◆5-2
「『時は神歴520年。聖騎士ルグラーツェ、最後の伝説を、今此処で語ろう』」
ランプを持って舞台の端に立つ、吟遊詩人に扮した語り部役が、朗々と声を張り上げ、緞帳が上がる。
本来真っ新な舞台の上には、枯れた蔦が蔓延り、大道具が作った瓦礫の山に絡みついている。一見本物にしか見えないその姿に、観客から驚きの声が漏れ聞こえた。
「瓦礫は兎も角、蔦は本物だものナ。あの婆ちゃン、本当に凄い竜司だヨ」
舞台袖に隠れて、ひそひそと紫花が呟く。手の中で、ドリスに託された蔓薔薇の種を転がしながら。
男爵家に仕える魔女の手腕で、早回しの命を与えられた種は、本当に紫花が軽く息吹を吹きかけるだけで芽吹き、枝葉を広げ、そして枯れて舞台の一部となった。こんな器用な息吹の使い方を、当然だが紫花は出来ない。全ては種のおかげだ。
(貴女は非常に優秀な魔女術――竜の息吹の使い手と――)
「……ラビーの奴、あの婆ちゃんに何言ったんだヨ」
それなのに、当の作成者からあんなことを言われてしまうと、どうにもむず痒くて口端を曲げてしまう。時間があれば友人を問い詰めたかったけれど、残念ながら主演の彼女は最後の衣装合わせだの確認だのに忙しく、叶わなかった。
そして、老齢の相手に期待をかけられると、紫花は如何にも固辞が出来ない。とうの昔、死女神に連れていかれてしまった、家族の中で唯一自分の味方だった祖父の事を思い出してしまうから。
心臓の裏を擽るようなむず痒さを口端を噛んで堪えて、同じく隣に控えているもう一人の友人にそっと声をかける。
「ガニー、準備はいいかイ?」
「当然です。このわたくしが緊張しているとでも?」
声はそこまで上擦っていなかったが、普段はまっすぐ伸ばしている背が僅かに曲がっているのは、肩に力が入っているからだろう。彼女らしくない有様に笑いを堪えつつ、改めて舞台上の声に耳を傾けた。
「『其処は、嘗て隆盛を誇った大都市があったが、魔王アクイレギアの尖兵により、既に生きている者の姿は無かった。そして、今其処を支配しているのは――』」
『――死女神に捧ぐ。目覚めよ、蒼き灯。傷と病と腐を乗り越え、我に従え』
一瞬語り部の声が止まったところで、グラナートが小さく呪文を唱える。それに応えるように講堂がひやりと静まり返り――客席の間から、からからと硬い音と同時に、悲鳴が聞こえた。
「う、うわあああ!」
「骸骨兵だ!」
怯えた声が響く中、骨を軋ませながら、眼下に蒼い灯を灯した髑髏が立ち上がり、武器を持って歩いていく。役者を舞台上だけでなく観客席にも潜ませ、客を完全に舞台の中へと取り込むのは、脚本家が他の舞台でも行っている表現だが、当然殆どの客は見たことが無いだろう。しかも今回は、触媒の骨を誰かの椅子の下へ仕込んでおけば良いのだから、更に不意打ちになる。すっかり観客達は、舞台から目が離せなくなっていた。
「『死者を支配し、従える死霊術師。魔王アクイレギアの四魔が一、黒騎士に仕える恐るべき術師』」
骸骨兵たちはまるで統制が取れないかのように客席を歩き回り――勿論、グラナートにそうせよと命じられている――怯える生徒達の中、大きな拍手と歓声が舞台袖にまで聞こえた。
「はっはっは、見事、見事! また腕を上げたな我が妹よ!」
「お兄様、声が大きすぎますわ! 講堂から抓み出されておしまいなさいな……!」
「本当元気だネ、ガニーの兄ちゃン」
×××
「いや、素晴らしい。フルゥスターリ家の末席として誇らしいぞ!」
周りの観客が怯えているのに対し、死霊術を極めた一族の者として、寧ろ術者を讃えるべきとばかりに、イズゥムルートは客席で呵々大笑していた。
