表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
伯爵令嬢のわたし、婚約破棄されたので司書になったら、呪われ書庫で無愛想騎士の秘密に触れました  作者: 明石竜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/11

第八章 書き残された名前

 翌朝、百八番の本が何であるかが分かった。

 ミレイユ先輩が昨夜のうちに別の台帳で調べていた。

「封印補助記録の写しです」

 先輩は机にその台帳を広げた。

「三十年ほど前に、閉架書庫で使われていた封印術式の補助記録。術式の手順と、その時期に書庫で起きた異変の記録が綴られています」

「封印術式の記録が、なぜ持ち出そうとされたんですか」

「それが分かれば、今夜の件の意図が見えます」

 先輩は台帳を閉じた。

「昨夜確保された男については、王宮側が取り調べています。ゼノ騎士から今日中に報告が来る予定です」

 わたしは手帳を開いた。

 百八番、封印補助記録。三十年前。

 百三十九番と百四十一番と、同じ時代だった。

  

 午前の点検を終えた後、わたしは返却記録の棚を確認することにした。

 理由は単純だった。百八番の本が棚から消えている以上、その本がいつ最後に動かされたかを確認したかった。返却記録には、書庫内で本を移動させた際の記録も含まれている。

 先輩に確認を取ってから、返却記録の棚に向かった。

 該当する年代の記録を引き出して、机に広げた。

 百八番の記録を探す。移動の記録は数件あった。最後の記録は七年前。以降は動いていない。

 念のため前後のページも確認していたとき、指が止まった。

 欄外だった。

 通常、返却記録の本文には書物の番号と移動先、担当者の記名が並ぶ。でも、ある一ページの欄外に、本文とは別の文字が書かれていた。

 小さな字だった。本文の筆跡とは明らかに違う、細くて丁寧な字。

 名前だった。

 ファルク・ベルン

 それだけだった。名前の前後に何もない。日付もなく、説明もなく、ただその名前だけが欄外の隅に書かれていた。

 わたしは周囲のページも確認した。

 別のページの欄外にも、同じ筆跡で短い文字があった。

 三号棚、十一番。確認済み。

 また別のページに。

 記録は残る。

 断片的だった。意味の通った文章ではなく、走り書きのような短い言葉が、数ページにわたって欄外に散らばっていた。

 全部、同じ筆跡だった。

 ファルク・ベルンという名前を書いた人物と、同じ手によるものだと思った。

  

 ミレイユ先輩にそれを見せた。

 先輩は欄外の文字を順に確認した。無言だった。その沈黙は、驚いているというより、何かを測っているような静けさだった。

「ファルク・ベルンという人物を、ご存じですか」

「知らない名前です」

「書庫の関係者の記録に残っていますか」

「確認します」

 先輩は別の棚から人員記録を取り出した。書庫の担当者一覧が年代順に並んでいる。

 問題の時代のページを開いて、確認する。

 しばらくして、先輩が言った。

「ない」

「ない、というのは」

「この人物の名前が、記録に存在しない」

 先輩はページをわたしに見せた。確かに、ファルク・ベルンという名前はどこにもなかった。

「でも、欄外に自分の名前を書いているということは、この書庫に関わっていた人物ですよね」

「そう考えるのが自然です」

「記録から消された、ということですか」

 先輩は少し間を置いた。

「可能性としては、あります」

「なぜ消されたのか」

「今の段階では分からない」

 わたしは欄外の走り書きをもう一度見た。

 記録は残る。

 この人物は、自分の名前が消されることを知っていたのだろうか。だから、本文ではなく欄外に、記録の片隅に、こっそり書き残した。

 消されても、どこかに残るように。

「先輩、このページを写させてもらえますか」

「今は原本を動かさないこと。写しは後で、わたしが立ち会って行います」

「分かりました」

  

