◆4-3
役者達の稽古が終わっても、裏方達の仕事は終わらない。大道具や小道具の整備についても、人手が足りなくなったのでグラナートが自分の従者を駆り出した。最初は骸骨兵や影の従者に怯えていた団員達も、疲れもせずに次々仕事をこなす彼らを最終的には有難がっており、漸く己の術の正しき有用性を示せた侯爵令嬢はご満悦だったらしい。
そして誰もが身を休めている天幕の一角で、小さなランプの明かり一つを灯し、アッルチナツィオーネは只管羽ペンを動かしていた。やりたいことが多すぎて、脚本を書く手が止まらないのだ。
木箱を机代わりに、がりがりと只管ペンを動かし、書く。頭の中に湧き出た光景を、人物を、台詞を、全て舞台に落とし込む。旧体然とした聖騎士ルグラーツェの伝説が、此処から新しく塗り替えられるのだと思うと、心が弾んで堪らない。
する、と天幕が僅かに揺れて、何かが入ってきたことに気付くが、手は止めない。最悪スチュアートのお礼参り含め、暴漢が入ってきたとしても彼は書くのを止める気は無かった。そうしない自分は寧ろ自分ではないと、アッルチナツィオーネは本気で思っている。
「――失礼」
「むむ、あのお嬢さんの従者か。何だ、今は狼藉を働いていないぞ俺は」
態々声をかけてきたのは、金の卵である男爵令嬢の、四肢を前時代的な鎧で覆った従者だった。どうにも最初の印象が悪かったらしく、目の敵にされてはいるが、流石に今は問答無用で締めあげられることは無いらしい。背中を晒していても、踏まれることは無かった。
「自覚があるのならば、自省はして欲しいものですが。……非常に不本意ながら、貴方とお嬢様はかなり気質が似通っているようで」
一瞬視線だけをちらりと後ろにやると、両腕を組み、本当に不機嫌そうな顔で従者が立っている。勿論それで、アッルチナツィオーネの手も言葉も止まる筈が無い。
「ふはは確かに。あのお嬢さんは物語に対する没頭が凄まじい、俺がとやかく言わずとも、己の中に既に世界を構築している。寧ろ俺がそれを見せて欲しいものだ!」
少々面倒なことになったが、その結果彼女に出会えたことは本当に僥倖だった。勿論彼女は素人であり、演技もまだまだ粗削りだ。だが、臆することなく舞台に立つことを決意し、他者に遠巻きにされがちなヒヤクの瞳を恐れず、寧ろ積極的に話しかけてくれている。アッルチナツィオーネにとっては、非常にありがたい存在だった。
彼としては思い切り褒めたつもりなのだが、従者は非常に嫌そうな顔をして、低い声で告げた。
「貴方に聞きたいことは一つだけです。――ヒヤク殿は、魔操師ですか?」
敬語だが苛立ち交じりの声音できっぱりと言われ、僅かにペン先が止まる。成程、彼の警戒は別のところにあったらしい。
このネージでは魔操師がごく当然の存在として扱われているが、他国では未だ魔に類するものである、と嫌う人も多い。寧ろ荒事に慣れていそうな彼にとっては、警戒してしかるべきなのだろうが――集中が途切れてしまったので癖毛の頭をがりがりと掻き、やむなくペンを手から離した。
「正確には、違う。あいつは魔操師としての訓練をしたことは無い。寧ろ俺が魔操師崩れだ」
さらりと事実を言いながら振り向くと、彼の目が僅かに見開かれた。よく見ると片方の目に宝石の義眼が嵌っており、どうやらそれも腕利き魔操師の手管らしい。便利なのは解っているが、警戒はせざるを得ない、というところだろうか。ヒヤクがあのお嬢様に不用意に近づくことを、咎めたいのだろう。しかし勿論、それを慮るアッルチナツィオーネでもない。
「別に大した話じゃあない。俺には、見る才能も書き換える才能も、どちらも碌に無かったからな。そちらの道は早々に諦めた」
魔操師の証はその特異な「目」――古くは「智慧女神の祝福」或いは「呪い」とも言われるが、神を嫌う魔操師達は当然その呼び方も嫌がる――であると言われているが、その本質は世界を「文字で読み取れる」魂の形だ。