事実、十を超える骸骨兵を各々自在に動かすのは、死霊術としてはかなり難しい部類だ。己の妹の腕前と、その成長が素晴らしいと笑顔が語っており、周りの来賓席からは怯えと胡乱な視線を向けられている。
「末席、とはご謙遜を。侯爵子息様は御長男であると伺っておりましたが」
その隣に座り、針金のような細い体をぴんと伸ばして座っている魔女ドリスは、ちゃんとラヴィリエの学友の家族についても把握済みだ。隣をちらりと見たイズゥムルートは、大柄な肩を少し竦めて、何でもない事のように呟いた。
「謙遜ではない、事実だ。確かに俺は長子として生を受けたが、死霊術の才がさっぱり無くて、幼い頃早々に諦められた身だ。俺としても、後ろで死者を従えるよりも、軍勢の先頭に立つ方が性に合っていてな。だからこそ、我が妹にその重責を強いる結果になってしまったのが、忸怩たることであるが」
ほんの僅か、緑色の瞳が後悔に揺れて、すぐに治まった。豪放磊落に見えて、貴族子息としての矜持は彼も確りと持っている証だろう。
「俺が粗忽者である方が、家にとっても都合が良いのだ。まあ我が優秀なる妹は、俺の無駄な哀れみや遠慮など、侮蔑であると断じるだろう。その強さを、俺は何よりも信じている。あやつこそ、我がフルゥスターリ家を継ぐに相応しい息女であることもな」
「委細、承知いたしました。差し出がましいことを申し上げたこと、お許しください」
「何、気にすることは無い。そちらの男爵家ご息女も、末永く妹と仲良くしてくれれば――おお!」
彼の矜持を理解し、詫びに頭を深々と下げるドリスにまたからからと笑っていたイズゥムルートが声を上げた。骸骨兵達に挑む、美しい女達が舞台上に現れたからだ。
「『相対するは、三人の美しき娘。ひとりは、戦神に祝福されし、戦乙女フェリキア』」
「『来るが良い! 骸骨の兵など、恐るるに足らず!』」
赤髪を背に流して槍斧を振るっているのは、三姫の一人セルペンテ。かなり際どい部分しか覆っていない鎧を纏ったその勇ましくも美しい姿に、生徒達が色めき立つ。
「『次の一人は、七色の術で自然を操る、魔女カエリア』」
詩人の台詞に合わせ、舞台袖で仁王立ちをしていた脚本家が、すっと紫花の方に手を翳して合図をした。
「『森よ、目覚めなさい。瘴気に負けず、嘗ての姿を取り戻すように!』」
舞台上で、黒髪を奇抜に結い上げ、輝石を縫い付けた舞台用のローブを翻したラーナが、歌うように手を差し伸べるのに合わせ、紫花も口を開く。
『――樹竜様、樹竜様、今ひとたび蕾の瞼を開け』
小声で歌い、掌の上の種にふっと息を吹きかけ、舞台の上に転がした。それはすぐさま固い殻をぱちりと破り、青々とした蔓を伸ばし、魔女の周りに美しい薔薇を咲かせていく。まるで御伽噺からそのまま出でたような光景に、客席からの拍手は収まらない。
「『最後の一人は、金陽神の啓示を受けた、聖女アエミリア』」
「『金陽神アユルス様、我が祈りをお届けください。闇を退けるあまねく光を、我等に!』」
白いローブを纏ったルマーカが、舞台の真ん中で跪くと、天井に控えている照明係が、龕灯を使いその金髪を照らした。そして現れた死霊使い役に、持っていた錫杖を向ける。
「『貴方如き、ルグラーツェ様の手を煩わせる必要はございません。この私達がお相手しましょう!』」
大抵の聖騎士ルグラーツェの演目では、この三人の仲間が其処まで目立つことはないのだが、観客達の喜びを煽るために三姫の出番が意図的に増やされている。勿論これは、どれだけ頑張っても素人である、主演ラヴィリエの負担を減らす為でもある。やんやと観客は喝采を上げ――客席のドリスだけが眉間に皺を寄せているが。
