◆5-1 素っ頓狂な娘、大舞台に立つ
ぱんぱん、と小さな花火が青空に上がって、春祭りがついに始まった。
学院内には普段とは段違いの人々が詰めかけて、大騒ぎになっている。シャラトの街内だけでなく、近隣の村からも、王都で演じられている舞台を一度見て見たいと人々が続々集まってきていた。其処に生徒達の家族である貴族達も次々馬車でやってきて、警備員達は人員整理に大わらわ。町中には出店が立ち並び、正にお祭り騒ぎだ。
学院の正門には、訪れた家族を迎えて再会に喜ぶ生徒達が沢山詰めかけている。三人娘もその片隅で、舞台前の僅かな休憩を兼ねて集まっていた。
「じゃあ、紫花のご家族はいらっしゃらないのね」
「来るわけないだロ、春の海が荒れてる内は船も中々出ないシ。ガニーハ?」
「ええ、わたくしも家に手紙は出しましたが、まだ山に雪は多いですし。流石に難しいかと――」
家族と物理的だけでなく距離を置いている紫花は、そもそも祭りの事も知らせていないらしい。グラナートもそこまで期待はしていないようだったが、馬車ではなく一際大きな馬が地を踏みしめ、堂々と正門を潜ったところで気付き、はっと息を飲んだ。
軍馬のように大仰な鞍を付けた黒馬に跨っていた偉丈夫は、三人娘を視界に認めた瞬間破顔し、ひらりと馬から降りた。そのまま轡を引いて、大股でこちらへと向かってくる。
「おお、見つけたぞ! ナーティア!」
「ッ――お兄様!?」
遠慮なく胴間声を上げたのは、随分と背の高い筋骨隆々の男だった。枯草色の髪を短く刈り込み、軍人とも見紛う姿をしていたが、かなり年代物の黒い礼服に身を包んでいるので、貴族であることは間違いないだろう。
しかし彼は貴族の礼儀などは軽く放り投げ、快活に笑いながらグラナートの細い体をぐっと抱き締めて、すぐに離した。
「漸く峠の雪が固まったからな、我がフルゥスターリ家の名代として参上した。まあ俺はついでに、評判の舞台を一度拝みたかったからだがな!」
そう堂々と宣言し、からからと笑って見せる男の髪色だけはグラナートと同じだが、瞳は妹が赤みがかった緑であるのに対し、かなり濃い緑色をしていた。痩せぎすな妹に対し兄の方はやはり体が分厚く、並べて見ても中々兄妹とは気づかれないだろう。
「あらまあ! グラニィのお兄様なのね。お初にお目にかかります、シアン・ドゥ・シャッス男爵家に連なる、ラヴィリエと申します」
「どうモ、アタシもガニー……アー、グラナート、様、にお付き合いしてまス、陶紫花でス。以後、お見知りおきヲ」
ちゃんと制服の裾を抓んで礼をするラヴィリエと、何とか口調を取り繕ってぺこりと頭を下げる紫花に、グラナートの方が焦った顔になる。
「二人とも、そのように畏まることはございませんわ! 全く、愚兄が粗野で――」
「おお、そちらの淑女お二人が、ナーティアの友人であるか!」
慌てて間に挟まり眦を吊り上げるグラナートに対し、男はまた快活に笑った。馬の手綱を片手に握ったまま、どんと拳で胸を叩く軍式の礼をして、堂々と告げる。
「俺はフルゥスターリ侯爵家に連なる、イズゥムルートだ。どうか今後とも妹と仲良くしてやって欲しい。こいつは何事も肩肘を張りすぎて、迷惑をかけるやもしれないが優しい奴なので――」
「お、兄、様! 余計なことを仰らないでくださいませ!」
「おぅ、どうしたナーティア、再会の抱擁が足りなかったか?」
業を煮やしたグラナートが、細腕で兄の腕を掴みぐいぐいと引っ張るが、びくともしていない。逆に太腕で再び妹の身体を抱き締め、悲鳴を上げられている。
「似てない兄妹だナー、言われないと気づかないヨ。ナーティア、っていう呼び方もガニーの渾名かイ?」
「ビェールィ語での愛称でしょうね。うふふ、でもグラニィも嬉しそうだわ、ご家族が来て」
「――ラヴィリエお嬢様!!」
そんなふたりを微笑ましく見守っていると、更に後ろから声をかけてきた影が一つ。振り向けば其処には、感極まったように立ち竦む老婆がいた。
針金のように痩せぎすで、大荷物を背負っているのに背筋を伸ばし、伝統的なお仕着せを纏った老婆は、ラヴィリエを見詰めて片手で唇を覆い、感極まっているようだ。その姿を見て、ラヴィリエもぱあっと顔を明るくする。
「あらまあ! ドリス!! 来てくれたのね、嬉しいわ!」
「お久しゅうございます、お嬢様! ああ……少しお痩せになったのではありませんか? この学院はちゃんと食事を用意しているのでしょうか。ヤズロー、貴方がついていながら何をしているのです」
老婆はすぐさまラヴィリエの前に跪き、まるで本当に孫娘に対するような優しい声音で心配した後、ずっと傍に控えていた従者をぎらりと睨み上げる。ヤズローも眉間の皺をあからさまに深くしながら、それでも自分の元上司に対する礼は取りつつ答えた。
