17時間目
『寮ー談話室』
朝、目が覚めた時から加奈は嫌に体が重たかった。目はパチリと開くくせ、やけに重い五臓六腑が重石の如く体をベッドから引き剥がさせなかったのである。布団から中々出たがらない体をどうにか叱咤して布団を蹴っ飛ばし、身支度を毎回の如く整え談話室に出ると少し掲示板の方が騒がしかった。
「あ、加奈さんおはよう」
「おはよう。ねね、あれどうしたの?」
談話室に降りてきた加奈に気づいた寮住まいの知り合いの足を声をかけて止める。ざわつく方を指差すと彼女は、「やっぱ気になるわよね」と少し笑って教えてくれた。話を要約すると転校生が新たに来る旨と新任の教師が教鞭をとるという知らせが貼られているらしい。ありがとう、と謝意を示して別れるとそのまま加奈は掲示板の前を陣取った。
何度も何度も書かれている文字を目で追って確かめる。五回も目を通したけれどやっぱりそこに記載されている文字に変化は見られない。
どこぞのお茶目な学園では文字が踊ったり変わったりするらしいのだが、白鳥学園はやはり真面目である。うむ。
朝のあの嫌な感じの原因はどうやらこれを予知していてらしい。加奈のように掲示板に目を通している学生たちは各々興味を持って微かに騒いだり、大したリアクションもみせずに淡々と立ち去っていたり様々な反応があった。加奈は勿論後者の反応である。
「なに見てんのー?えーなになに、転校生あらわる?」
「山崎先輩」
うんうん唸りながらも睨みつけるように掲示板を眺めていた加奈の後ろからひょっこり顔を出したのは室長の友人である山崎勇だった。それなりイケメンの丸い目が掲示板へと向けられてさらに丸くなる。
「転校生とか珍しいなあ。え!新任教師も!?ダブルでとか珍しすぎでしょ」
どうやら山崎は前者のようだ。興味深そうに文章を読んでいる。なだらかな首を通ったさきのその横顔はどこまでも晴れやかで。眩しいな。素直にそう思ったのに、何かが急に弛んで。(ダメだ。)そう戒めたのに、肺は新たな空気を吸い込んでいた。
「知ってますか山崎先輩。この人たちに、殺されたんですよ。…私たち」
一瞬目を細めて加奈は薄く笑った。
どこまでも晴れやかなその表情は、何も知らないから浮かべられるもので。もう二度と自分にはできない顔だ。未来を知っている加奈はどうしても無垢なままではいられない。黄味がかった、なだらかな首筋が曲げられて。
「それより平井ちゃん飯食った?まだだったら一緒に食おうぜ」
掲示板からこちらへと向けたその視線にネガティブな色はなくて結局、言えなかったことを知った。
「いいですね」
「今日の朝飯なんだろなー」
にこり、笑って頷いた加奈に山崎も笑って背を並べて歩き出す。朝の冴え渡る空気はそのまま、吐き出されて終わった。
そして、迎えた5月1日。
礼堂での集会に向かう生徒たちの波の中に加奈の姿はなく。『彼女』は、白鳥学園に転校してきた。
『講義室ー理論学』
「構成に時間がかかるということは即ちその間、外部からの何らかの影響を受けやすいということになります。」
教科書を片手に上矢田が黒板を指し示しているのを見ながら加奈はここ数日のことを思い返していた。
本人とは未だに遭っていないどころか見てすらもいないのだが、どうやら『彼女』は毎度の如くネストのお気に入りとなったようでその手腕に加奈は食堂で噂話を盗み聞きしながら心底感心してしまった。
転校してきてから間もないのに、まるで水が地面に吸い込まれるように『彼女』の話が校内に瞬く間に広がる様はいっそ痛快で思わず拍手喝采で讃えてやりたいぐらいだった。もちろん皮肉の意味をこめて。
なんだか自分が荒んでいくのが垣間見れて気まぐれに窓の外へ目を向けると稲妻のような光線が凄まじい勢いで過って行ったが、今日も概ね白鳥学園は平和らしい。魔術の暴発、よくあるよくある。
「そこで補う為に作られたのが魔法器具や符呪なのです。歴史を詳しく知りたい人は参考文献に載せてあるので図書館で探して見て下さい。また、新しい先生に聞くのも良いかもしれませんね」
上矢田の声が教室に響いて。くるり。使い古したシャープペンシルが一回転してまた戻る。
(新しいせんせい、ねえ)
麗らかな空から黒板へと視線を戻し書かれていた文字を同じようにして自分のノートにも書き写した。書かなくとも、覚えているのだけど。
