◆1-2
聖騎士ルグラーツェの物語は、様々に形を変えつつも全世界で語られている。
ごく普通の農家に生まれたルグラーツェは、しかし始原神イヴヌスの啓示を受け、この世の魔を滅するための旅に出る。
彼が連れてゆく仲間は三人。戦神ディアランの祝福を得た戦乙女、金陽神アユルスの啓示を受けた聖女、地水火風を自在に操る術を駆使する七竜の魔女。
彼らは世界各地を巡り、様々な真魔と戦い勝利する。北方の氷海に潜む海魔を封じ、崩壊神を復活させようとする邪神教団を殲滅し――最後に南大陸を支配する魔王アクイレギアに挑み、帰らぬ人となったとされている。
「子供向けの絵本からとっても分厚い伝承まで、色々な媒体で描かれているわね! 舞台でも有名よ、王都のカリヨン劇場でルグラーツェの話は毎年演じられているわ! 勿論切符は高額だから、手に入れられたことはないけれど!」
「お嬢様、悲しいことを声高に仰らないでください」
夕飯の麺麭を握り締め、満面の笑みで力説するラヴィリエの横で、ヤズローは空になった皿にお代わりの玉葱スープをよそう。ちゃんとレードルで事前に鍋を掻き回し、僅かな燻製肉の欠片を中に含めて。
「カリヨン演劇団の噂はわたくしも聞いたことがありますわ。ビェールィにも訪れたことがありますもの。演目は神話における『戦神と崩壊神の魔女王討伐』でしたが、台詞運びが斬新でしたわね。伝統を重んじる方々は眉を顰めておりましたが、演劇としては決して悪くありませんでした」
侍女の幽霊達が配膳した皿――麦粥と煮込み料理に加え、付け合わせの酢漬け野菜が乗ったビェールィでは伝統の夕食を優雅に口に運びながら、グラナートも頷く。古典を重んじるビェールィ人にとっては少々前衛的な舞台だったようだが、「悪くない」は彼女の言葉のうち、最大限の賛辞であることは他の二人ももう充分理解している。
「アー、やっと解っタ、銀将軍の話カ。劇なんテ、田舎に来る人形劇しか見た事ないナ。――ガニー、その酢漬け残してるんなラ、おくれヨ」
「っ、いえ、後でいただきますわ。まぁ、構いませんけど」
自作の具無し饅頭を手に持って齧りつつ、箸という二本の棒をもう片手で伸ばしてきた紫花に、グラナートは気まずそうにしつつも最終的に頷いた。
彼女の夕食の隅に必ず乗る酢漬けの野菜は、いつも最後まで残されているのを紫花もラヴィリエも気づいている。必ず食べるのだが、それまでに中々の時間を要することも、分けてくれと言われれば、ほぼ抵抗が無いことも。
グラナートが貴族子女として、好き嫌いなど恥ずかしいことだと理解しているからこそ、他の二人も指摘はしない。紫花が強請るのも、単純に好物だからである。
学院に来てすぐの頃は各々で取っていた朝晩の食事も、冬休暇を超えていつの間にか、三人で揃って取るようになった。食べるものはまちまちで、たまに交換し合いながら。貴族のマナーはほんの少しだけ見て見ぬふりをして、他愛ないお喋りに興じるのを楽しんでいる。
酸味の強いビェールィ伝統の酢漬けを旨そうに齧りながら、改めて紫花が口を開いた。
「あの話、最後は結局負けちまうのニ、人気あるんダ?」
「紫花のお国ではそう呼ばれているのね! 確かに、最後には魔王に辿り着くことが出来ず、帰れなかった――となることが殆どよね」
「わたくしの知っている話では、ルグラーツェが最後に魔王を倒して終わりましたわ。その魔王の名前が、アクイレギアではなくなっていましたけど」
「ケッケッケ! 捻りが効いてるネ」
この物語が悲劇として終わる理由は、南大陸が未だ「魔王アクイレギア」と名乗る真魔に支配されているからに他ならない。しかもその統治は千年を超えて盤石であり、他大陸からの干渉を拒否し、未だ独立を保っている。だからこそ、ルグラーツェが悲劇の勇者として名前が広がったのだろう。
「あとは、最期に相対した魔王の配下である黒騎士が、魔ではなく人だったから止めを刺せずに相打ちになった、というのが有名ね。そこが作家達の腕の見せ所ではあるのだけれど――ご馳走様、ヤズロー! 今日もとても美味しかったわ!」
「恐縮です」
すっかり皿を綺麗に空にしてから、ラヴィリエは椅子から飛び降りる。席の隣に置いていた、今日図書館から借りた本を胸に一度抱き締めてから、鼻歌混じりにページを捲りながらも喋るのを止めない。
「『強く優しき心を持つ聖騎士ルグラーツェは、魔王アクイレギアの支配する大陸へと渡り、四魔と戦う。
戦乙女は、獣を率いる青豹の戦士に敗れ、
七色の魔女は、地を埋め尽くす赤蟻の大群を押し留める為力尽き、
金陽の聖女は、死人を操る病神の白神官に一生解けぬ呪いを与えられた。
そして聖騎士ルグラーツェは、四魔の長、黒騎士と一騎打ちとなり、互いの魂を滅するまで戦った。
その創世の剣は魔王アクイレギアまで届くことなく、彼は帰って来なかった。』」
「エー、本当に救いが無いじゃないカ。何でそんなのが人気あるんだイ?」
肘をついて不満げな紫花の言葉をご尤も、と言いたげに何度も頷いてから、ラヴィリエはぱちりと片目を瞑って見せた。
「美しい悲劇を求める人は意外とたくさんいるのよ。アレンジで幸せな最後になる場合もあるもの。でも私は、悲劇だと解っていてもこの辺りの展開は好きだわ。黒騎士との一騎打ちのところね」
ぱたんと本を閉じ、ラヴィリエはその場で一度くるりと回ってから、まるで剣を掲げるように手を天へと差し伸べ、普段とは全く違う、低く堂々とした声音で告げた。
「『例え誰が私を疑おうとも、私は私の剣を疑うことは無い。黒騎士よ、そなたの剣に迷いはあるか? 無ければその剣、私と交わおう!』」
しん、と食堂が一瞬静まり返り、ぱちぱち、と拍手の音が響いた。グラナートと紫花が思わず手を叩いてしまう程、その有様は堂々とした聖騎士の宣言にしか見えなかったのだ。
「上手いネ、ラビー! 本当に役者みたいだったヨ!」
「貴女にこんな特技があったとは知りませんでしたわ。でも食堂で騒ぐのはお止めなさいな」
「うふふふふ、褒めてくれてありがとう! お父様の前で何度も披露した甲斐があったわ!」
紫花は楽しそうに身を乗り出し、グラナートも言葉では叱りつつ感心したように頷いている。
彼女が、ベッドから起き上がることが出来ない父の慰めとして、本を読んではそうやって振る舞っていたことをヤズローは良く知っていたので、普段は差す釘を出すことも無く、無言のまま皿と鍋を片付けるため厨房へと戻っていった。




