第3話 ドアの向こう側
「恒一……」
ドアの向こうから、佐伯の声がする。
「開けてくれよ」
恒一は息を殺していた。
佐伯なら、こんな時間に突然訪ねてくることはある。
だが――
どうして本に書かれた直後に来る?
それが偶然だとは、もう思えなかった。
机の上を見る。
黒い本が開いている。
そこには、さっきまでなかった文章があった。
> 「恒一は、ドアを開けるべきか迷った。」
「……開けない」
恒一は小さく呟いた。
すると文字が増える。
> 「彼は、開けないことを選んだ。」
恒一は少しだけ安心した。
しかし次の瞬間。
> 「だから、佐伯は自分で入ってくる。」
「……え?」
ガチャ。
玄関のドアノブが回った。
恒一は飛び上がった。
鍵は掛かっている。
チェーンも掛かっている。
それなのに――
ガチャ。
ガチャガチャ。
「恒一?」
佐伯の声。
「鍵、開いてるぞ」
「……そんなわけない」
恒一は玄関から離れた。
ドアノブが止まる。
静寂。
そして。
「恒一」
声が低くなった。
「俺だよ」
その言葉に、恒一は違和感を覚えた。
佐伯は普段、こんな言い方をしない。
もっと軽い。
もっと馴れ馴れしい。
それに――
佐伯なら、恒一の部屋の鍵を持っているはずがない。
なのに、なぜ「鍵が開いている」と言った?
恒一はスマートフォンを取り出した。
佐伯から届いたメッセージを確認する。
『今、家にいる?』
その下に、もう一件。
いつ送られたのか分からないメッセージがあった。
『ドアを開けるな』
送信者は――
佐伯恒一。
「……何だよ、これ」
そしてもう一つ。
今度は写真だった。
震える指で開く。
写真には、恒一の部屋が写っていた。
机。
黒い本。
椅子。
そして――
写真を撮影している人物の影。
恒一は息を呑んだ。
この写真。
部屋の内側から撮影されている。
「……誰が撮った?」
玄関を見る。
ドアの向こうから、佐伯の声がした。
「恒一」
「……」
「そこにいるんだろ?」
恒一は返事をしなかった。
すると、声が変わった。
「どうして返事しない?」
今度は――
自分の声だった。
「……え?」
ドアの向こうから聞こえてくる声は、完全に恒一自身の声だった。
『恒一』
『開けてくれ』
『俺だよ』
恒一は後ずさった。
机を見る。
黒い本のページが、また勝手にめくれている。
パラ。
パラ。
パラ。
そして、一ページで止まった。
そこには、挿絵のような写真があった。
古い白黒写真。
写っているのは、一人の男。
その男は玄関の前に立っている。
顔は――
恒一だった。
服装まで同じ。
今着ているものと完全に一致している。
写真の下には文章がある。
> 「彼は、まだ気づいていない。」
> 「ドアの外にいるのは、佐伯ではない。」
恒一の喉が鳴った。
「じゃあ……誰なんだよ」
ページに新しい文字が現れる。
> 「彼は、まだ気づいていない。」
> 「ドアの外にいるのは――」
文字が一度消える。
そして。
ゆっくり浮かび上がった。
> 「昨日の神谷恒一である。」
「……昨日?」
その瞬間。
ドアの向こうから声がした。
「恒一」
今度は佐伯でも、自分でもない。
父親の声だった。
「開けなさい」
恒一の顔が青ざめる。
父は、この部屋に来たことがない。
そもそも父は――
三年前に亡くなっている。
「……父さん?」
返事はない。
代わりにドアの下から、何かがゆっくり差し込まれた。
紙だった。
一枚の紙。
恒一は震えながら拾い上げる。
そこには手書きの文字。
父親の筆跡だった。
> 『恒一へ。』
> 『もし、この本を見つけたなら、絶対に最後まで読むな。』
その下に、さらに一文。
> 『そして、黒田という男を信じるな。』
恒一は目を見開いた。
黒田。
あの古本屋の店主。
なぜ父親が、その名前を知っている?
その瞬間。
本のページが勢いよく閉じた。
バンッ!
恒一は肩を震わせる。
表紙を見る。
黒い表紙。
そこには今まで存在しなかった文字が浮かんでいた。
『第一章 神谷恒一は黒い本を拾った』
その下に、新しい題名が現れる。
『第二章 神谷恒一は父親の警告を読んだ』
そして――
ページの端に、小さな文字。
> 「次は、白石美月が登場する。」
恒一はその名前を知らなかった。
知らないはずだった。
なのに。
スマートフォンが鳴った。
知らない番号からの着信。
画面に表示された名前は――
白石美月
だった。




