第2話 午前零時の来訪者
――ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。
恒一は息を止めた。
時計を見る。
0時00分。
さっきまで23時59分だったはずなのに。
本当に、午前零時。
「……嘘だろ」
もう一度、チャイムが鳴った。
――ピンポーン。
恒一は椅子から立ち上がれなかった。
玄関を見る。
一人暮らしの部屋。
こんな時間に訪ねてくる人間などいない。
宅配便でもない。
友人でもない。
まして、今の恒一には誰かを呼んだ覚えなどなかった。
机の上。
黒い本が開かれている。
そのページには、さっきまでなかった文章が増えていた。
> 「神谷恒一は、玄関へ向かった。」
「……行くなってことか?」
本を閉じようとした。
だが、手が止まる。
文章の下に、さらに文字が浮かび上がった。
> 「彼は、行かないという選択肢も考えた。」
恒一の背中に冷たい汗が流れた。
「俺の考えてることまで……?」
ページが一枚、勝手にめくれる。
> 「しかし、彼は確認しなければならないと思った。」
「思ってない」
恒一は呟いた。
「俺は行かない」
椅子に座ったまま、本を睨む。
すると。
新しい文字が現れた。
> 「彼は、そう言った。」
恒一は立ち上がった。
自分でも理由が分からなかった。
玄関へ向かう。
一歩。
また一歩。
足が勝手に動いているわけではない。
自分の意思で歩いている。
それなのに――
自分で決めている感覚がなかった。
玄関の前に立つ。
ドアスコープを覗く。
誰もいない。
廊下には蛍光灯が一本。
その下に、濡れた床。
雨が降っているからだろう。
「……誰だよ」
返事はない。
恒一はチェーンを掛けたまま、ほんの少しだけドアを開けた。
「どちら様ですか?」
沈黙。
廊下には誰もいない。
「……?」
下を見る。
そこに、一冊の本が置かれていた。
黒い表紙。
見覚えがある。
「……まさか」
恒一はドアを閉めた。
急いで机へ戻る。
黒い本を見る。
そこにある。
確かにある。
それなら――
玄関に置かれていた本は何なのか。
恒一は再びドアを開けた。
廊下に置かれた本を拾う。
表紙を確認する。
同じ黒。
同じ大きさ。
同じ傷。
そして――
同じく題名がない。
「……二冊?」
手が震えた。
一冊を部屋に持ち帰る。
机の上に置く。
二冊を並べる。
完全に同じ本だった。
恒一は恐る恐る最初のページを開いた。
白紙。
二ページ目も白紙。
三ページ目も。
「じゃあ、これは……」
ページをめくる。
十ページ。
二十ページ。
三十ページ。
何もない。
ところが、最後のページだけに文字があった。
> 「二冊目を手に入れた。」
恒一は本を落とした。
「……違う」
声が震える。
「俺が手に入れたんじゃない」
文章が変わる。
> 「彼は否定した。」
「やめろ」
> 「彼は、自分には選択肢があると思っている。」
「やめろ!」
恒一は本を閉じた。
部屋の中が静まり返る。
時計の秒針だけが聞こえる。
カチ。
カチ。
カチ。
そのとき。
スマートフォンが震えた。
画面を見る。
メッセージが一件。
送り主は――
佐伯恒一。
親友の名前だった。
『今、家にいる?』
恒一は返信しようとした。
しかし、その瞬間。
また本が開いた。
ページに新しい文章が浮かぶ。
> 「午前零時七分。」
> 「佐伯からメッセージが届いた。」
恒一はスマートフォンを握りしめた。
「……なんで知ってる」
さらに文字。
> 「恒一は、佐伯に返信する。」
恒一は返信画面を開いた。
指が止まる。
「返信しない」
そう言ってスマートフォンを机に置く。
すると本に文字が浮かぶ。
> 「彼は返信しなかった。」
恒一は少しだけ安心した。
「……そうだ」
本に書かれた通りにする必要なんてない。
俺が決めればいい。
そう思った。
その瞬間。
文章が一行増えた。
> 「しかし、三秒後。」
恒一のスマートフォンが震えた。
着信。
画面には――
佐伯恒一
電話番号も表示されている。
恒一は出なかった。
着信が切れる。
静寂。
すると、すぐにまた着信。
出ない。
切れる。
また着信。
「なんなんだよ……」
四回目の着信。
恒一は電源ボタンを押した。
画面が暗くなる。
これで終わった。
そう思った。
だが。
暗くなった画面に、文字が浮かび上がった。
スマートフォンの画面ではない。
黒い本の文章が、反射して映っている。
恒一は本を見る。
そこには――
> 「彼は電話に出なかった。」
そして、その下に新しい一文。
> 「だから、佐伯は直接会いに行くことにした。」
その瞬間。
玄関のチャイムが鳴った。
――ピンポーン。
恒一の全身が凍りついた。
本のページには、まだ続きがある。
> 「午前零時十五分。」
> 「佐伯恒一が、玄関の前に立った。」
そして。
ドアの向こうから、男の声がした。
「恒一?」
聞き慣れた声。
親友、佐伯の声。
「俺だよ」
恒一は動けない。
ドアノブが――
ゆっくり回った。
ガチャ……。
鍵は掛かっている。
なのに。
本のページに、最後の一文が浮かび上がった。
> 「神谷恒一は、この時初めて気づいた。」
> 「この本に書かれていることは、未来ではない。」
そして、その下に。
> 「すでに起きたことだ。」
恒一は玄関を見つめた。
ドアの向こうから、佐伯がもう一度言った。
「恒一」
「……開けてくれ」
その声は。
佐伯の声なのに、どこか笑っていた。




