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錬金術師のポーション屋。疲れたときはやっぱりこれ  作者: ChaCha


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303/337

目を覚まされる前に。

表のロビーに殺気が充満する中、アトリエの裏手は別の混乱に呑み込まれていた。


「……え」


担ぎ込まれた少女へ駆け寄ったレッターが、外套の泥を払う手を止めた。


襟元。

泥の下でも隠れきらない金糸。

見間違えようのない、王家の紋章。


「ど、どええぇぇぇっ!?」


裏手に、ギルド職員の盛大に裏返った悲鳴が響き渡る。


その瞬間、アルテルナがびくっと肩を跳ねさせた。

ゲッセネスも、ひきつった顔でそっと目を逸らす。


レッターは顔面を蒼白にしながらも、震える手で杖を構えた。


「と、とにかく治癒を……!

 頭部の打撲、軽い裂傷、疲労、脱水……っ」


淡く温かい治癒の光が、少女の額から巨大なこぶの周辺へ流れ込む。

泥に汚れた髪が、浅い呼吸に合わせて微かに揺れた。


ギルド職員は両手で口を押さえたまま、膝から崩れ落ちそうになっていた。


「終わった……。俺の胃も終わったし、ギルドもたぶん終わった……」


「まずは、状況確認だ」


店主の低く重い声が、裏手の混乱をぴたりと止めた。


店主は、泥だらけのアルテルナを見下ろした。


「ルナ」


アルテルナは肩で激しく息をしながらも、反射的に即答する。


「虫の魔物の群れが災害級!!」


店主の視線が、その先を促す。


「人型は?」


「見てない! 追ってきたのは羽虫だけ!」


店主が次に、ゲッセネスを見る。


ゲッセネスは、小刻みに震える両手を強く握りしめながら、店主の側へ顔を寄せた。

泥に汚れた唇が、ごく小さく動く。


虫除けの香薬。

投擲。

直撃。

後頭部。

王家の紋章。


店主は、一度だけ深く目を閉じた。


「あー……」


心底面倒くさそうな、そして呆れ果てた重い息だった。


「……追っ手は無しだ」


その一言で、表のロビーに満ちていた殺気がわずかに引いた。

構えられていた杖先が下がり、壁際の刃も音もなく収まる。


ギルド職員だけが、まだ顔色を失ったまま食い下がった。


「無し!? 本当に!? 無しでいいの!?」


「最悪だ」


店主が即答する。


「だが、今ここへ雪崩れ込んでくる気配は無い」


その時だった。


「……なるほど」


リヒャルトの口元に、薄く、ひどく綺麗な笑みが浮かんだ。


「戦力不足と仰っていましたよね」


ギルド職員が、びくっと肩を震わせる。


「え……はい……」


「ならば、姫様をお探しの騎士団にも働いていただきましょう」


空気が、一瞬だけ不自然に静まった。


アルテルナがぱちぱちと瞬きをする。

ゲッセネスは、本能的に顔を引きつらせた。

ギルド職員だけが、その中身を悟って、さっと顔色を失った。


「えっ。ちょっと待って。利用する気!?」


「人聞きの悪い」


リヒャルトの顔は崩れなかった。


「姫様の捜索と虫害の制圧。目的は一致しております。戦力があるなら、使うだけです」


「うわ……」


アルテルナが思わず引いた。


「ルナ」


ゲッセネスが小声で止める。


「今は黙ってて」


リヒャルトの視線が、治癒光の下でまだ意識を戻さない少女へ落ちた。


「今、目を覚まされると厄介ですね」


穏やかな、世間話のような声だった。

けれど、そこに温度は一滴もない。


「事情説明の前に騎士団が到着すれば、盤面が壊れます」


「泥眠だ」


店主が短く切った。


「三日寝かせる。身体も精神も、その間に戻す」


ギルド職員が、ぎょっとして目を剥いた。


「三日!?」


「ちょうどいいでしょう」


リヒャルトがさらりと引き継ぐ。


「その間に、騎士団には森を徹底的に引っ掻き回していただく。ギルドの戦力は虫害へ。姫様は安全圏で保護」


声はやわらかい。

だからこそ、どこにも逃げ道がない。


「双方に利があります」


「姫様本人の意思が一個も入ってないんだけど!?」


「意識の無い者に、意見は聞けませんからね」


今度は、言葉より先に目だけが冷えた。


「怖い!!」


ギルド職員が半泣きで叫んだ。