 午後、ゼノが書庫に来た。

 昨夜の件の報告だった。

「確保した男については、王宮の警備が取り調べた。書庫への侵入は認めたけれど、誰の指示かについては話していない」

「話さないのか、話せないのか」

「今のところ分からない。ただ、確保した書類については確認が取れた」

「百八番の記録と関係がありましたか」

「直接ではない。書類の内容は、三十年前の封印術式に関する走り書きだった。書庫の記録とは別のところで書かれたものらしい」

「書庫の外で、封印術式の記録を持っている人間がいる」

「そういうことになる」

 わたしは手帳を出した。

「今日、返却記録の欄外にファルク・ベルンという名前を見つけました。書庫の人員記録には存在しない名前です」

 ゼノの目が動いた。

「どの記録に」

「返却記録の、問題の時代のページです。欄外に断片的な走り書きが数ページにわたってあります」

「見ていいか」

 先輩の許可を取って、返却記録をゼノに見せた。

 ゼノは欄外の文字を順に確認した。

 表情は変わらなかったけれど、記録は残るという走り書きのところで、指が少し止まった。

「この人物について、他に手がかりはあるか」

「今のところ、この走り書きだけです。人員記録には名前がなく、どういう立場の人物だったかも分かっていません」

「消された可能性がある」

「はい。先輩もそう言っていました」

 ゼノは記録を先輩に返した。

 少し考える顔をしていた。

「似た構造だ」

「何が、ですか」

「百三十九番と百四十一番の記録が消されていたこと、人員記録からこの名前が消えていること。三十年前に、複数のものが同時に消されている」

「書物の記録と、人の記録が、同じ時期に」

「ああ。偶然ではないとすれば、消す必要があった理由が一つあって、それに関わるものを一括して消した」

 わたしはその言葉を頭の中で繰り返した。

 一つの理由のために、複数のものが消された。書物の記録、人員の記録、そして目録本体。

「ファルク・ベルンという人物は、消された理由に関わっていたんでしょうか」

「関わっていたから消されたのかもしれない」

「記録から人を消すというのは、その人が存在しなかったことにすることですよね」

「そうだ」

 わたしは欄外の走り書きを見た。

 存在しなかったことにされた人が、それでも欄外に名前を書き残していた。記録の片隅に、消えないように。

 それが何かを、うまく言葉にできなかった。でも胸の中に、静かに重いものが積もった。

「ゼノ様は、記録から消されるということを、どう思いますか」

 聞いてから、少し唐突だったと思った。

 ゼノは少し間を置いた。

「……俺には、答えにくい問いだ」

「そうですね。すみません」

「いや」

 ゼノは欄外の走り書きをもう一度見た。

「消された記録は、消えたわけではない。こうして残っている」

「欄外に、誰にも見つけてもらえないまま」

「おまえが見つけた」

「偶然です」

「偶然でも、見つかった」

 それだけだった。

 でもその言い方が、ゼノ自身の何かに触れているような気がした。記録を失った人間として、この欄外の名前に何かを重ねているような。

 わたしは聞かなかった。

  

 夕方、ノアが資料の整理をしながら言った。

「ファルク・ベルンって、どんな人だったんですかね」

「分からない。記録が残っていないから」

「でも欄外に書いていたってことは、几帳面な人だったのかな。記録を大事にする人」

「そうかもしれない」

「消されちゃったんですよね、記録が」

「らしい」

「なんでそういうことが起きるんですかね」

 ノアは素朴な言い方をした。怒っているのでも、分析しているのでもなく、ただ純粋に不思議がっているような。

「誰かの都合が、別の誰かより大きかったから、だと思います」

 わたしは答えた。

「その都合って、正しいんですか」

「正しいかどうかは、わたしには判断できません。でも」

「でも?」

「記録を消すことで守られた何かと、記録が消されてなくなった何かが、あるとしたら。わたしは消されてなくなった方を、どこかに残したいと思います」

 ノアはしばらく考えるような顔をした。

「それ、司書みたいな考え方ですね」

「司書見習いですが」

「いや、見習いっぽくないですよ、その言い方」

 わたしは少し笑った。

 笑いながら、欄外の名前のことを考えていた。

 ファルク・ベルン。三十年前にこの書庫にいて、記録から消されて、それでも欄外に名前を書き残した人物。

 その人が何をしたのか、何を知っていたのか、なぜ消されたのか。

 まだ何も分かっていなかった。

 でも名前が分かった。それだけで、少し違う気がした。

 消えていない、とまだ言える。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