◆6-1 素っ頓狂な娘、願いをひとつ叶える
「じゃあ俺も配置につくから、大人しくしててくれよ、頼むから」
こちらを裏切った癖に偉そうなことを抜かして、舞台袖へと駆けていく男をスチュアートは無言で見送り、人の気配が辺りから無くなったことを確認してから、悠々と立ち上がった。
前日の内に、一度は離反したのにこっそり戻った取り巻きに声をかけ、朝から舞台の準備で忙しい中、講堂の中へと入ることに成功した。舞台が始まってしまえば、皆そちらに集中して、管理が疎かになる。警備兵も殆どが中に詰めているのは、魔の襲撃を見越して足手纏いを増やさない為でもあったのだろう。
――あの生意気な従者は力尽きたようだし、もう邪魔が入ることは無い。瞳孔が横に伸びる金色の瞳を煌めかせ、スチュアートは嗤った。
舞台裏の構造は当然把握している。舞台の流れもだ。あの脚本家が調子に乗ってかなり内容は変えたようだが、結末は変わらない。ルグラーツェは黒騎士と相打ちになり、崩れる崖から落ちて行方不明となる。もしかしたら聖騎士は生き延びたかもしれない――という僅かに希望を残した脚本なのだ。
その盛り上がりを助ける為に、大道具には仕掛けが施されている。支えになっている杭を舞台裏から抜き取ると、柱が半分倒れて坂が作られ、上にいる二人は奈落に落ちる。つまり、それを先に崩してしまえば、舞台を台無しに出来るのだ。
最初に戻った奴以外の取り巻きは、面倒だから殺して、山中に捨てておいた。結果劇団の人手は足りず、仕掛けの周りに見張りも付けられていない。
裏手の覗き穴から、舞台を確認する。まだ崩れる崖の上に二人はおらず、丁度張り出した崖の下で殺陣を続けている。
唇を歪めて、スチュアートは何の気負いもなく、その杭を抜き取った。
×××
「『貴様の首を――』ッ!?」
「あ……!?」
ヒヤクの台詞が不意に途切れると同時、ラヴィリエも思わず台詞ではない言葉を漏らした。悲鳴を上げるのは堪えたが、視界に入ってきた危機に反応してしまったのだ。
黒騎士の後ろに聳えていた大道具の崖がぐらりと撓み、こちらに向かって倒れ込んでくる。まだ崩す時間では無い筈なのに。事故か、誰かが間違ったのか、考える時間はない。ヒヤクの位置からでは逃げられない――故にラヴィリエは前に向かって駆け出す。落ちてくる瓦礫の、その真下に。
「何――」
間合いを狭め、剣を鍔迫り合いに持ち込む。兜の下で、赤紫色の瞳が驚きで揺れるのを確かめながら。
きっと【大丈夫】と思う言葉は彼にも伝わっている筈。それを信じてラヴィリエは、衣装の下に仕舞っていたそれを握り締め――
決して軽くはない崖を形作る板達が、ふたりの上に降り注いだ。激しい音が響き、埃が舞台を舞う。
「く、崩れたぞ!」
「どうなるんだ!」
客席はどよめき、口々にさざめく。これが舞台の演出なのか本当の事故なのか、まだ判別がつかないからだ。ドリスが思わず立ち上がりそうになったのをイズゥムルートに制止され、講師たちが動こうとした時――埃が静まっていく舞台の内に、照明とは違う光がちかりと輝いた。
ルグラーツェが掲げる拳の中から、光が零れている。
それはまるで彼と、彼の傍に居た黒騎士を守るように壁を作り上げ、瓦礫を防いでいた。沢山の瓦礫は床に散らばり、彼ら二人には傷一つない。
「――『見よ、黒騎士!』」
拳を掲げた聖騎士は朗々と叫んだ。
「『始原神イヴヌス様の奇跡は、そなたすら守り通したぞ!』」
