表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
錬金術師のポーション屋。疲れたときはやっぱりこれ  作者: ChaCha


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

311/337

白亜の朝は、請求書と共に。


朝の光が、白い石壁をやわらかく撫でていた。

目覚めは、信じられないほど穏やかだった。


用意された寝台が、身体をやさしく包み込んでいる。

王宮の寝具とは違うのに、身を沈めるたび、張りつめていたものが少しずつほどけていく。


少女は、ゆっくりと瞬きをした。


耳を澄ませても、不快な羽音はない。

誰かが忍び寄るような気配もない。


代わりに、階下から微かに漂ってくる美味しそうな香りと、誰かが立ち働く穏やかな生活音だけが、部屋を満たしていた。


「……あ。起きた?」


横から、ひどく気安い声が降ってきた。


見れば、寝台のすぐ隣で、アルテルナが大きな欠伸を噛み殺している。

その横では、ゲッセネスが椅子に座ったまま、うつらうつらと舟を漕いでいた。


どうやら、自分を一人にしないよう、ずっと側にいてくれたらしい。


「水、飲む? まだ身体重いでしょ」


アルテルナが、水差しから無造作にコップへ水を注ぐ。

そこに、王宮の侍女たちが見せるような恭しさも、怯えもなかった。


その少し雑な優しさに、少女はコップを持つ指先の力を、ほんの少しだけ抜いた。


「……ありがとう」


両手で受け取って、喉を潤す。

冷たすぎない水が、からからだった身体に静かに落ちていった。


コン、コン。


その時、絵に描いたように整ったノックの音が響いた。


「失礼いたします。お目覚めですか」


扉が開き、リヒャルトが入ってくる。


少女の心臓がトクン、と ひとつ大きく跳ねた。


リヒャルトは、完璧な営業スマイルを浮かべていた。

手には、小さな瓶がひとつ。


「まずはこちらを。朝の微回復です。空腹でも負担の少ないものを選んであります」


そう言って差し出された小瓶を、少女はおそるおそる受け取った。


「……飲めば、もう少し身体が楽になりますよ」


柔らかな声に促され、少女はこくりと喉を鳴らした。

やさしい効き目のポーションが、冷えた身体の内側へ静かに広がっていく。


リヒャルトは、それを最後まで見届けてから、流れるような所作で一枚の紙を差し出した。


「滞在中の治療費、食費、雑費。ならびに『極秘VIPルーム』の宿泊費のツケでございます。お支払いは後日、必ず」


「えっ?」


少女が目を丸くする。


「この守銭奴! 怪我人相手に朝から何やってんのよ!」

「……リヒャルトさん、本当にブレないなぁ」


アルテルナがすかさず噛みつき、ゲッセネスが呆れたように苦笑する。


王族に向かって、当たり前みたいに差し出されたツケの請求書。


少女はしばらくそれを見つめ、

それから、ふっと肩の奥の力を抜いた。


(……ここは、そういう場所なんだ)


王宮での「無償の優しさ」には、必ず裏があった。

派閥の思惑、政略の道具、あるいは毒。

何も要求されないことほど、恐ろしいことはない。


けれど、白亜の優しさには、すべて明確な値札がついている。

金を取る。対価を求める。


それは裏を返せば、対価を払う客である限り、簡単には切り捨てないという約束でもあった。


(払えるなら……ここに、いてもいいのよね)


そう気づいた直後、目の前の美しい男の顔が再び熱の理由みたいに浮かんで、少女はますます俯いた。


「どうかされましたか?」


瞳が合い、リヒャルトが小首を傾げて柔らかく微笑む。


胸の鼓動が、今度は羽虫の恐怖とはまるで違う熱で、落ち着かなく跳ねた。


「い、いえ! 必ず、お支払いしますっ!」


顔を真っ赤にして頷く少女に、リヒャルトは満足げに微笑んで一礼し、部屋を後にした。


入れ違うように、朝食のトレイを持ったレッターと、その後ろからメテスが入ってくる。


「おはようございます! 朝ごはん、持ってきました」


花が咲いたような笑顔と一緒に差し出されたのは、胃に負担をかけないよう煮込まれた具沢山のスープだった。

湯気がやさしく立ちのぼり、鼻先をくすぐる。


「お昼は地鶏の香草焼きを作りますね」


その横で、メテスが無言のまま硬めのパンをひとつ置いていく。

自分の分から抜いたのだと、なんとなく分かった。

「もっと食べろ」と言われた気がした。


少女は、そっとスプーンを入れた。

一口飲む。

じんわりと温かいものが、身体の隅々まで染み渡っていく。


王宮の皿の方が、きっと値は張る。

それでも、今口にしている温かさの方が、ずっと身体の奥まで届いた。


レッター特製の朝食は、信じられないほど美味しかった。


食事を進めながら、脳裏にあの日の冷たい記憶がかすめた。


眠っていたはずの自分。

何者かに連れ出され、あの泥と羽音の地獄へ放り込まれたこと。


ゾクリ、と背中が冷える。


王宮へ帰れば、またあの冷たい盤面の上に引きずり出される。

自分が「生きている」こと自体が、誰かの都合を悪くする。


けれど。


今ここにいる自分は、確かに息をして、温かいものを食べて、ツケを押しつけられて、笑い声の中に座っている。


ここでは、肩に乗っていた重さが少しだけ薄い。

息を吸ってもいい気がした。


そのことに気づいた瞬間、

少女の中で「今すぐ帰らなければ」という焦りが、静かに形を変えた。


そこへ。


「……起きたか」


低い声とともに、店主が部屋へ入ってきた。


部屋の空気が、一瞬だけぴり、と引き締まる。


少女はスープの匙を置き、姿勢を正した。


この要塞の絶対的な主。


彼に追い出されれば、自分はまた、あの冷たい世界へ戻らなければならない。


「あの……!」


少女は、祈るような、すがるような目で店主を見上げた。


「私、必ず払います。だから……もう少しだけ、ここに置いてください」


震える声での懇願。


店主は、少女の真っ直ぐな瞳をしばらく無言で見下ろしていた。


やがて、短く鼻を鳴らす。


「……ツケが払えねぇなら、皿洗いでもして働け」


ぶっきらぼうにそれだけ言い放ち、店主は背を向けて出ていった。


しん、と静まり返る部屋。


数秒の空白のあと、アルテルナとゲッセネスが同時に頭を抱えた。


「ちょっと! 王族に皿洗いさせる気!? あの店主!!」

「……本当に、誰が相手でも通常営業だね……」


二人の悲鳴みたいなツッコミを聞いて。


少女は、思わず吹き出した。


「ふふっ……あはははっ!」


声を立てて笑うなんて、いつぶりだろう。

笑い方が正しいかどうかも、誰の目があるかも、その瞬間だけは綺麗に抜け落ちていた。


護衛も侍女もいない、小さな部屋で。


少女の心からの笑い声が、温かいスープの匂いと一緒に、どこまでも明るく響いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