『階段』
授業を終えて図書棟に向かうために階段をおりている時だった。なにやら生徒たちがざわつく音が届いたのだ。何事だろうと首を傾げたがどうせ転校生の彼女絡みのイベントだろうと予想をつけてはいた。
「転校生だからって舐めないでよね!」
「ははは。仕方ないな。可愛い末っ子の実力をみてやろう」
始まってしまったミニフラグを回収するなんて加奈には度胸もないし魔力もない。図書棟じゃなくて特待室いこっと。早々にそこから反対側へと立ち去ることにした。
『特待室』
「往々にしてなぜ主人公は変な事件を引き起こすのでしょうか。しかも見事に攻略対象を巻き込んで」
「急にどないしたん」
扉が開くなり口走る加奈に中にいた室長が若干笑いながらもソファに座るように勧めた。机にかちりと置かれたマグカップに、どうも。といいつつ手を付ける。
どうやら本を片手にティータイムを決め込もうとしていた所だったらしい。ついでに注がれたお茶を一口飲んで安い味に長い息が漏れた。
「あー、この安い味懐かしいですー」
「倶楽部活動で外行ったとき買うたんよ。それよか自分あの二人に絡まれとらんか?」
「あの二人?」
「犬…、焼きと…、鷲野と雉羽や」
なんとも言えない顔をしているけど私も室長と同じくらい苦虫を噛み潰したような微妙な顔をしている自信がある。名前を呼ぶだけでこんな嫌そうな顔をされる人間なんてそうそういない筈だ。
片手で持っていたマグカップを両手に持ち替える。ええと、ええと。焼き鳥連中のことだよね。
「あれ以降は特に何もないんで大丈夫です。むしろ視界にもいれたくないですし。…さっきもなんか転校生に突っかかってましたし、いい加減炙られてしまえばいいのに」
「転校生にさっそくちょっかいだしとんのか。迷惑しかかけへん連中やなほんま」
お茶菓子を味わいながら器用に肩を竦める室長に加奈は一つ小首を傾げて同じようにお茶菓子へと手を伸ばした。早々あることではないが特待生にネストが要らぬちょっかいをかけてると知ると室長がどこからともなくすっとんで来てくれるのだが。目の前で寛いでいる彼からは動く気配も感じられない。
「止めにいかないんですか?」
加奈の中で『彼女』に対する認識は特待生扱いの転校生だったのだが、あの室長が話を耳にしてもーしかもあの鷲野が場を引っ掻き回しているー動揺するどころかのんびりとお茶を啜ってさえいる。ううむ、特待生バカという室長の認識を改めなければ。
半分に割った饅頭のカスがぽろぽろスカートに落ちて、「あ。ティッシュわざわざすみません」渡されたティッシュの上に落ちたカスを集めていると途端、爆弾が落とされた。
「かまへん。あの子特待生ちゃうしな」
「…はっ!?」
「あ、これ秘密にしといてな?」
にんまりと笑う室長にこくこくと頷いて。
「えっ、特待生じゃないんですか彼女!?」
「せやで。学園側がどうしても特待生扱いしたいちゅうから、表立って否定はしてへんけどな」
ずずずと音を立てながらお茶を啜って室長がなんとなしに言うけど、どうやら認識を改める必要があったのは私自身らしい。今までの正しいと思っていたことが実は大間違いだったという愕然とした衝撃に耐えた。
頭から煙が出そう。あ、室長それ私が狙ってたヨモギ饅頭なんですけど。もきゅもきゅ食べないで下さい。
「せや、三毛先生に逢うた?新しく入ってきた先生やねんけど。中々おもろい授業しはるで」
ー三毛。
『あ、丁度いいところに!平井さぁん!少し手伝ってくれないですかぁ?』
(忘れるもの、か)
目の前で掻っ攫われていったヨモギ饅頭が室長の手の中でもちゅ、と形を変えるのを視界に加奈は仕方なしに手にとった三色団子を頬張り、首を横に振った。
室長はそれを否定の意味だと受け取ったようだがそのまま額面通りに思われちゃあ困る。
(山崎先輩を、私を殺した人なんですよ)
三毛先生、下の名前は知らないけど。あったことのある云々よりももっと因縁深い関係にある。
「眉間にシワよっとんで」
「…ヨモギ饅頭が食べたかったんです」
えらいすんませんなあ、と笑う室長はきっと私がヨモギ饅頭を狙っていたことを知っていたに違いない。ニヤニヤ笑顔をうかべる室長からぷいっと顔を逸らすと、笑い声が穏やかに部屋に響いた。