「お嬢様の出番はまだなのですか……主役に大抜擢されたと、お手紙でお伺いしておりましたのに」
「御婦人、そう気を揉むな。主役ならば尚更、遅れて登場するものであろう」
×××
舞台が盛り上がっていく中、ヤズローは一人で講堂の外に出ていた。貴族の客が多い為、警備兵は殆どが講堂に詰めかけ、舞台中は正門も一旦閉じられる。講堂の外に人影は全く無かった。
その右目――義眼では無い方には、先刻ドリスから受け取った片眼鏡が付けられている。正直慣れないし、其処からの視界は酷く見づらく、酔いそうになるが、何とか慣れなければいけない。
同じくドリスが老骨に鞭打ち持ってきた、白布に包まれた巨大な荷物を肩に担いだまま、ヤズローはゆっくりと講堂の周りを回って歩く。其処は既に、普段と様相が変わっていた。
沢山の花が植えられた花壇から、みきみきと音を立てて蔓が伸びていく。舞台で紫花が広げた蔓薔薇よりも、随分と太く、多い。――ヤズローが事前に仕込んでおいた、ドリスの種だ。こちらはちゃんと彼女自身が、講堂に入る前に花壇を回り、発芽の術を付与していった。
「とっとと出てこい。こそこそと隠れても無駄だ」
それはまるで講堂を守るかのように、覆い、絡み合っていく。それを見届けてから、虚空に呟くと。
ぴちょん、と。
晴れた空にも関わらず水音が響いた。
「――結界が消えているから、何かと思ったら。お前も大概、しつこい奴だな」
そして、ぞるぞると何かが地面を這いずる音。鈍色の液体がまるで湧き水のように地から湧き出、蠢き、盛り上がり、形を成す。
黒髪の隙間からねじくれた角を生やし、金瞳の瞳孔は山羊のように横に伸びている。唇をにやりと歪め、ラヴィリエの瞳を狙う狼藉者――真魔・汞のヒュドラルギュルムがその姿を現した。
ヤズローもまずは相手を引き摺り出したことに密かに安堵してから、じゃりっと地を踏んでいつでも飛び掛かれるように構えながら言う。
「ウィルトン先生は、敢えて講堂のみに強力な結界を張られるよう、注力して下さっている。万が一にも貴様が、お嬢様の邪魔をしないようにな」
「やれやれ、酷い言われようだ。お前の絡新婦も嘆いてたぜ? すっかり息子が生意気になったってなぁ」
こちらを嘲ることしか言って来ない真魔に、舌打ちするのをぎりぎり堪えて、ヤズローも睨み返し問うた。
「あの蜘蛛と、取引でもしたか」
「ああ。きっちりと約定を結ばせて貰ったぜ? お前を傷つけない限りは俺の邪魔をしないように、ってな」
今度こそ舌打ちが出た。近場にいる師匠に聞こえたかもしれないが構うものか、厄介な奴同士が繋がってしまった事実が只管腹立たしい。我の強い魔同士、そんなことは無いだろうという希望が打ち砕かれてしまった。
「おいおい、凹むなよ。言っただろ? お前を傷つけることは無い。だから、俺とお前は戦う理由もない。しかも前より強い結界で囲んだだろう? 流石に今日は中に入らず、大人しくしてるさ」
「貴様の都合など知ったことか」
躊躇わず、ヤズローは担いでいた荷物を掴み、白布を引き破る。其処にあるのは巨大な槍斧――しかも、具足にも使われている、魔操師謹製の魔銀製ではない。神殿で正式な清めの儀式を受けた、聖銀の武器だ。ヤズローが嘗て、主であるシアン・ドゥ・シャッス男爵から賜ったものだ。
聖銀は金属としては魔銀よりも脆いが、魔に対しては覿面の威力を誇る。無論、不定形である水銀の魔に、どれだけ効果があるかは解らないけれど。
「此処で必ず、貴様の存在を全て滅する!」
決意を込め、ヤズローは片眼鏡の下から魔を睨み――一歩踏み込んで、槍斧を振り被った。




