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錬金術師のポーション屋。疲れたときはやっぱりこれ  作者: ChaCha


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頭を撫でる手と、帰還。


「大丈夫だよ。……今は、私たちがいるから」


その言葉を聞いても、少女はアルテルナの袖をぎゅっと掴んだまま、すぐには手を離せなかった。

揺り籠ポーションのおかげで呼吸は落ち着いている。

それでも、身体の芯にこびりついた怯えまでは、まだ完全には抜けきっていないようだった。


トントン。


不意に、短いノックの音が響いた。

アルテルナとゲッセネスの肩が跳ねる。


カチャリ。

外から鍵が開く音がして、扉がほんのわずかだけ開いた。

その隙間から、するりと店主が滑り込んできた。


扉の向こうの泥と血の匂いだけが、薄く流れ込む。

店主はまず少女の顔色を一瞥した。


次いで、テーブルの上に置かれた空の小瓶と、特製回復ポーションの残りを見る。

最後に、極度の緊張で張り詰めたアルテルナとゲッセネスの顔を、順番に見下ろした。


少女が、見知らぬ大人の男の気配にびくりと肩を震わせる。


店主はそれ以上、少女へは近づかなかった。

ただ、その鋭い眼に、状況をひと目で飲み込んだ色が浮かぶ。


アルテルナとゲッセネスは、何も言わなかった。

自分たちが少女に何を伏せたのかも、どうやって核心を誤魔化したのかも。


だが、店主にはそれで十分だった。


「……わかった」


短く落として、店主は再び少女を見る。


「すぐ騎士団に戻りたいか」


少女は、息を呑んだ。


戻るべきだとは分かっている。

けれど、防音のない壁の向こうから聞こえる怒号と足音を思い出しただけで、指先がひどく強張る。

掴んだままのアルテルナの袖へ、無意識に力がこもった。


店主は、その沈黙を否定しなかった。


「できれば、今日はここで大人しくしてろ」


押しつけではない。

だが、選ぶならそっちだとはっきり分かる、不器用な言い方だった。


少女は、毛布を握りしめたまま、小さく、小さく頷いた。


その返答を確認してから。


店主は、扉の前に立ち尽くすアルテルナとゲッセネスへ向き直った。


その顔はもう限界に近かった。

呼吸は浅く、目は充血し、立っているのがやっとのはずだ。

それでも、この防音すらない薄い扉の前から、一歩も動かなかった。守り切ったのだ。


言葉にはしない。

しないまま、店主の大きな手が、先にゲッセネスの頭へ、次にアルテルナの頭へ落ちた。


ぐしゃ、と。


少し乱暴な、けれど間違いなく労う撫で方だった。


それだけで、アルテルナの喉の奥に固まっていたものが、熱を帯びて少しだけほどけていく。


「……守ったな」


ただ一言。


その声に、アルテルナは泣きそうになるのを必死で堪え、ゲッセネスは深く頷いた。


少女は、毛布の端をぎゅっと握りしめたまま、そのやり取りを黙って見ていた。


外の喧騒は、夜が深まるにつれてようやくその質を変えていった。

悲鳴や怒号ではなく、疲れ切った重い声。

慌ただしい足音ではなく、泥を引きずるような鈍い帰還の音。


カラン……。


疲れ果てたベルが鳴る。


「ただいまー……」

「うおぉ、足が棒だ……」

「まだ鼻の奥が虫臭ぇ……」


白亜の有志たちと、ギルド職員がアトリエへ戻ってきた。


南の街道まで広がった大量発生は、ひとまず掃討が済んだ。

完全に消え去ったわけではない。残党はまだ森の奥に潜んでいる。

それでも、最大の峠は越えたのだ。


「残りの魔物も、引き続き店主のポーションを使って駆除していく流れになったよ……」


ギルド職員が、死んだ魚のような目でカウンター越しに報告する。

有志たちは泥だらけだが、生き残った安堵のせいか、妙に元気だった。


そこへ、職員がふらふらと店主へ寄り、周囲に聞こえないよう身を寄せて耳打ちした。


「……今回の大量発生、ただの虫害じゃないかもしれない」


店主が乳鉢を回す手を、ぴたりと止めた。


音が、消える。


ギルド職員は、思わず唾を飲み込んだ。

だが数秒の静寂のあと、店主は何も言わずに、再び乳鉢を回し始めた。


