18時間目
『図書棟』
「え、みるの?」
分厚い専門書から顔をあげた私の眉間にこれでもかというくらい皺が刻まれているだろうに、相変わらずにこにこと笑顔を浮かべていられる千歳は神経が図太いようである。麗しい顔に確かめるようにもう一度尋ねる。
「本当に三毛先生の授業見に行くの?」
「ええ!」
ああ、聞き間違いじゃなかったのね。と、日本美人から読みかけの本へと視線を落とす。分厚い歴史書には聞いたこともない名前が年代別に紹介されているが、加奈が捜している人物は半ばまできたというのに今だに出ては来ない。パラキート。名前だと思っていたがもしや渾名かなにかだろうか。
「ご学友の方々と一度見に行こうと思いまして。加奈さんもご一緒しましょう?」
「んー?」
憎悪の対象であった日記の著者。賢者の石という物質に一番近かった研究者だ。とんでもはっぷんの石をよくもまあ研究してくれたもんだと息をつく。
日記を何度も読み返して理解しようとしたが結局加奈の頭で分かったのは賢者の石は血液に作用することまたはそれに近いなにかで自然に魔素粒子を吸収する効果を発揮するということだ。
魔素粒子の結合というのは普通加奈の首にかけられているルビーのように術者が魔力を使って外部から影響を与え結合させていかねばならないのだが。
「三毛先生ですけれど中々面白い魔法器具学をやられるらしいですわよ」
「へー」
うーん、と考え込んでも埒が明かないしなあ。愚かなるパラキート。本当に嫌なものを残してくれたわ。こんな学校の倉庫に放り出されてるだけ幸運だったけどこれ出るとこ出ればあの三毛みたいに馬鹿なのが色々やらかすってわかってなかったわけ。
「加奈さん、聞いていらっしゃる?」
「うん」
「もうっ、加奈さんのいけず!」
おざなりな返事にぷんぷんと頬を膨らませる千歳は相変わらず麗しいけど、返事をしてるだけ優しいと私は思う。
変人の巣窟『ネスト』と、『彼女』並に会いたくないトラウマの塊になぜ自分から近づかねばならないのだろうか。それに、失踪事件のフラグはもう回収したのだから態々会う必要もないだろう。
「友達といっておいでよ。私あんまり魔法器具学って興味ないし。てか、私行かなくてよくない?」
「百聞は一見にしかず、ですわよ」
壁を作るように立てていた分厚い歴史書から向こう側をそろりと伺うと真向かいの椅子に腰掛けてじぃいとこちらを見つめてくる千歳の涼しげの瞳と目が合った。見つめ合うこと数秒。さきにそらしたのは加奈だった。
「………」
「………」
歴史書で顔を隠してだらだらと流れそうな冷や汗の錯覚に思わず手のひらをスカートでぬぐった。
行きたくない加奈と、なんでか加奈と行きたい千歳との間は最早我慢比べに陥っていた。だけれどもまたそろりと本から顔を上げた瞬間、彫像を見た。
諦めの溜息をついて、ぱたんと本を倒すと狭かった視野が広がる。頬杖をついたところでようやく千歳は一つ、瞬きをした。
「その美人な顔で瞬きすらしないとかどんだけマジなの」
「とても、とても…ですわ」
一緒に行くとは一言もいっていないのに勝ちを確信しているのか、花が綻ぶように微笑む千歳に堂々加奈は白旗をあげたのである。
『廊下』
次の日、千歳と約束した通り三毛の授業の聴講のため加奈は廊下を進んでいた。お昼の後に長元坊の魔法実践学の授業があったがネスト三年調教師雉羽と合同だと同級生が騒いでいたのでサボった結果、早めに講義室へ着いてしまいそうだ。
「いやいやいや。」
途端、はっとして足を止めて頭を抱えた。
「ダメだろ。それはダメだろ!」
よくよく考えても見ろ。大多数の中の一人だったら目立たないだろうが、少人数の中の一人、しかも早めに待機してるとかやる気満々かつ積極的な花マル生徒だと思われる可能性だってある!三毛に目をつけられるフラグなんて立てたくない。
裾の中に隠れている時計は授業開始まで20分も余裕がある。五分前になるまでどこかで時間を潰す必要ができた。鞄を肩にかけなおして、どうするかと踵を返したところで声がかかった。
「……平井ちゃん?」
「山崎先輩!」
「やっほーい」
ちょいイケメンの山崎に下手くそなウインクを飛ばされた加奈はどう反応すればいいか分からなくてとりあえず曖昧に笑っておくと、とんとんと山崎が距離をつめる。
「俺授業たまたまなくなったんだけど平井ちゃんも授業ないの?」
「あー、っと。まあそんなとこです」
にこにこと尋ねる山崎だったが歯切れの悪い加奈の様子にぴんときたものがあったのか一瞬悪戯気に笑ったがどうやら下手くそな嘘に乗っかってくれたらしく腕組みをしてうんうんと頷いた。こんなとこで会うとか三毛の授業受けるのかな…。と若干複雑な気持ちになっていると山崎が口を開いた。
「次の授業は?俺ここで三毛先生の授業受けんだよね」
まさか、と思ったがそのまさかであったらしい。まさかまさかこれまたまさか山崎は先程加奈が回避しようとした花マル生徒であったのではあるまいな、と訝しがりながらも顔に出さないようにへらりと笑った。
「私は友達に無理矢理聴講さそわれたんです。……山崎先輩は?」
へらりと表向き尋ねた加奈に山崎もへらりと笑って答える。
「俺ちゃんと授業とってるよ。三毛先生めっちゃ面白くてさー、毎回前の席ゲットしてたら気に入られたかなんかで個人研究まで手伝わせてもらってんだ」
(個人研究まで手伝わせてもらってるって、そんなにも三毛先生と関わり深かったの?)
へらへらしつつも、若干誇らしげに宣った彼に。行き場を失っていた空気に無意味な音がついて止まっていた喉の奥から漏れた。
何度死んでも知らないことはたくさんあって。こそこそ立ち回りながら知らなければならないことの優先順位に従って知ろうとしてきたけれど。それでも空っぽの結果ばかりが加奈の中にある。
けれどその時、たしかに空っぽの箱のなか。そのひとつが埋まったのを感じた。




