◆3-1 素っ頓狂な娘、夕闇色の虜になる
やがて、雪の無くなった山道を連なる馬車で登り、カリヨン演劇団がシャラトを訪れた。
沢山の派手な外装の馬車が運ぶのは役者たちだけでなく、大道具、小道具、舞台衣装、それを扱う裏方と生活用品等々、とにかく大量すぎるので、まずは学院内の運動用広場へと全て運び込まれ、其処に宿泊施設を兼ねた天幕が建てられることになった。
「カリヨンの三姫は何処にいるんだ!?」
「おい押すなよ!」
「俺にも見せてくれ!」
当然、降って湧いた祭りの空気にすっかり当てられ、学生たちはもう講義どころではない。建物を飛び出して広場を囲む土手に犇めき合い、噂の美姫達を一目でも見ようと躍起になっている。講師たちも諦めて、警備兵と連携して野次馬達を固め、広場に建てられた天幕から距離を作ることに手いっぱいだ。
やがて、一番大きな馬車から、金陽の光を煌めかせるドレスを纏った女達が降り、わっと学生たちが更に声を上げる。
カリヨン演劇団の名を国外にまで広めた要因の一つとして、容姿も演技も卓越した女優を三人も抱えていることが上げられる。それが、カリヨンの三姫と呼ばれる彼女達だ。
赤いドレスを纏い、野次馬へ向けて微笑み会釈する黒髪のラーナ。
緑のドレスを纏い、妖艶な笑みを浮かべて指で口づけを投げる赤髪のセルペンテ。
青いドレスを纏い、無邪気に両手を振って振る舞う金髪のルマーカ。
三人の着ている露出の高いドレスは舞台で着る衣装では無いのだろうが、彼女達は自分達が広告塔であることと、観客が求めていることをきちんと理解しているのだろう。笑顔で学生たちに手を振るだけで、爆発的な歓声が上がり、色の無い生活を送る男子達はもう夢中だ。
「騒ぎすぎですわ、全くもう……! 貴族としての礼儀を忘れているのではなくて!?」
「まぁまァ、そりゃあ美人を相手にしたら男共はそうなるサ」
「ううん、人が凄すぎて全然見えないわ! ヤズローがいたら蹴散らしてくれるのに!」
ラヴィリエ達も当然講義室から飛び出した――正確にはラヴィリエが飛び出したのを二人が追った――のだが、いつもならば女生徒に道を譲ってくれる男子達も、すっかり美姫達に夢中になって分厚い人垣を作ってしまい、様子が全く見えない。ぴょんぴょんと飛びながらラヴィリエは人込みが途切れるところを探し、どうにかすり抜けられそうな生徒の間に体を差し入れ、躊躇わず前へと進んだ。
「よい、しょっと!」
最後に警備兵の隙間からぴょこりと顔を出す形になった時、ラヴィリエの視界に最初に入ったのは。
「――あらまあ」
丁度馬車から最後に降りてきた、髪も肌も服も、真っ白な青年だった。
見目は整っているので恐らく役者の一人なのかもしれないが、他の煌びやかな人達と違い、簡素な服しか纏っていない。金陽の光が透けてしまうぐらいに、色素が薄いどころか殆ど無い青年だった。
その出で立ちは多数の目を引いているのに、笑顔のひとつも見せず、ただ茫洋とした顔で他の役者たちに続いていく。新人さんなのかしら、とごく自然に思いながら、ラヴィリエは彼から目を離すことが出来ない。一瞬でも視線を切ったら、空気に融けて消えてしまうような気がして。
ふと、彼の中で唯一の、鮮やかな色が煌めいた。まるで金陽が沈んだ後、空の赤が紫に変わっていくような、美しい夕闇色の瞳が、ラヴィリエの方へと向いた。何もかもが白い中に輝くそれは、雪中の華にすら見えて、目が離せなくなる。
それに応えるかのように、ラヴィリエの瞳の中に輝く金の星も、ぱちぱちと瞬きを交わして――すぐに相手の視線は逸らされた。何も無かったように、白い青年は立てられた天幕の中に入っていく。
「ア、ラビー見っけタ!」
「ひとりで人込みに入るのではありません! 従者がいないのだからちゃんとなさいな!」
そこで、むんずと容赦なく両肩を掴まれ、ひょいと持ち上げられる。普段とはちょっと違う運ばれ方に思わずラヴィリエが身を捩ると、その下手人は先日からグラナートが連れている、黒い服と帽子で体を覆った従者だった。
