口角を上げた。
「……承知いたしました」