代わりに、ロビーにへたり込む居住者と有志たちの方へ向き直り、低い声で言った。


「手間賃が欲しいやつは並べ」


一瞬の静寂。


次の瞬間、


「わーい!!」

「並べ並べ!」

「俺、三本分は働いた!」

「俺だって五本分働いたぞ!」


あっという間に列が伸びる。

さっきまで死屍累々だったくせに、こういう時だけ信じられないほど元気だ。


店主は呆れた顔で、乳鉢の横からポーションや小袋を取り出す。

リヒャルトが横で流れるように帳簿をつけながら受け渡し、メテスが無言で列を整え、レッターがみんなに飴玉の小袋を配って笑っていた。


喧騒が少し落ち着いてから、少女はフードを深く被せられ、ほんの少しだけロビーへ出ていた。


そして、その賑やかな列の流れの中に、いつの間にかいた。


完全に隠れ切れてはいない。

だが、夜の帳場の仄暗い灯りと、目深に被ったフードのおかげで顔は見えにくい。


しかもなぜか、彼女はごく自然に、リヒャルトのすぐ横へ収まっていた。


無理もない。


泥眠へ落ちる間際に見た顔が、まだ胸のどこかに残っていた。

それが誰の顔だったのか、もう答えは出ているみたいに。


リヒャルトは、横に立つ小柄な影に気づき、一瞬だけ目を細めた。

気づいている。

だが、決して口には出さない。


少しだけ柔らかい顔で小瓶を差し出した。


「どうぞ。喉は渇いておられるでしょう」


「……っ」


少女はフードの下でこくりと頷いた。

小瓶を受け取る指先が、わずかに震える。

次の瞬間、白い頬へ、ぽうっと熱が差した。

それが灯りのせいではないことを、本人だけがうまく誤魔化せないまま、俯いてポーションを受け取る。


その、日常と非日常が混ざり合った光景を。


列の少し後ろから見ていたギルド職員が、ぎょっと目を剥いた。

両眼が、文字通り飛び出そうになる。


フードの奥。

見間違えるはずのない、あの顔立ち。

だが、絶対に、ここにいるはずがない存在。


職員の口だけが、酸欠の魚のようにひくひくと動く。


(まだいるーーーーーーっ!!!!!!)


声には出せない。

出したら、自分もこの要塞も、色々なものが終わる。

だから口パクだけで、魂の底から絶叫する。


そして反射的に、懐から手間賃としてもらったばかりの金色の胃薬へ手が伸びた。


キュポンッ。

ゴク、ゴク、ゴク。


「……っ、ぷはぁ!」


有志たちは、そんな職員を見てげらげらと笑う。


「また飲んでるよあいつ」

「それ、もう主食じゃね?」

「胃袋だけは一番働いてるな!」


だが、職員にはもう笑い返す元気すら残っていなかった。

恐怖と驚愕の限界を突破し、今はただ、死ぬほど眠い。

頭も、胃も、足も、全部が終わっている。


「……俺の部屋、どこ……」


床にへたり込みながらうわ言のように呟くと、


「お、寝具とかいるだろ?」

「作ってやるよ!」

「連れてけ連れてけ!」


有志たちが、勝手に職員の腕や脚を掴んで担ぎ上げた。

どう見ても、担がれて連行される側の絵だった。


「やめろ! 俺はまだ歩ける!」

「歩けてない歩けてない」

「ほら、新入りはこっちだぞー!」


ずるずると魔導リフトへ引きずられていくギルド職員を見て、白亜の空気がようやく、あの修羅場から『いつもの夜』へと戻っていく。


その、一日の最後に。


店主が、カウンターの前に並んだ顔をひとりずつ見た。


リヒャルト。

メテス。

レッター。

アルテルナ。

ゲッセネス。


そして、言葉より先に、その大きな手がポン、とそれぞれの頭へ落ちた。

順番に、軽く、でも確かに。


「飯食って、風呂入って、さっさと寝ろ」


短い。

けれど、それで十分だった。


目を細めた店主の顔を見て、あちこちで小さな笑いが零れた。


そうして、長かった白亜の一日が、ようやく静かにほどけていく。


フードを深く被った少女も、その輪の少し端で、小瓶を両手に持ったまま、そっとその光景を見ていた。


帰る場所がある、人間たちの顔。

傷ついても、泥だらけになっても、最後にはこうして笑い合える場所。


まだ自分が、その輪の中へ入っていいのかも分からない。

けれどもう、彼女はその温かさから、目を離せなくなっていた。

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