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『最後のページを読んだ人』  作者: こうた


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第6話 少女の記憶



朝になっても、恒一は眠れなかった。


机の上には、二冊の黒い本。


一冊目は開いたまま。


二冊目は閉じたまま。


そして、一冊目の表紙に浮かんでいた文字。


「あと十三話。」


その数字は、朝になっても消えていなかった。


「……十三話って何だよ」


恒一は指で表紙を擦った。


文字は消えない。


爪で引っ掻いても、濡れた布で拭いても同じだった。


まるで最初から、表紙に印刷されていたようだった。


そのとき。


スマートフォンが鳴った。


母親からだった。


恒一は少し迷ってから電話に出る。


「もしもし」


『恒一?』


「うん」


『昨日、変な夢を見たの』


母親の声が、少し震えていた。


「夢?」


『小さい頃のあんたが出てきた』


恒一の視線が、黒い本へ向く。


「……どんな夢?」


『雨の日だった』


心臓が跳ねた。


『あんたが神社にいたの』


「……」


『誰かと一緒だった』


恒一は何も言わなかった。


『女の子』


その瞬間。


机の上で――


本のページがめくれた。


パラッ。


恒一は息を呑む。


ページには、新しい文章。


> 「母親は、少女のことを覚えていた。」




「……母さん」


『何?』


「その女の子って……誰?」


電話の向こうが静かになった。


長い沈黙。


やがて母親が答えた。


『恒一……』


声が小さくなる。


『その子のことは、忘れたほうがいい』


「どうして?」


『お父さんに、そう言われてたの』


「父さんが?」


『絶対に、その子のことを話すなって』


恒一の背中を冷たいものが流れた。


「母さん」


『うん』


「俺は昔、その子と何をしてた?」


母親は答えない。


「教えてよ」


『……本を読んでた』


「本?」


『二人で、一冊の本を』


恒一は立ち上がった。


「その本って……」


母親が息を呑む。


『黒かった』


電話が切れた。


「母さん?」


かけ直す。


出ない。


もう一度。


出ない。


恒一はスマートフォンを置いた。


そして本を見る。


文章が増えていた。


> 「神谷恒一は、少女の存在を思い出した。」




> 「しかし、まだ名前だけは思い出せない。」




「……名前?」


その瞬間。


部屋の隅から、小さな声がした。


「忘れちゃったの?」


恒一の体が固まった。


ゆっくり振り返る。


誰もいない。


カーテン。


ソファ。


テレビ。


何もない。


「……誰?」


返事はない。


恒一は立ち上がった。


部屋を確認する。


浴室。


トイレ。


寝室。


誰もいない。


もう一度リビングへ戻った。


そのとき。


本のページに目が止まった。


> 「少女は、部屋の中にいる。」




「……!」


恒一は振り返った。


窓。


そこに――


少女が立っていた。


白いワンピース。


濡れた黒髪。


裸足。


年齢は十歳前後に見える。


ただし。


窓の外ではない。


部屋の中。


窓のすぐ横に立っている。


恒一は声が出なかった。


少女は、こちらを見ていた。


笑っている。


「……誰だ」


少女は答えない。


代わりに、首を少し傾ける。


「私のこと、本当に忘れちゃった?」


「……知らない」


少女の笑顔が消えた。


「嘘」


一歩近づく。


「昔は、毎日一緒だったのに」


恒一は後退した。


「お前……誰なんだ」


少女は、黒い本を指差した。


「それ、まだ途中だよ」


「……」


「だから、私のことを思い出せないの」


少女が本を開く。


恒一は触れていない。


なのにページが勝手にめくられていく。


パラ。


パラ。


パラ。


そして、古いページで止まった。


そこには写真があった。


昨日、美月から送られてきたものと同じ。


幼い恒一。


赤い鳥居。


その隣に立つ少女。


だが今回は――


少女の顔が写っていた。


恒一は写真を見つめる。


「……お前」


少女は笑った。


「思い出した?」


「いや……」


何かが頭の奥に引っかかっている。


昔の記憶。


雨。


神社。


少女。


黒い本。


そして――


自分が少女に言った言葉。


「次は、僕が続きを書く」


「……なんだ、これ」


頭痛が走った。


視界が歪む。


記憶が流れ込んでくる。


幼い自分が、少女と一緒に本を開いている。


少女が言う。


『この本、続きを書けるんだよ』


幼い恒一が笑う。


『本当?』


『うん』


『何を書いてもいいの?』


少女は首を振る。


『一つだけ決まりがある』


『なに?』


少女は黒い本を閉じた。


『書いた人が、最後まで読まないといけないの』


「……!」


恒一は頭を押さえた。


記憶が途切れる。


少女は目の前にいる。


「思い出した?」


「……少しだけ」


「じゃあ、名前も思い出して」


恒一は少女を見る。


その瞬間。


黒い本のページに、新しい文章が浮かんだ。


> 「少女の名前は――」




そこで文章が止まった。


一文字も出てこない。


恒一はページを見つめた。


「……書かれない?」


少女が初めて怯えた表情を見せた。


「違う」


「何が?」


「まだ、その名前を書いちゃいけないの。」


「どうして?」


少女は答えなかった。


代わりに、本を閉じる。


そして恒一を見る。


「この本を書いたのは、あなたじゃない」


「……え?」


「でも、あなたは知ってる」


少女が一歩近づく。


「私の名前を知ってる人が、この部屋の中にもう一人いる。」


恒一は周囲を見る。


誰もいない。


「誰だよ」


少女は答えた。


「あなた」


「……俺?」


少女が笑う。


「違う」


そして――


恒一の背後を指差した。


「昨日から、ずっとそこにいる人。」


恒一はゆっくり振り返った。


誰もいない。


ただ、床に一枚の紙が落ちている。


拾い上げる。


そこには、父親の筆跡。


> 『恒一へ。』




> 『もし少女が現れたなら、絶対に彼女の名前を聞くな。』




その下に、さらに一行。


> 『彼女の名前を思い出した瞬間、お前はこの物語から出られなくなる。』




恒一は紙を落とした。


そして気づく。


部屋の隅。


さっきまで何もなかった場所に――


三冊目の黒い本が置かれている。


少女がそれを見る。


顔から血の気が引いていく。


「……来た」


「何が?」


少女は小さな声で答えた。


「前の読者。」


三冊目の本が、ゆっくり開いた。


最初のページ。


そこには、たった一行だけ書かれていた。


> 『次に読むのは、あなたではない。』




そして。


その文章の下に――


恒一の母親の名前が浮かび上がった。

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