店主が、カウンターの下から泥眠の小瓶をひとつ抜き出す。

液体が、裏手の薄暗がりで鈍く光った。


リヒャルトは、眠ったままの少女を見下ろした。


「姫様が目を覚まされる前に」


メテスが、壁際から短く落とす。


「……終わらせる」


レッターがびくりと肩を揺らし、それでも杖をぎゅっと握り直した。


「は、はい……! 僕も、やれることをやります!」


アルテルナとゲッセネスは、思わず顔を見合わせた。


三日。

短いのか長いのかも、もうわからない。


変成魔術師が杖を握り直す。

職人が、腰の道具袋へ手をやる。

常連客たちも、もう笑ってはいなかった。


もう、それで足りた。


「……協力できることはする」


誰かが低く言った。


「指示をくれ」


「表は押さえる」


「森の様子なら、すぐ見に行けるぞ」


その声へ、リヒャルトが静かに振り返る。

そこにあったのは、帳場の顔だった。


「ご協力くださる有志の方は、先にギルドで討伐クエストを受注してきてください」


一拍。

誰かの眉が上がる。


リヒャルトは、何一つ乱さないまま続けた。


「白亜に住まう方々の労力が、無報酬で切り売りされるなどあってはなりませんので」


「……ああ、なるほどな」


職人のひとりが、口の端を吊り上げた。


「そういうことなら、遠慮はいらねぇな」


「ギルドの金で、堂々と虫を潰せるってわけだ」


「賢明なご判断です」


リヒャルトの声は澄んでいた。

けれど、その目元には薄い愉悦が差していた。


店主はそのやり取りを聞き、短く言った。


「……三日だ」


それだけで十分だった。


リヒャルトが、散りかけた背へ静かに声をかける。


「ギルドが購入されたポーションも、お忘れなく」


受け取った虫対策ポーションを、皆が無言で腰ポーチへ収めていく。


そして、表の気配が一気に散る。

誰も騒がない。

迷いのない足音だけが、白い石を打って外へ広がっていく。


カラン、カラン。

ドアのベルが響き渡る。


店主が、あらためて二人を見る。


「アルテルナ、ゲッセネス」


びくっと肩を揺らしたアルテルナが、顔を上げる。


「は、はい」


震える唇で、ゲッセネスも続いた。


「はい」


「姫様から目を離すな」


一拍。


「お前らが拾ってきた火種だ。最後まで面倒見ろ」


アルテルナの顔が引きつる。


「うっ」


「や、やっぱり怒ってるよね……?」


ゲッセネスが小さく震える。


店主は鼻を鳴らした。


「当たり前だ」


即答だった。


「だが、放り出さずに連れて帰ったのは正解だ」


アルテルナが目を瞬く。

ゲッセネスも、はっと顔を上げた。


「裏手の部屋をひとつ空ける。レッター、寝台と水。リヒャルト、泥眠と結界魔導具。メテス、外の気配を見ろ」


「かしこまりました」


その返事は、速かった。迷いもなかった。


「……了解」


「は、はいっ!」


短い呼応とともに一斉に動き出す。

無駄口は一切ない。


アルテルナは、まだ泥だらけの手を見下ろした。

その手で、王家のご令嬢のフードをめくり、その手で、ここまで連れてきた。


「……ネス」


「うん」


「私たち、すごいの連れてきちゃったね」


ゲッセネスが、ものすごく遠い目をした。


「うん……でも、もう戻せない」


アルテルナは小さく息を吐いた。


二人は揃って、

泥眠へ落とされる少女を見る。


もう、目を逸らして済む相手ではなかった。


裏手ではレッターが慌ただしく水差しを運び、

リヒャルトが術式板へ細い指を走らせ、

メテスは音もなくロビーの警戒へ戻っていく。


その背中を見送りながら、ギルド職員が青い顔で呟いた。


「……俺、本当にこの家に引っ越し決めたけど……早まったかな」


クリムが、店主の肩の上で短く鳴く。


「きゅ!(手遅れ!)」


ルゥが床で低く喉を鳴らした。


「……わふ(……もう巻き込まれている)」


ギルド職員は、とうとう両手で顔を覆った。


裏手の空気はまだ張り詰めている。


それでも、ギルド職員を除いて

もう誰も立ち尽くしてはいなかった。


レッターは青ざめたまま杖を握り、

リヒャルトの指先は術式板の上を走り、

メテスは音もなく表へ戻る。

店主は無言で小瓶を選び取っていた。



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