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『最後のページを読んだ人』  作者: こうた


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第20話「三枚の死亡診断書」



白衣の男は、三枚の紙を持っていた。


「神谷恒一さん」


その顔は、恒一と同じだった。


十四歳の少年とも。


十歳の少年とも。


どこか似ている。


いや。


似ているというより――


同じ顔を、時間だけ変えて並べたようだった。


「あなたの死亡診断書です」


「……三枚?」


「はい」


男は一枚ずつ机の上に置いた。


一枚目。


神谷恒一 十四歳。


死亡時刻――午後十一時十三分。


二枚目。


神谷恒一 十歳。


死亡時刻――午後十一時十三分。


三枚目。


そこには年齢が書かれていなかった。


名前だけ。


神谷恒一。


死亡時刻――午後十一時十三分。


恒一は三枚目を見つめた。


「年齢がない」


「はい」


「どうして?」


白衣の男は微笑んだ。


「その人間には、年齢が存在しなかったからです」


「……意味が分からない」


「あなたも、そうでしょう?」


恒一の背中が冷たくなった。


「俺には三十四年の人生がある」


「本当に?」


男が尋ねた。


恒一は答えられなかった。


会社。


自宅。


友人。


母親。


父親。


幼少期の記憶。


全部ある。


だが。


第10話で知った。


その人生は――


本物の記憶ではないかもしれない。


「この三枚のうち、一枚だけが本物です」


男が言った。


「残り二枚は?」


「存在しなかった人間の死亡診断書です」


「じゃあ、本物を教えろ」


「できません」


「なぜ?」


男は三枚の紙を裏返した。


裏には、それぞれ一文字ずつ書かれていた。


一枚目。


父。


二枚目。


母。


三枚目。


読者。


恒一は絶句した。


「……これ」


「はい」


白衣の男が言う。


「誰が証明するかによって、本物が変わります」


「どういうことだ?」


「父親が証明すれば、一枚目」


「母さんなら二枚目?」


「はい」


「じゃあ三枚目は……」


男は恒一を見る。


「あなたが証明した場合です」


「俺が?」


「いいえ」


男は静かに首を振った。


「読者が。」


病院の空気が変わった。


恒一の背後。


誰もいないはずの場所から。


ページをめくる音がした。


――パラッ。


恒一が振り返る。


誰もいない。


だが。


そこに黒い本が浮かんでいた。


床には置かれていない。


空中で。


ゆっくりとページがめくられている。


白いページ。


黒い文字。


«読者は、死亡診断書を見た。»


恒一は息を呑んだ。


«これで、読者は三人目の証人になった。»


「証人……?」


兄が呟いた。


「まずい」


「何が?」


兄は答えない。


少女が走ってきた。


「恒一!」


「どうした?」


「その三枚を見ちゃだめ!」


「もう見た」


少女の顔が青ざめる。


「……じゃあ、もう遅い」


「何が遅いんだよ!」


少女は震えながら言った。


「死亡診断書っていうのは……」


一度、唇を噛む。


「死んだ人間を証明するものじゃないの。」


恒一は三枚を見る。


「じゃあ何なんだ?」


「生きている人間を――」


少女は答えた。


「死者にするための紙。」


その瞬間。


一枚目の紙から文字が消えた。


神谷恒一。


十四歳。


死亡時刻。


すべて消える。


次に。


二枚目。


名前が消える。


年齢が消える。


そして――


母親の名前が消えた。


「……母さん?」


恒一が振り返る。


母親が立っていた。


だが。


「誰?」


少女が呟いた。


「……え?」


恒一は母親を見る。


そこにいる。


確かにいる。


顔も分かる。


声も知っている。


なのに――


名前だけが思い出せない。


「母さん……」


その言葉を口にした瞬間。


本が激しく震えた。


«神谷真紀という人物は、存在しません。»


「やめろ!」


恒一が叫ぶ。


本を掴む。


ページを破ろうとする。


しかし。


今度は。


本の方から恒一の手に文字が浮かび上がった。


皮膚に。


黒い文字が滲む。


«神谷恒一。»


恒一は手を見た。


そして。


その名前の下に。


もう一行。


«死亡済み。»


「……!」


恒一は必死に文字を擦った。


消えない。


血が滲む。


それでも消えない。


「恒一!」


少女が駆け寄る。


「名前を否定して!」


「何?」


「自分の名前を否定して!」


「どうやって!」


「言って!」


少女が叫ぶ。


「俺は神谷恒一じゃない!」


恒一は叫んだ。


瞬間。


病院の照明が全て消えた。


闇。


そして。


誰かの声。


『違う』


父親の声だった。


『お前は神谷恒一だ』


続いて。


母親。


『あなたは私の息子よ』


兄。


『僕が神谷恒一だ』


十四歳の少年。


『僕が本物だ』


十歳の少年。


『僕が最初だよ』


白石美月。


『あなたは神谷恒一じゃない』


少女。


『あなたは――』


全員の声が重なる。


『誰?』


恒一は耳を塞いだ。


「やめろ……!」


声が重なる。


『誰?』


『誰?』


『誰?』


『誰?』


そして。


最後に。


自分自身の声。


『あなたは――』


沈黙。


『読者です。』


照明が戻った。


三枚の死亡診断書は消えていた。


代わりに。


机の上に一枚だけ。


新しい紙が置かれている。


恒一は恐る恐る手に取った。


そこには。


名前も。


年齢も。


死亡時刻もない。


ただ一行。


«この人物は、物語の外で死亡しました。»


恒一は凍りついた。


「……物語の外?」


白衣の男が微笑む。


「そうです」


「誰が?」


男は答えなかった。


その代わり。


病院の窓を指差した。


外は夜。


雨が降っている。


窓ガラスに。


一人の人影が映っていた。


恒一。


少女。


兄。


十四歳の少年。


十歳の少年。


母親。


白衣の男。


そして――


もう一人。


顔は見えない。


しかし。


その人物だけが。


こちら側を見ていた。


恒一は窓に近づいた。


「誰だ……?」


人影が手を上げる。


窓越しに。


こちらへ指を向ける。


そして。


ゆっくりと。


自分の胸を指差した。


恒一は息を呑んだ。


「俺……?」


違う。


その人物が指差していたのは。


恒一ではない。


窓のこちら側。


そして。


その人物は。


まるで誰かに話しかけるように。


口を動かした。


声は聞こえない。


だが。


本には文字が現れた。


«物語の外で死んだ人間が、戻ってきた。»


恒一はページをめくる。


次の文章。


«その人物を知っているのは――»


文字が止まる。


そして。


ゆっくりと。


最後の一行が現れた。


«読者だけである。»


恒一の手が震える。


少女が泣きながら呟いた。


「……お願い」


「何?」


「次のページを――」


少女は首を振った。


「絶対にめくらないで。」


だが。


本はもう。


恒一の手を必要としていなかった。


ページが勝手にめくれていく。


一枚。


二枚。


三枚。


そして。


最後に表示されたのは――


「第21話」


その下に。


これまで一度も登場したことのない人物名が書かれていた。


«『第21話 あなたが忘れた人』»


そして、その直下に。


たった一文。


«この人物を思い出した瞬間、あなた自身が物語から消える。»

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