第02話 チラシを見て来た人
自動ドアが開いてドアチャイムが店内に響く。
誰も出て来ない。
「失礼します・・・」
男は棚に展示されている標本瓶の中の『脳』を観ている。
暫くすると店の奥から店主のパラカスが出て来た。
アイパッチをして親しみやすい笑顔を浮かべ揉み手、擦り手の商売人である。
「あらッ!、いらっしゃいませ。何か気に成るモノが有りますか?」
「あッ、いや、この島に奇妙な店が在ると港の待合室で『美しい女性』からチラシを渡されたものですから」
「美しい女性? 奇妙な店? ・・・どこから来ました?」
「出張で、千葉から」
「あ~あ、千葉大学ですか?」
「い~え」
「たまに、千葉大附属病院の脳外科の先生(医師)がお見えになりますよ。アナタもお医者様ですか?」
「いや、私は哲学の方を主に研究している者です」
「ほう。哲学をね・・・。哲学の何を?」
「自我です」
「ホ~、自我。そうでしたか。・・・よかったらアナタの眼を見せてくれませんか」
「目? あ、どうぞ」
パラカスは男の眼の中を覗く。
「・・・何か気になる所があるのですか?」
パラカスは自分の頭の中に2個有る『1-Aの脳』を使って男の眼の中にピントを合わせる。
「う~ん。・・・アナタの歳は七五歳で血液型はO、膝が悪い。今朝の朝食は港の立ち食い蕎麦屋でコロッケをトッピングして食べて来ましたね」
「えッ! 目を見ただけで解るんですか?」
「眼は心の窓ですからね」
「なるほど。心は脳に支配されていると言うのですね」
「いいえ。脳と心は全く別物です」
「え? 脳の作用が無ければ心に刺激を受けないのでは(唯物論)?」
「逆ですよ。脳はただの心の道具です(唯心論)。そのバランスが悪くなると自我の安定が崩れてムカついて来たり、思いやりに欠けてたりするのです。ムカつくと血圧が上がり心臓の鼓動が激しくなる。ソレは脳と自我とのバランスが崩れるからです。いわゆる地球人がよく使う言葉、『ストレス』ですね。コレが続くと自我は『鬱状態』に成り、場合によっては自殺までに至る事があります。え~、たとえば、こちらの脳ですが・・・」
パラカスは棚から脳の入った標本瓶を1つ下ろして、テーブルの上に置く。
瓶にはシールが貼ってあり『ロシア兵の脳』と書いてある。
パラカスはその脳の説明を始めた。
「この脳には『シナップス』は付いていません。と言うよりも、外してあると言った方が良いかな」
「シナップス?」
「そうです。超微弱な電流を発生させて各細胞組織を繋ぐモノです。今、シナップスを取り付けてこの脳が見た生前最後のシーンを、あちらのモニターに映し出してみましょう」
「えッ! そんな事が出来るのですか?」
「出来ますよ。海馬が短期の記憶を整理・選別して大脳皮質に長期に記憶として保存して有りますから。この海馬にシナップスを繋ぎ、微量に刺激すると生前、彼が見たシーンが大脳皮質から引き出され、あちらのモニターに映像化されるのです。但し、この店では完全にリニューアル(クリーンアップ)した脳を販売しておりますから特殊な道具を使って記憶神経を刺激し、数値化したものを再入力して記憶を呼び戻します。少しお待ち下さい」
パラカスは電子レンジの様な『黒い箱』をテーブルの上に置いた。
蓋を開けて一本のコードを取り出し、標本瓶の下部に有るコンセントプラグに差し込む。
暫くすると黒い箱の上部の小穴から、水蒸気の様なものが立ち昇る。
すると壁のモニターに、ロシア兵とウクライナ兵が格闘しているシーンが映し出される。
<再現シーン>
ロシア兵は格闘中、ウクライナ兵のシューズに仕込まれたナイフで脇腹を刺された。
モニターは徐々にロシア兵の海馬に残された更に遠い過去のシーンに変換され、再現されて行く。
幼年期の頃、ママと公園で遊んでいるシーン。
徴兵されて兵隊に成り、敵を殺す訓練を受けているシーン。
そして、キーウの町に侵攻しているシーン。
怖さと怒りで震えながらロシア兵を狙ってマシンガンを撃っているシーン。
そして死の寸前の格闘シーン。
ナイフで脇腹を刺され、ウクライナ兵を恨めしそうに睨むシーン・・・。
そこまででモニターに映る映像は消え、暗黒に成る。
暗黒とは心臓の活動が停止し、自我の想起も同時に停止したのである。
「・・・終わりました。シナップスからの脳への接続が止まったのです。コレでこの兵士の脳は元の空の脳に成りました。」
「シナップスですか・・・」
「そうです。コレ(シナップス)が無ければ人間はただのマネキン人形の様なモノです。冒頭に話した様に自我から脳に作用して超微量な電流で身体全体を動かす非常に重要なモノです。操り人形の紐の役目をしているのです」
