表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
錬金術師のポーション屋。疲れたときはやっぱりこれ  作者: ChaCha


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

304/337

泥眠の寝息と、日常の音。


静かすぎる部屋だった。


裏手に、急ごしらえで空けた小部屋。

リヒャルトが置いていった結界魔導具の術式熱が、まだ空気の底に残っている。


その中で、ひとりの少女が眠っていた。


泥眠の底へ沈んだまま、長いまつ毛はぴくりとも動かない。

ただ、規則正しい寝息だけが、静謐な空気をわずかに揺らしていた。


レッターが水差しを取り替える。


コト、と。


なるべく音を立てないように。

濡れ布を固く絞り、少女の額へそっと当てた。


熱はない。

脈も安定している。


その流れるような動きの横で、アルテルナは部屋の隅をそわそわとうろついていた。


「……ねえ。起きたら、どうしよう」


親指の爪を軽く噛みながら、声を潜めて漏らす。


ゲッセネスは扉に背中を預けたまま、逆にひどく静かだった。


「……起きる前に全部終わらせるって、言ってた」


「……何をよ」


「……分かんない。でも、全部」


その「全部」が何なのか、二人にはわからない。


ただ、途方もないものを連れてきてしまったという事実だけが、重い鉛みたいに腹の底へ沈んでいた。


外の世界では、王家の人間に触れることすら許されない。

ましてや、後頭部に虫除けの香薬を全力で叩き込み、気絶させて担ぎ込むなんて、不敬罪で縛り首になっても文句は言えない。


部屋の外からは、いつもの白亜の音が聞こえてくる。


チーン。

魔導リフトの軽快な到着音。


カラン。

一階に客が入る音。


ゴリ、ゴリ。

店主が乳鉢を回す音。


日常の音が、いつも通りに続いている。


けれど、この扉一枚を隔てた内側には、ひどく場違いな寝息だけが落ちていた。


アルテルナはいたたまれなくなって、寝台へ近づいた。


泥で汚れた外套。

その下から覗く、金糸の刺繍。


「……これ、ちょっとくらい拭いた方がいいのかな」


手を伸ばしかけて、ぴたりと止まる。


触っていいのだろうか。

そもそも、自分みたいな路地裏上がりが、こんな高貴な布地に触れていいのか。


手が、空中で固まる。


「ルナ。……一回、座って」


「座れないわよ」


アルテルナが声を潜めたまま噛みつく。


「だって……あんな全力でぶつけたんだよ!? 虫から必死に逃げてたのに、訳も分からないまま、すっごい痛みと一緒に意識飛ばされちゃったんだよ……?」


王家がどうとか、不敬罪がどうとか、もうそういう問題じゃなかった。

自分たちの手から放たれた瓶が直撃した感触だけが、嫌に生々しく残っている。

理不尽に意識を叩き落としたのだと思った瞬間、喉の奥が塞がり、呼吸が浅くなった。


「大丈夫ですよ」


レッターが、絞った布を整えながら静かに言った。


「今は、ちゃんと眠れていますから」


手元は、少しもぶれていなかった。


アルテルナが、そろそろと顔を向ける。


「深く落ちてます。

 痛みも、怖かったことも、届いてません」


その一言に、アルテルナの強張っていた肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。


「……そっか」


空中で固まっていた手が、ゆっくり下りる。

ゲッセネスも、壁から背中を離して静かに息を吐いた。


カチャ。


扉が開いた。


店主だった。


無表情のまま寝台へ歩み寄り、少女の顔色と呼吸を一瞥する。


「……容態は」


「安定しています。熱もありません」


レッターが即答する。


「泥眠の残りは」


「あと二日と半日です」


店主は短く頷き、踵を返した。


部屋を出る直前。


扉の取っ手に手をかけたまま、

店主はアルテルナとゲッセネスを振り返った。


「……勝手に扉を開けるな。異変があればすぐ呼べ」


「は、はい」


「うん」


「……手を出した以上は、最後まで見ろ」


扉が、静かに閉まる。


アルテルナは、しばらくその場で動けなかった。

喉の奥が、ひりつく。

でも、部屋の外へ放り出されたわけでもなかった。


その夜。


「ネスが先に寝て!」


「僕が見張るから、ルナこそ目を閉じなよ」


ランプの灯りが落ちた部屋で、そんなやり取りが何度か往復した。


けれど、結局二人とも丸椅子から腰を上げることはなかった。


規則正しい呼吸だけが、薄暗い部屋に残っていた。


アルテルナは、冷たい石壁に深く背を預けた。


石の冷たさが、このアトリエの強固な守りを教えてくれる。


そのたびに、逃げられないこともよく分かった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