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『最後のページを読んだ人』  作者: こうた


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第11話 本物の神谷恒一



 ――俺が作った。


 父親の声が、いつまでも耳から離れなかった。


 恒一は玄関を見つめていた。


 父は、そこにいる。


 そう思った。


 だが。


 ドアを開けることはできなかった。


「……父さん」


 返事はない。


「本当に、父さんなのか?」


 沈黙。


 少女が、恒一の後ろで小さく息を呑む。


「聞いちゃダメ」


「どうして?」


「返事をしたら……本が、その人を部屋の中に入れる」


「そんな馬鹿な」


「じゃあ、どうして今まで誰も入ってこなかったと思う?」


 恒一は黙った。


 確かに。


 今まで何度も声を聞いた。


 母。


 父。


 佐伯。


 美月。


 なのに。


 誰一人、部屋の中には入ってきていない。


 まるで。


 何かに阻まれているように。


 恒一は黒い本を見た。


 ページには、まだ文章が残っている。


『これまで「神谷恒一」だと思っていた人物が、誰なのかを確認してください。』


「……確認する」


 恒一はページをめくった。


 そこには、一枚の古い診療記録が挟まっていた。


 病院名。


 日付。


 患者名。


 そして――


 神谷恒一


「……僕の名前」


 その下に年齢が書かれている。


 十四歳。


 恒一の眉が動いた。


「また十四歳……」


 さっきまでの記憶。


 二十年前。


 自分は十四歳だった。


 だが。


 現在の自分は三十四歳。


 つまり。


 二十年前に十四歳だった少年が、今の自分なら。


 年齢は一致する。


 問題は、その次だった。


 診療記録の「死亡時刻」。


 そこには――


 午後11時13分


 と書かれていた。


「……11時13分」


 恒一は息を止めた。


 この本を最初に開いた時間。


 午後11時13分。


 偶然とは思えなかった。


「待ってくれ……」


 ページをめくる。


 診療記録の次には、父親が書いたと思われるメモがあった。


『第一段階――記憶の保存』


『第二段階――人格の再構築』


『第三段階――物語への定着』


 その下に赤い文字。


『失敗』


 さらに次のページ。


『第二回実験』


『失敗』


 そして。


『第三回実験』


 その横には――


『成功』


 恒一は手を止めた。


「……三回目」


 少女が呟く。


「だから言ったでしょう」


「何を?」


「あなたは、三回目に戻された」


「じゃあ……」


 恒一は少女を見る。


「僕は本当に、死んだのか?」


「うん」


「二十年前に?」


「うん」


「じゃあ今の僕は……何なんだ?」


 少女は答えなかった。


 その代わり。


 黒い本が、ひとりでにページをめくった。


 次のページには、文章が一つだけあった。


『神谷恒一は、自分が何者なのか知りたかった。』


 恒一は苦笑した。


「また僕のことを書いてる」


 だが。


 次の瞬間。


 文章が書き換わった。


『私は、自分が何者なのか知りたかった。』


 恒一の顔から笑みが消えた。


「……私?」


 さらに。


『私は、黒い本を見つけた。』


『私は、少女に出会った。』


『私は、父親の声を聞いた。』


 恒一の背中を冷たい汗が流れる。


「視点が……」


 少女が呟く。


「変わった」


 今度は。


 第三者ではない。


 恒一自身の一人称で書かれている。


『私は、神谷恒一だ。』


 恒一は、その一文を見つめた。


「……そうだ」


 当然だ。


 自分は神谷恒一。


 それ以外の何者でもない。


 だが。


 次の一文を見た瞬間。


 その確信が崩れた。


『私は、神谷恒一ではない。』


「……」


 文字が二つ並んでいる。


『私は、神谷恒一だ。』


『私は、神谷恒一ではない。』


「どっちなんだよ……」


 恒一が本を叩く。


「どっちが本当なんだ!」


 すると。


 ページに文字が浮かんだ。


『どちらも本当。』


「……」


『名前は神谷恒一。』


『記憶も神谷恒一。』


『人生も神谷恒一。』


『しかし――』


 文字が止まる。


 そして。


『本人ではない。』


 恒一の手から、本が落ちた。


「……本人じゃない?」


 少女が近づいてくる。


「だから、あなたを探してたの」


「僕じゃないなら……」


 恒一は少女を見る。


「本物はどこにいる?」


 少女は答えた。


「この本の中」


 その瞬間。


 玄関のドアが――


 開いた。


 鍵は掛かっていたはずだった。


 ゆっくりと。


 ギィ……。


 暗い廊下が見える。


 誰もいない。


 恒一は動けなかった。


 そして。


 廊下の奥から。


 足音が聞こえた。


 ペタ。


 ペタ。


 ペタ。


 裸足の足音。


 少女が青ざめる。


「……来る」


「誰が?」


 足音が近づいてくる。


 ペタ。


 ペタ。


 ペタ。


 やがて。


 廊下の暗闇から。


 一人の少年が姿を現した。


 十四歳くらい。


 濡れた髪。


 青白い顔。


 白い病衣。


 そして。


 恒一と同じ顔。


「……僕?」


 少年は恒一を見た。


 しばらく何も言わなかった。


 そして。


 少年は黒い本を指差した。


「それ」


 恒一は本を見る。


「返して」


「……何を?」


「僕の人生」


 恒一の身体が固まった。


 少年が一歩近づく。


「それは僕の人生だから」


「……君は誰だ?」


 少年は答えた。


「神谷恒一」


「……」


「本物の」


 恒一は後ずさった。


 少年は悲しそうに笑う。


「あなたが、僕の代わりに生きてるんだよ」


 その瞬間。


 黒い本のページに、新しい文章が浮かび上がった。


『本物の神谷恒一が登場した。』


 そして。


 その下に。


『ここから先は、偽物の視点では物語を書くことができない。』


 最後に。


 恒一の名前が。


 ゆっくりと消えていった。


 ――神谷恒一。


 その文字が完全に消えたあと。


 代わりに、新しい名前が書かれた。


『読者』

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