「こんなモノを見たのは初めてです」
「あ、そうだ! 脳を変えてみましょうか。シナップスを別の脳に接続させてみましょう。アナタの血液を一滴摂らせて下さい」
「えッ!」
「いえ、ただDNAを採取するだけですから。・・・面白いですよ。採取が終わったら、別の脳を使ってアナタの言う自我とコラボさせてみましょう。別室のモニターに映し出されますから、後でコピーしてお渡しします。ところで何か『ご希望の脳』は有りますか?」
「ご希望の脳?」
「そうです。たとえばアナタは自我に興味を抱いて居ると言いましたね。そこの隅に置いてある『科学者の脳』と書いてある物などいかがですか? 先週、ドイツの脳バイヤーから届いた新鮮なモノです」
「新鮮なモノ? 脳の?・・・」
男は気持ち悪そうに隅に置いてある標本瓶の中の脳を見詰めている。
するとパラカスが、
「それじゃあ、始めます。少しチクっとしますよ」
パラカスは男のDNAを採取するために小指に針を刺した。
出血した血液をシャーレに移し、特殊な顕微鏡を使ってそのDNAのナンバー(染色体・塩基・形等)をメモ用紙に書きとる。
そして奥の標本室に行き、基本台帳を広げ合致する脳を探し出した。
暫くして、標本室から標本瓶を持ってモニタールームに出て来る。
染色体の合致した『科学者の脳』をテーブルの上に置いた。
そして標本瓶の底(中心)の脳幹ソケットに、シナップスコードの先端のヒューズを取り替え、試験用シナップスの入ったヒューズに男から取り出した微量の塩基を注入し、繋ぐ。
しばらくすると壁のモニターに客の男が映し出された。
今回、使用するシナップスコードは若干太めで、コードの先端は5個のシナップスヒューズが黒い箱に差し込まれている。
そのせいか、壁のモニターには男の動きが手に取る様にリアルに映し出される。
ただ映し出された映像は容姿は、客の男だが行動は全くの別人である。
「今、使用している脳は『科学者の脳』で、映像に映る男性はアナタですが、アナタでは有りません。少し現実離れしていますが、あまり気にしないで観ていて下さい」
「えッ!?・・・はい」
男は暫く映像を観ている。
すると、映像上にやたら『鳥』が大空を飛んでいるシーンが出て来る。
男はパラカスに聞いてみた。
「何故、あのワタシは鳥を観て居るのでしょうか」
「たぶん、あの男性は自分の『自我』に目覚めたのでしょう。ソレはあの鳥を観る事によって」
「たぶん?」
「そう、『たぶん』。コレはあの男性(科学者の脳)が幼児期から脱皮した段階の映像ですね。鳥を見てあの男性(幼児期の科学者)は『アレ』はなぜ飛ぶのだろうと疑問に感じた時の映像です。生まれて最初に自我が形成(身の回りの事に興味を持つ)された時です。この事が発端で、将来この科学者は脳の海馬にインプットされたのでしよう」
「ああ、それで科学者の道に進んで行ったのですね」
「この脳はアメリカのバイヤーが持って来た物です。過去帳には『ウィルバー・ライト』と書いてありました。たぶんライト兄弟の兄だったかも知れませんね」
「ライト兄弟の兄の脳?」
「『カモ』ですよ。かも」
「・・・なるほど。彼は生まれて自我が形成される段階で飛んでる物に目が行ったのですね。と言う事は・・・この男が鳥を見なかったら人は飛ぶ事が出来なかったのですか?」
「ソレは分かりません。自我と云うものは沢山の経験により年輪として海馬にインプットされて行くものです。脳は自我の作用を印象付けするだけの道具ですから。だから、脳は整理中に過去を消去してしまう事もあるのです。コレを『忘れる』と言います。しかし、自我は過去の事を心臓が止まるまで残しているのです。シナップスの逆刺激で海馬に過去の想像を想起(再現)させる事が出来るのです。簡単に言えば人間と謂うモノは自我の赴くままに動かされている『本性の化身』ですね。あッ、そうだアナタは自我に興味を持つと言ってましたね。この脳なんかいかがでしょうか」
「え?・・・う、まあ・・・。でも高いのでしょう?」
「コレで・・・300万です。世界中に自分の名前が売れるとしたら安いモノでしょう。ちょうど今、キャンペー中ですから三十パーセント引きでシナップスを五つサービスしておきます」
「でも、脳だけ換えても・・・」
「あ~、セットでお求めになれば500万です。その場合はシナップスをワンカートン付けますが」
男は暫く迷っていたが、自分の脳内をリニューアルチェンジ(買い替える)する事に決めた。
つづく