以前馬車の御者をやっていた者のようにその顔は見えず、服の隙間から見える体は黒い影の塊のように揺らめいている。普段連れている幽霊の侍女よりもかなり存在が濃く、護衛の役目も果たすらしい。
恐らくヤズローが多忙の為離れていることに気を遣い、態々呼んでくれているのだろう、と自然に思い、優しい友人に対して顔が綻ぶ。
「あらまあ、ごめんなさいねお手を煩わせて。降ろしてくださいな」
漸く崩れ始めた人垣の中、抵抗はされずにすとんと下ろされると、友人達が追い付いてきて呆れと心配が半々の息を吐く。ラヴィリエも友人に面倒をかけたことは詫びるべきだとは思っているが、それよりも何故か、心臓の一部がぱちぱちと弾け続けているように感じ、首を傾げて胸を抑える。先刻、あの白い青年を見てから、ずっとだ。
「……あんな素敵な瞳を持っていたら、あの水銀の魔に狙われてしまわないかしら」
「何です? 急に。目当ての役者でもいたのですか?」
「ええ、ちょっと待ってね、確か前に――」
ラヴィリエはそこでごそごそと自ら鞄を探り、折り畳まれた紙を取り出す。数日前に演劇団の宣伝で学院内にも配られていた紙びらで、演目名と出演する役者の名前と似顔絵が描かれている。
演目は、「聖騎士ルグラーツェ最後の戦い」。主役である聖騎士はスチュアートという名の、見目麗しい金髪の男優で、仲間達をカリヨンの三姫が固めている。やはり男子の数が圧倒的に多いこの学院故、三姫も前面に出す配置になっているようだ。
役者達全員が衣装を纏う似顔絵の中、一人だけ顔面まで兜で覆った黒騎士役の姿が一際異彩を放っていた。他の役者は皆白髪では無いようだし、彼である可能性は高い。その下に書かれている名前を読んで、もう一度首を傾げる。
「……ヒヤク、と読むのかしら? 不思議な響きのお名前ね」
「ちょっとウチの国っぽいナ。意味はちょっと解んないけド」
ただの絵だと解っているのに、あの瞳が見られないことが残念で、ラヴィリエの細い指は自然と、黒い兜を撫でていた。
×××
一方ヤズローは、女子寮の屋根に登っていた。酔狂でも何でもなく、掃除の為だ。
屋根を覆う煉瓦にべたりと貼り付いた鈍色の液体を、眉間に皺を寄せたまま容赦なく柄の長い刷毛で擦り取る。どれだけ掃除しても、少し日を置けばこうやって汚れているのが全くもって腹立たしい。放置すれば屋根に穴を穿たれる危険性もあるので、鼬ごっこだと解っていても続けるしかないのだ。
漸く忌まわしい痕が消えて、息を吐いて腰を伸ばした時、日が傾き始めた空を舞う黒い鳥が近づいてきたことに気付く。
手を差し伸べれば、その大鴉は音も立てずヤズローの指先へと止まり、小さく鳴いて足に結んだ袋を差し出してきた。少し眉を顰めてそれを受け取る。
蜘蛛糸による通話も信用できなくなった為、師匠である魔女に使い魔を借り受けて手紙のやり取りをしていたのだが、返事の紙は入っておらず、小さな輝石だけが袋からころりと落ちてきた。訝し気にそれを覗き込むと、
『オイ、糞餓鬼! 何手をこまねいてやがンだ、たかが真魔如きに!!』
金属が擦れるような金切り声の罵声が耳を劈き、堪らず石を放り投げそうになったが如何にか仰け反るだけで堪えた。
この国の発展に多大に寄与している魔操師が、発明した傑作のひとつとされる、どんなに遠い場所からでも声を届けられる「通信石」。個人ではとても手に入らない程の高価な代物だが、この小ささは使い捨てだ。恐らく魔操師本人が作ったものなので、値段については気にしなくても良いだろう。
『僕の作品が、魔に後れを取るなンてどういう了見だッ! とっとと戻ってきやがれ、すぐ必要な分の火力は積んでやる!』
そう、この石の向こう側にいるのは、ヤズローが嘗て失った四肢だけでなく、義眼や替えの内臓まで新しく作り上げた、彼を自分の最高傑作と嘯く魔操師だ。王都旧市街の地下に住む、貴族達に迎合せず只管に神の理に挑み続ける魔操師の一人、“蜉蝣”のミロワール。非常に乱雑な言葉遣いだが、一応女性だ。
