表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
錬金術師のポーション屋。疲れたときはやっぱりこれ  作者: ChaCha


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

326/337

売る気のないクッキーと、手薄な領地。


カラン。


昼下がり。


常連の冒険者が静かにポーションを傾けるロビーへ、重苦しい足音が近づいてきた。


白い石畳を力なく引きずるように、ギルド職員がふらふらとアトリエへ入ってくる。


そのままカウンター前の丸椅子へ崩れ落ちた。


「……眠い。キツい。胃が痛い。もう辞めたい」


うわ言のような愚痴。


カウンターの奥から、湯気を立てる特製茶がすっと差し出される。

カップを置いたレッターの目元は、泣いたあとがはっきりと分かるほど赤く腫れていた。


ギルド職員はその目元を見て、それ以上は何も言わず、黙って青苦い茶を口へ運んだ。


「……姫様の焼いた不格好なパイ、もっと食べておけばよかった」


もう食べられないかもしれないと思うには、白亜での日々はあまりにも短すぎた。


レッターが、エプロンの裾を握りしめながら小さく問う。


「……姫様は、無事に領地を立たれたのですよね」


ギルド職員はしばらく黙り、カップの底を見つめた。

それから、ぽつりとこぼす。


「……ここにいた女の子と、最後に領主城で見た姫様は、もう別人みたいだったよ」


短い沈黙が落ちた。


ゴリ、ゴリ。

店主が乳鉢を回す音だけが響く。


手を止めることなく、低く返した。


「……そうか」


ギルド職員は、領主城で起きた血生臭い顛末を、途切れ途切れに報告した。

重傷を負った騎士団長が持ち堪えたこと。

特使と裏切り者たちが完全に拘束されたこと。

領主が、本気で自分を囮にして刃を受けたこと。


その報告の途中で、帳場に座るリヒャルトが薄く笑った。

ギルド職員が、じろりと恨めしそうに睨む。


リヒャルトは流れるような動作で、金色に輝く特製胃薬を一本、すっと差し出した。


「要りますか?」


「……予備は常に要ると痛感したので、二本ください!」


ギルド職員は懐から金貨を二枚取り出し、カウンターへ叩きつけるように置く。


そのあと、少しだけためらって言った。


「……あと、飴玉一袋と……姫様の焼いたクッキー、まだ残ってる?」


「ありますよ」


とレッターが言いかけるより早く、


「残念ながら」


リヒャルトが、ひどく冷たく、静かな声で告げた。


「売り物としては、もう在庫に残っておりません」


そう言って、リヒャルトは手元にあった小さな籠からクッキーをつまみ上げ、そのまま自分の口へ運んだ。


サクッ。


甘く、香ばしい音が帳場に響く。

黄金の睫毛が伏せられ、咀嚼する。


ギルド職員が、目を剥く。


「……君、それ」


「……次に備えたか?」


壁際の影から、メテスが短く断ち切った。


「へ?」


ギルド職員が間の抜けた声を上げる。


「領地が手薄になるだろう」


姫様の護送に、騎士団の生き残りと領主直属の精鋭部隊がごっそり割かれた以上、辺境の戦力は間違いなく分散する。

その穴を、次は別の何かが狙ってくるかもしれない。


リヒャルトが、クッキーの欠片すらない綺麗な指先でペンを持ち直し、さらりと続ける。


「……魔物を湧かせやすい箇所に、罠を増やすのがよいかと」


「やめてよぉ……俺、今、徹夜の事後処理明けで帰宅したばっかりだよぉ……」


ギルド職員は泣きそうな顔で、特製胃薬の栓を抜いた。


キュポンッ。

ゴク、ゴク、ゴク。

ぷはッ。


「……ギルドにすごく近い家でよかった!」


空の小瓶を置き、そのまま小走りでアトリエを去っていく。

悲鳴のような足音が、外の石畳へ遠ざかった。


カウンターの上には、レッターがそっと用意してくれていた飴玉一袋が、ぽつんと取り残されている。


あとに残った常連の冒険者が、ぼそりと呟く。


「……起きると思うか?」


店主が、乳棒を回したまま返す。


「……二度あることは」


常連の冒険者が、短く肩をすくめた。


「三度ある、か」


手元のポーションをぐいと飲み干し、丸椅子から立ち上がる。


「備えるに越したことはないな」


金属の擦れる音がして、冒険者もまた外へ出ていく。


静けさの戻ったアトリエ。

青苦い薬草の匂いの中。


カウンターの隅で、クリムが「きゅぅ」と小さく鳴いた。


いつもなら、そこにある手が、今日はない。


足元では、ルゥが低く「わふっ」と同意した。


少女はもう、ここにはいない。


それでも白亜は、外の血の匂いと繋がったまま、今日も回り続けている。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