書かれている文字を読むというよりも、視覚で認識した情報がそのまま頭の中に転写されてしまう、と言った方が正しい。その情報は当然膨大で、己に合わぬ眼鏡を迂闊にかけてしまうと、情報に飲み込まれて脳髄が使い物にならなくなる者もいる。無論、自分には無縁であったのだが。
「ヒヤクは、俺と段違いの才能持ちだ。一目見てすぐに解った。見え過ぎる目を持つ魔操師は、大概狂うんだ。実際――俺が出会った時にはもう、あいつの中身は空っぽだった。寧ろ生きようとしているだけでも奇跡だった、あいつの親が心を配ってくれていたそうだ」
自分が、何であるかは解っていた。生きる為に何をすればいいかも理解していた。だが、そうする理由や、そうしたいという意思を、一切彼は持っていなかった。絶望も無く、惰性でもなく、ただ、ただ、生きているだけの存在だった。
では何故死なぬのかと、第三者から見ればかなり酷い疑問を平気で、アッルチナツィオーネもぶつけてしまったけれど。そこで初めて、少しだけ表情を動かした彼はこう言ったのだ。
――父が、俺に生きて欲しいと言ったから、と。
「勿体ない、と思ってな。これだけの才があるのに、魂が空のままなのは。だから俺は、あいつに物語を与え続けた。幸い、俺や共演する相手が望む演技を、あいつは幾らでも返せる、だからこそ舞台に立てる。まずは自分で食い扶持を得られるようにならないとな」
今はただ、自分の書いた脚本や、演じる相手が望むように動いているだけだ。其処に彼自身の意志や感情は全く乗っていない。
それこそが、他の役者達に気味悪がられる一番の理由だろう。内に何も無いのに、何もかもを演じられるなど、己が魂を震わせて他者を演じる役者達にとって、意味の解らない存在だから。
「だがいつか、俺でなくても、誰でもいい、沢山の物語をその魂に刻みつけていけば、あいつ自身の魂が、震えることがあるかもしれない。そうしたらきっと――」
にやり、とアッルチナツィオーネは笑う。
「俺はあいつの魂を動かしたぞ、と。脚本家として笑って死ねるだろうさ」
魔操師として生まれ、碌に何も出来なかったけれど、やはり世界を読み解き変革を行いたい、という気骨は己の内にもあるらしい、方法が違うだけで。それが解ったのか、やはり従者は嫌そうな顔をした。
「故に、あのお嬢さんには感謝している。あいつが引き摺られるぐらいに、刺激を与えてくれているからな。貴族令嬢で無かったら、演劇団に引き抜いていたところだ」
「――お嬢様は、我がシアン・ドゥ・シャッス男爵家の一人娘であり、後継者です」
「ああ、残念だ。貴族と揉めるのは団長が怒るからな」
つまり、外的要因が無かったら本気で引き抜きをしたかったのだが、従者が眉間に皺を寄せて拳を握ったので慌てて机に向かう。これ以上締め上げられるのは御免だ。
「解っている、そんな暴挙はしないとも。――だが、お嬢さんの才は、本当に本物だ。惜しいな」
名残惜しく呟いた声は無視されて、来た時と同じく、僅かに布を揺らすだけで彼は去っていった。
×××
寮の狭いベッドの上で、ラヴィリエは今日貰った脚本を広げていた。何せ演じる傍から台詞が追加されていき、文字も紙も増えて行って、もう寝る場所が無い程だ。
「ふふふふふ、うふふふふふふふ」
しかしラヴィリエは楽しくて仕方が無い。脚本の内容を理解すればするほど、演技も台詞も身の内から溢れて堪え切れなくなっている。更に自分の思いつきも無茶も、全てを受け止めてくれる相手がいてくれるのだから、尚更だ。こんなに幸せでいいのかしら、と何度も自問してしまうぐらいに幸せだった。
「――お嬢様、夢中になるのは解りますが、勉学もお忘れになりませんよう」
いつの間にか部屋の中に入って控えていたヤズローの釘刺しに、笑って頷く。子供の頃から呼ばなくても傍に居てくれた相手だ、驚くことも無い。
「解っているわヤズロー! 貴方こそ、花壇の整備は終わったの?」