一瞬の沈黙。その後すぐ、万雷の拍手と歓声。これにより、観客達はこの事故が完全に演出であると誰もが認識した。神を拒む黒騎士にすら手を差し伸べる慈悲を、ルグラーツェが証明して見せたのだと。
実際は、ラヴィリエが以前冬休暇に、秩序神の神官であるウィルトンから貰った護符の力だ。彼女に危機が迫った時、確実にそれを一度だけ弾き返す奇跡が込められた護符。当然だが顕現した奇跡はイヴヌスではなく、秩序神タムリィのもの。そう理解しているウィルトンが、今客席で冷や汗を掻いているかもしれない。しかし殆どの観客はネージの民で、神による奇跡の差など気づくまい。
舞台袖のアッルチナツィオーネが無言で手を振り、演技の続行を決める。舞台上は足の踏み場もないにもかかわらず、二人の騎士は再び剣を振った。台詞も半分即興だ、ラヴィリエの言いたいことを言う前にヒヤクが認識できるので、その会話に遅滞は無い。
「『情けをかけたつもりか!』」
「『このような差し水に、そなたとの決着を任せられないとも!』」
「『世迷言を……!』」
互いの剣を振り上げ、噛み合わせる。ラヴィリエが自由に動いても、それに合わせるようにヒヤクも動いてくれる。間違いなく事故であったし、周りの人々は心配しているだろうに――ラヴィリエの心臓はどくどくと跳ねて収まらない。
(嗚呼――どうしよう、楽しいわ、楽しい)
出来ることならずっと此処に立っていたい。でも、ルグラーツェと黒騎士の物語を最後まで演じ切りたい。相反する二つの想いが、ラヴィリエの胸をずっと弾ませている。
(だけど、だから、もう少しだけ)
自分は本当に強欲なのだ、と反省するしかない。貴族の子女でありながら、こうやって有名な劇団の舞台に立てる機会を得られただけでも僥倖なのに、これだけ楽しんでいるのに、まだ足りないと心が叫んでいた。
(貴方と一緒に、演技がしたい)
我儘を込めて、兜の隙間から見える赤紫の瞳を見詰める。きっと彼には届いている筈だから。
(貴方の嘘を、演技を、私は見たいの!)
自分に合わせるためではなく、彼の心の底から演じたいと思ったものを見たいのだと。
×××
「――くそ、」
事故が起きたにも関わらず、舞台が続けられているのを歓声と拍手で知り、スチュアートは臍を噛む。このまま此処に居れば、事故の原因を調べに来た連中に見つかるだろう。急ぎ離れなければ――と踵を返しかけた足が、ぐっと動かなくなった。
「な、あ!?」
『樹竜様、樹竜様、その髭伸ばせ、包んで丸めて枯れ落ちるまで!』
歌うような異国の言葉と共に、棘の蔓により足を戒められた。間髪入れず、更に両腕を掴まれ抑え込まれる。先刻まで舞台に出ていた骸骨兵達に。
「不届き者は貴方でしたか。随分と軽率な真似をしたものですわね」
小声だが、決して逃がさぬという意思の籠った凛とした顔でこちらを睥睨してくる女に、罵声を吐こうとするより先にすぐさま蔓が伸びてきて、口を封じられる。
「シー、まだ舞台が続いてんだかラ、大声出すなヨ」
「断罪は後で行います、これ以上の邪魔は許しません。反省の言葉など不要ですわ」
友人の晴れ舞台を潰そうとした相手にかける情けは無いとばかりに、二人は拘束したスチュアートを連れていく。舞台裏で騒げば劇の妨害になりかねないので、あくまで静かに。
その為、彼が瞬きをした時にじわりと浮かんだ涙――否、鈍色の雫が、床板の隙間から奈落へ落ちていった事には、二人とも気づけなかった。
それが、離反したその日にスチュアートが飲んだワインに入りこみ、彼の記憶も意識も侵蝕していた真魔の欠片であることも。




