◆3-2
カリヨン演劇団が学院に腰を据えて数日、まだまだ生徒達の熱は冷めやらない。講義が終われば皆口々に、彼らの話が突いて出た。
「講堂で演劇団が稽古をしているらしいぞ」
「でも三姫はいないんだろ?」
「見に行ったけど、警備兵に帰された。くそっ、平民の癖に生意気な」
浮足立つ貴族子息達を白い目で見ながらも、三人娘は意外といつも通りに講義を受けていた。何より一番騒ぐであろうラヴィリエが、はしゃぐのを必死に我慢をしているからだ。放課後に女子寮へと帰る道を歩きながら、紫花が問う。
「ラビーは見学に行かないのかイ? 気になる役者もいるんだロ?」
「ええ、見たい気持ちは勿論あるわ、この胸がはち切れそうなくらい! でもでも、演劇団の練習をお邪魔してはいけないわ! 私にだって遠慮という気持ちはあるのだから!」
「意外でしたわ、貴女にそんなものがあったなんて」
「ガニーも言うようになったネ」
「でもちょっと我慢が出来なくなってきたから、今日は久々に私もシャッス演劇団を開演しようかしら! 今日の演目は――」
「いい加減にしろよあの野郎……!」
有り余る情熱を発散しようとしていたラヴィリエの声が、どう聞いても罵声に遮られた。曲がりなりにも貴族の子息が多い学院ではあまり声高に聞くことの無い、大人の悪罵に三人は顔を見合わせる。
自然に足音を抑え、道から逸れた灌木の間に身を潜めた。念のため、最近は常に従わせている、グラナートの影従者も傍らに伏せさせて。
こちらに歩いてきたのは、やはり見覚えが無い、制服ではない簡素な服を纏った大人の男性達であり、ほぼ間違いなく演劇団の一員だろう。見目はそこまで整っていないので、役者ではなく裏方なのかもしれない。彼らは憤懣やる方ないと言いたげに、聞いている耳が近くに在ることも気づかず声高に言い合っている。
「あんな薄気味悪い奴、団長もなんで置いとくんだか……」
「やっぱりスチュアートについて、王都に戻った方がいいんじゃねぇか? やってらんねぇよ」
口々に誰かを罵りながら、彼らは手に持っていた冊子らしき紙束を、まだ泥の柔い道にばさりと放り、踏みつけていった。思わず声を上げようと息を吸ってしまったラヴィリエの口を、同時にグラナートと紫花が自分の手で塞ぐ。
やがて彼らは三人が隠れた茂みの前を通り過ぎ、恐らく正門へと向かっていき――ラヴィリエがぺちぺちぺち、と自分の口を塞ぐ二つの手を指先で叩き、漸く解放された。すぐさま立ち上がり、打ち捨てられた紙束へ駆け寄ると、泥に汚れるのも構わず拾い上げる。
「……これって、脚本ではないかしら? ええ、そうよね、間違いないわ!」
躊躇わず足跡のついた表紙を捲り、中に書いてある文章に目を通したラヴィリエは、興奮を堪え切れない声で囁く。劇団内でもやはり紙は貴重なのだろう、恐らく貼り紙などの裏を使って書かれた、人の名前と台詞がト書きで並んでいる本。其処には聖騎士ルグラーツェが、宿敵である黒騎士と出会い、切り結ぶ場面の台詞が書かれていた。カリヨン演劇団の今回の演目のものである可能性が、非常に高い。
「あらあらあら、まあまあまあ、読んでもいいのかしら、いいえ読んでしまったのだけれど! とっても貴重なものでは無いの? お返しした方が良いのではないかしら?」
珍しく本気で迷っているらしいラヴィリエが、きょろきょろと辺りを見回しつつ冊子を抱き締めて離さないのを見て、紫花が我慢できず笑い声をあげた。
「ケッケッケッケ! いいじゃないカ、あいつラ、随分と仕事に不満があるみたいだったシ、いらないから此処に捨てていったんだロ? 貰っておこうヨ」
「同感ですが、舞台の機密に係るものでもあるのでしょう? どちらにしろ、あの男達が非常に杜撰で気概も無いことは明白なようですが。気になるのならば、彼らの事は伏せて、あくまで落とし物として劇団に届け出ましょう」
「あらあらまあ、グラニィ、なんて誘惑をしてくるの! 大手を振って天幕を訪れる理由が出来てしまったじゃない……!」
「わたくしはごく自然な誠意を提示したまでです。このまま懐に飲む方が不誠実でしょう。参りますわよ」