最近自分の傍から良く離れるようになったヤズローが、今日は講堂周りに祭り用の花を植える業者達に、手を貸していたことを知っている。それに合わせて、彼自身も花壇に色々と仕込んでいることも。
「仰せの通りに。お嬢様には大変申し訳ございませんが、作業が完了するまでご不便をおかけすることをお許しください」
「大丈夫よ、ドリスの使い魔達もいるし、グラニィにも助けて貰っているわ!」
多分、それもヤズローの方から働きかけたものだとは思うが、言及は止めておく。彼の従者としての矜持を傷つけかねないと解っているからだ。にこりと微笑み、紙束をかき集めて胸に抱き、うっとりとラヴィリエは囁いた。
「劇に出演することは、もうお手紙でお母様たちに知らせたけれど、ナーデルなら来てくれるかしら? 流石にお父様とお母様は難しいわよね」
当日は町人だけでなく、学生の家族も沢山学院を訪れる。勿論寝たきりの父を置いて母だけがこちらに来るということは有り得ないが、普段忙しく実家を切り盛りしている、若いメイドは喜ぶだろう。そう思って言及したのだが。
「――その事ですが、私の方に先程連絡が届きました」
「あら、何かしら?」
「当日には、師匠が自らいらっしゃるそうです」
「あらあらあら、まあまあまあ!!」
苦虫を噛み潰したようなヤズローの声音と対照的に、ラヴィリエはベッドの上で跳ね、ぱああっと弾けたような笑顔になった。
「ドリスがこちらに来てくれるの!? 嬉しいわ、手紙のやり取りはしているけれど、会うのは本当に久しぶりだもの! 元気な姿を見られるのね!」
彼女の喜びは単純に、生まれた頃から面倒を見てくれた、絶対的な味方で乳母でもある彼女と、久々に会えるという事実からに他ならない。しかしヤズローにとっては、彼女がこちらに来るという事は男爵家の守りを薄くする行為であり、また自分の働きが足りぬと言われたに等しい。悔しさを飲み込むように奥歯を噛み締めながら、再び頭を下げた。
「己の未熟故、お嬢様にご迷惑をおかけし、重ねて申し訳ございません」
いつになく静かなヤズローの声に、ラヴィリエは一度口を閉じ。
「謝る事なんて何も無いわ、ヤズロー。貴方が私を守るために、ありとあらゆる手段を使ってくれることの、何が迷惑だと言うの?」
ベッドの上に座って向き直り、はっきりとした声音で告げたので、ヤズローも僅かに背筋を伸ばした。
「この舞台は私の人生に訪れた最大の僥倖に違いないわ。だから、今だけ全てを賭けさせて。大丈夫よ、全てを終えた後には、必ずやるべき事へと戻るから」
今の状況は心底楽しんでいるけれど、同時に本来この学院でやるべき事を、全てかなぐり捨てている状態だ、という自覚はラヴィリエにもある。
だから先日は、舞台に出ても良いか、とヤズローに態々確認をしてしまった。主の娘の健やかな生活を守り続けるよう、主から厳命されている彼が、否を返すわけがないと解っていたのに。
自分の甘えを反省してから、ラヴィリエは真剣な表情を緩めて、いつも通り、大仰な手ぶりをしてから笑顔で語り始める。忠実で優秀なる父の従者に、これ以上心配をかけないために。
「それに、出来ないことがあるなんて当たり前のことなのよ、私を見なさい! ヤズローだけじゃなく、グラニィや紫花がいてくれなかったら、とっくの昔に退学になっていたわ!」
「お嬢様、そこで胸を張らないでください」
「うふふ、『一人で描く円は、他者が触れれば扉となる』というでしょう。勿論、全部甘えて縋ってしまうのはちょっと情けないけれど、そうやって乗り越えた後に、今度は自分でできるようになればいいのよ!」
溜息を吐くヤズローもいつもの調子に戻ったことを確認して、ラヴィリエは満足げに微笑み、ベッドの上に立ちあがって宣言した。
「見ていなさいヤズロー、私は必ずや舞台を成功させつつ、次の春試験では絶対に不可を取らずに通過してみせるわ……!」
「その宣言、お忘れになりませんよう。期待しております、お嬢様」
「うふふふふ、任せなさい!!」