「断る。今お嬢様の傍から離れるわけにはいかない。――だから知恵を貸せ。不定形の魔を滅する為の方法が要る」
屋根の上にどかりと腰を下ろし、石に向かって真剣に問う。ヤズローもこの女に借りを作るのは非常に嫌なのだが、拳も蹴りも空気銃も効かない、水銀の魔に痛痒を与えられそうな手段を思いつく伝手が他に無かった。
魔操師は、魔女とも神官とも違う神秘の持ち主――というよりは神秘を唾棄し破壊する者達である。世界を形作る神の文字を読み解ける眼鏡をかけ、その文字を己の思った通りに書き換えるペンを手に持つ者だ。
その在り方から神の否定者とも呼ばれ、この国でも長く弾圧の対象になったが、やがて彼らが作り出す便利な魔操具が人々の生活を改善していくにつれ、彼らは受け入れられ、逆に神殿と神官は求心力を失い、魔女はその血を廃れさせていった。
故に現在ネージ国では貴ばれている存在なのだが、基本的には偏屈で独善的、かつ他者を蔑み意思疎通が難しい者が多い。今この石の向こう側にいる輩はその最たるものだ。
『チッ、面倒臭ェなァ。そんなもん、火山口にでもぶち込んじまえよ』
ミロワールは王族や貴族達に迎合する同胞達に唾を吐き、地下に潜ったまま己の研究に没頭することを良しとしている。基本的に自分の発明以外に全く興味が無い女だが、ヤズローのことを気に入りの玩具と思っているせいで、一応彼の話は聞くだけ聞いてくれるようだ。彼女の提案に、確かに不定形な相手を高温の溶岩に叩き込むのは効きそうなので一考するが、残念ながら近場に丁度いい山は無い。
「それ以外は」
『テメェ生意気になりやがったな、僕の手足が無けりゃ歩くことも出来ねェ癖に! 炎か水、どっちも多量に用意出来ねェンだったら、相手を不定じゃ無くす方が早いだろ。其処を書き換えれば後はどうにでもならァ』
悪態を吐きつつも話を続けてくれるのは、ヤズローの使い魔である蜘蛛が本調子ではない、と彼女に手紙で伝えたからだろう。あの絡新婦とこの魔操師は、ヤズローの身柄を巡って暇さえあれば互いを縊り殺そうと手薬煉を引きあっている。蜘蛛の鼻を明かせるのならば、という思いも、乗ってくれている理由の一つだろう。
「また無茶なことを……魔操師でも無いのにそんな技が出来るか。お前が出張ってやるのなら報酬は払うぞ」
『いらねェよ貧乏男爵家が。そんな面倒なことやってられっか僕は忙しいンだよ! いいか、魔ってェのは兎に角傲慢で、鼻持ちならねェ奴ばっかりだ。つまりは、僕らの事を舐めていやがる』
お前もそうじゃないのか、と思わず口をついて出そうになったが唇を噛んで耐える。割と若いころからの付き合いだが、余計な一言で臍を曲げられると、また連絡を取るのに一巡りはかかるのが目に見えているのだ。
『だから、そいつが一番誇示したいものが、一番でけェ文字で書いてある。それに取り消し線を引くぐらいなら、テメェでも出来るだろうよ』
「……!」
きっぱりと言い切られたその言葉に、ヤズローは目を見開く。当然、自分に魔操師の素養は無いが、それを如何にかできれば――と頭を回し、小さな通信石に向かって告げた。
「次に戻った時は、好きなだけ新しい機能を付けろ。お前のペンを一本貸してくれ」
『ハ――眼鏡はいらねェのか? テメェの義眼に読字機能は付けてねェぞ』
「必要ない。旦那様のものをお借りする」
『チッ、売り損ねたか。いいか、テメェが魔に負けるってことは、僕の作品が魔如きに劣るってェことだ! 絶対にそいつを完膚無きまでに殺し尽くせよ! ついでにあの蜘蛛女に恥もかかせられりゃあ最高だ!!』
それだけ響くと同時に、石が真っ二つに割れた。これ以上話す気は無い、ということだろう。全く、蜘蛛とは別口で面倒臭い相手だが、だからこそ反発し合っているが故に、今のところは間違いなく味方になるだろう。
ひとつ策を得たことに対する安堵の息を堪えて、ヤズローは慣れない手つきで懐から帳面を出し、再び手紙を書き始めた。主の娘を守る為、やらなければならないことは幾らでもあるのだ。