「お言葉ですが師匠、お嬢様の体重は入学以来、特段増減はございません」
「ヤズロー! 淑女の体重を声高に話すなど、何という無礼を! 貴方の粗暴な所が、お嬢様に悪影響ではないかと気を揉んでおりましたが、やはり私がお傍に着いた方が良かったのでは――」
ちゃんと答えたのに、ドリスは更に細い眦を吊り上げてぴしゃりとヤズローを叱った。更にラヴィリエの丸い頬をそっと撫でて言葉を重ねる自分に甘い乳母へ、ちょっと困った笑顔で告げた。
「あらまあ、大丈夫よドリス。ヤズローはちゃんと私の面倒を見てくれているわ! 痩せて見えたのだとしたら、私の背が伸びたのではないかしら!」
「当然でございます、お嬢様。かのシアン・ドゥ・シャッス男爵家に仕える者として、ヤズローはまだ足りないものばかりで――まあまあ、確かに身丈が大きくなったかもしれません。お贈りしたお洋服も小さくなってしまったのでは? 新しいものを下ろしませんと」
部下に対する説教と主の娘に対する賛辞が全く止まらない老婆から、さりげなく距離を取ったヤズローに、紫花がそっと囁く。
「……激しいネ、あの婆ちゃン」
「非常に優秀な魔女にしてメイドであり、私の従者としての師匠でもあるのですが……お嬢様に対してだけは、どうにもこう、甘いのです。旦那様のお若い頃からお務めをされていらっしゃるので、僭越ながらお嬢様を孫娘のように」
「聞こえていますよヤズロー」
「失礼致しました」
「おまけに地獄耳ダ」
再び睨まれてすぐさま背筋を伸ばし、降参の意を示すヤズローに、やはり小声でひっそり囁いている内、カランカランと講堂のベルが大きな音を立てて鳴った。
「おっト、そろそろ舞台の準備しなきゃだヨ」
「っ、そうですわね。お兄様、早く馬留めへお向かいなさいな! 舞台を見に来たのでしょう!?」
「おお、確かに。ではお前の活躍を楽しみにしているぞ! 後でな!」
漸く妹に振り払われ、悠々と馬に跨り去っていく男を見送りつつ、改めてラヴィリエもドリスに向かい合った。
「本当にありがとう、来てくれて嬉しいわドリス。私はこれから舞台に立つから、客席からしっかりと応援していてね!」
「嗚呼、お嬢様、なんとご立派な……! ご心配なく、余すところなく全てを見守らせていただきます。お嬢様は何も憂うことはございません」
感極まったようにドリスは震え、軽い足取りで講堂へと歩き出すラヴィリエを最敬礼で見送ると、すくりと立ち上がって今度は別の相手へと向き直った。
「それと、そちらの貴女。紫花様と、仰いましたか」
「ヘ!? アタシ?」
グラナートと共に、自分達も講堂へ向かおうとしていた紫花が急に話を振られて足を止め、目を白黒させている。ドリスはぴんと背筋を伸ばしたまま、真剣な声音で告げた。
「貴女は非常に優秀な魔女術――竜の息吹の使い手と、お嬢様から常々伺っております。私の種をお任せしても、問題は無いと愚行致します。どうぞ、御存分にお使いくださいませ」
「……マ、出来る限り頑張りますヨ」
突然かけられた激励に、紫花はちょっと困ったように頬を掻き、すぐに踵を返した。
「――あれで良いのですね? 随分と自信が無いようでしたが」
「南方の竜司としては、決して褒められたものではないと、ご自身で常に仰られています。実際はお嬢様の見立て通り、非常に優秀な使い手であるかと」
「ならば問題は無いでしょう。私は観客席へ向かいます」
「はい。――師匠、男爵家の守りは」
その場に残ったヤズローから僅かに緊張を孕んだ声で問われ、ドリスの視線が厳しくなる。まだまだ未熟な部分が多い弟子に対し、ぴしゃりと叱った。
「私を誰だと思っているのです、ヤズロー。今は正に春、我が手管が一番栄える季節です。御家の守りは徹底的に固めて参りました。そして今、一番に守らねばならないのはお嬢様です」
「仰る通りです、浅慮にございました」
深々と礼をし、己の不足を詫びるヤズローの旋毛を見ながら、ドリスはあくまで冷徹に告げる。荷物の中から取り出したものを、弟子へと差し出しながら。
「ならば、すぐに勤めに戻りなさい。ラヴィリエお嬢様の晴れ舞台を邪魔する輩を、一片の慈悲も無く、確実に排除するように」
彼女の手の中にあるのは、年代物の片眼鏡だ。嘗て彼女達の主である男爵が、祓魔の仕事へ向かう際に愛用していたもの。顔を上げ、一瞬目を眇めたヤズローが、それを両手で受け取って恭しく再び頭を下げる。
「はい。シアン・ドゥ・シャッス男爵家の名に於いて、必ずや」
決意を込め、頭を下げたまま告げるヤズローに、ドリスは決して彼に見せない微笑みを湛え、満足げに頷いた。