やはり珍しく遠慮を見せるラヴィリエの背を紫花がずいずい押しながら、グラナートが先導する形で運動場に建てられた、カリヨン演劇団の天幕へと向かった。
×××
天幕の周りには当然警備兵が配されていたが、脚本らしきものを拾ったので届けたいと訴えると、あっさりと通された。どうも身分をかさに着て、遠慮せず三姫に会わせろ、という高位の貴族子息を片っ端から追い返しているらしく、「皆貴女方のように分別のある生徒ならば」と嘆かれてしまった。
「礼儀を守ることが如何に他者の信頼を勝ち得るか、よく解ったでしょう。貴女方も精進なさいな」
「チェッ、耳が痛いヤ」
「ええ、ええ、騒いでは駄目よね、解っているわ! グラニィ、紫花、いざとなったら私の両手をしっかり握って、決して離さないでね……!」
「やはりヤズローが戻るまで待つべきでしたかしら……」
興奮を既に押さえきれないラヴィリエをグラナートと紫花の間に挟んで、三人娘は布で仕切られた天幕の中へと案内された。今、役者たちが集まって台詞を読み合わせる稽古をしているらしく、まとめ役や脚本家も一緒にいるとの事だった。案内の裏方が一枚の幕を捲った途端、鈍い音と鋭い声が聞こえてきた。
「――もううんざりなんだよ、ヒヤク!」
顔を見合わせて中を確認すると、其処に一人の青年が倒れていた。目の前に立ち怒りに震える男に頬を張られたのか、白い肌が赤らんで膨れている。その姿は髪も服も白く、瞳だけが鮮やかな赤紫色。彼らが此処に来た日、ラヴィリエが見た青年に違いなかった。
青年を打ち据えたらしい見目の整った男――聖騎士ルグラーツェを演じる筈の役者・スチュアートは、しかしその顔を怒りに歪めながら吐き捨てるように言った。
「もうやってられるか! 俺は降りるぞ!」
「おい、今更何を言い出すんだ! 今回の役は、お前も納得していただろう!」
「ピグロ、あんたはヒヤクを贔屓し過ぎだ! そいつのお気に入りだからって偉そうに!」
ピグロと呼ばれた、一番年上らしい壮年の男は気まずげに顔を逸らしているが、もう一人、癖毛の頭をがしがしと掻いている男は気にした風もなく、手に丸めた脚本を持ったまま、不遜に胸を張っていた。
「それでもこいつは、俺が望む完璧な演技が出来る。お前よりもな。真面目に稽古するならまだしも、酒ばかり飲んでやる気が無いなら、とっとと王都に帰れ、俺は止めん」
「てめぇ……!」
「ちょっと、挑発しないでよ!」
男達が揉めている中一歩踏み出したのは、三姫の一人、黒髪のラーナだった。嫋やかな容姿に似合わぬ苛烈な声と共に眦を吊り上げ、間に入ろうとしている。客に見せる楚々とした姿はあくまで客向けのものなのだろう。
「煩ぇんだよ!」
「キャア!?」
しかしスチュアートはますます激高し、また腕を振った。咄嗟に顔を庇った腕を弾いただけのようだがラーナは倒れ、他の二人が慌てて駆け寄る。
「痛ッたいわね! 顔に当てたら罰金よ!」
「三姫だの呼ばれて、でかい面してるからだ! 俺だけじゃない、皆いい加減うんざりしてるんだよ……!」
そのスチュアートの声に答えるように、何人かの役者や裏方らしき男が立ち上がり、一触即発の雰囲気になってしまった。それを束ねているのはやはりスチュアートらしく、美しい顔を歪めて嘲笑うように言った。
「ちったぁ考えろや、ツィオーネ。俺達がいなくなりゃ、舞台なんざ出来なくなるだろ。ルグラーツェの役は俺にしか出来ないだろうからな!」
確かに彼は大柄で筋骨も太く、金髪の美丈夫だ。全ての魔を滅する聖騎士役としては申し分ない姿だろう。しかしその顔は、自分の要求が通らない筈が無いという傲慢さが滲み出ている。ツィオーネと呼ばれた癖毛の男も一歩も引かず、誰かの手が出そうになった時――
ぱあん! と響く音が、空気を切り裂いた。部屋の中の人間全員が、その音源に視線を移す。
「あらまあ? 舞台を止める時には監督がこうすると聞いていたけれど、上手くいったわね!」
自分の両手を思い切り叩いてその音を出したラヴィリエは、場違いなほどにっこりと笑って見せた。




