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伯爵令嬢のわたし、婚約破棄されたので司書になったら、呪われ書庫で無愛想騎士の秘密に触れました  作者: 明石竜


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第四章 王宮からの閲覧要請

 翌朝、館長室に呼ばれた。

 ミレイユ先輩と一緒だった。館長のエドガルドは穏やかな顔をしていたけれど、机の上に並んでいる書類の量が、普段より明らかに多かった。

「昨日の件について、王宮から連絡がありました」

 館長は書類を一枚手に取った。

「目録の紛失と、控えの記述欠落については、王宮記録保管庫との照合が必要という判断になりました。それに伴い、王宮側から閲覧要請が届いています」

「王宮側から、ですか」

 ミレイユ先輩が確認した。

「ええ。具体的には、二つの作業が発生します。一つは、閉架書庫の蔵書台帳と王宮記録保管庫の禁書指定記録の照合。もう一つは、問題の時代に関わる古い系譜記録の確認です」

「系譜記録、というのは」

「王宮に保管されている、家門の記録です。一部が禁書指定の台帳と関連している可能性があると、王宮側が判断しました」

 わたしは先輩の横で話を聞きながら、昨日、アルヴェイン騎士――ゼノが言っていたことを思い出した。消された記録が何を隠しているのか、まだ分からない。でも王宮が動いたということは、向こうにも引っかかるものがあるのかもしれない。

「作業は王宮の記録保管庫で行います。図書館側から担当者を出してほしいという要請です」

 館長がわたしを見た。

「フォルナーさんにお願いしようと思っています」

「わたしに、ですか」

「閉架書庫の蔵書については、今のあなたが一番直近で確認している。それに、控えの記述欠落に最初に気づいたのもあなたです」

「ただ、まだ見習いで」

「ミレイユも同行します。ただし、王宮内での実務はあなたが主に担う形で」

 先輩が補足した。

「わたしは書庫を離れられない時間が長いので、現場での作業はフォルナーさんが主担当になります。ただし判断が必要な場面では必ず確認を取ること」

「……分かりました」

 引き受けるしかなかった、というより、やりたいと思った。三十年前の記録に何が隠されているのか、自分の目で確かめたかった。

「もう一点」

 館長が続けた。

「護衛と監視役として、アルヴェイン騎士が同行します。王宮内での作業になりますので」

  

 王宮への出発は翌日の午前中だった。

 図書館の正門前に迎えの馬車が来た。ミレイユ先輩と二人で荷物を持って出ると、馬車の横にゼノが立っていた。制服姿で、いつもと変わらない無表情。でも図書館の廊下で見るより、外の光の中で見る彼は、少し違う印象があった。

 端正な顔立ちだとは思っていたけれど、朝の光の中で改めて見ると、制服がよく似合っていた。本人にその自覚は全くなさそうだったけれど。

「時間通りだ」

 それだけ言って、馬車の扉を開けた。

 わたしたちが乗り込むと、ゼノは御者の横ではなく車内に乗ってきた。向かいの席に座り、外を見た。会話をする気配はなかった。

 ミレイユ先輩はわたしの隣で、持参した書類を確認し始めた。

 馬車が動き出した。

 石畳の道を進みながら、わたしは窓の外を見た。王都の街並みが流れていく。伯爵家の屋敷から王都に出てきてまだ日が浅く、この街の道をまだよく知らない。

「フォルナーさん」

 先輩が書類から目を上げずに言った。

「王宮の記録保管庫は初めてですか?」

「はい」

「図書館の書庫とは違います。記録が権力として機能している場所です。持ち出しも複写も許可制で、閲覧そのものに記録が残ります」

「それはつまり、わたしたちが何を見たかも記録される」

「ええ。それを念頭に置いて動くこと」

 わたしは頷いた。

 向かいのゼノが、窓から目を離さないまま短く言った。

「余計なことは言わない方がいい」

「余計なこと、というのは」

「調べていることの詳細。何に気づいているかを向こうに教える必要はない。聞かれたことに答えるだけでいい」

「王宮の人間を信用しないということですか」

「全員を疑えとは言わない。ただ、王宮で動く人間は全員、何らかの立場がある。その立場によって、情報の使い方が変わる」

 先輩がわずかに頷いた。

「アルヴェイン騎士の言う通りです。今日の目的は照合作業。それ以上でも以下でもない」

「分かりました」

 馬車の外で、大きな門が見えてきた。

  

 王宮に入ったのは初めてだった。

 伯爵令嬢として生まれ育ったけれど、王宮に足を踏み入れる機会はなかった。婚約していたころ、将来的には縁が生まれるかもしれないと言われていたけれど、その話は婚約破棄とともになくなった。

 あのころのわたしは、誰かの隣に立つために、いつかここへ来るのだと思っていた。

 けれど今は違う。

 自分の仕事のために、自分の足でこの門をくぐっている。


 その先には、石畳の広い中庭があった。整えられた植栽、高い石壁、等間隔に立つ衛兵。全体が計算された均衡の中にある、という印象だった。図書館の静けさとは種類が違う。あちらは時間が積み重なった静けさだが、こちらは緊張が張り詰めた静けさだった。

「ここから先は俺の後ろを歩いてくれ」

 ゼノが言った。

 わたしとミレイユ先輩は、言われた通りゼノの後ろについた。いくつかの廊下を曲がり、中庭を抜け、別棟へ渡る渡り廊下を通った。

 廊下を歩きながら、わたしはゼノへの周囲の反応が気になった。

 すれ違う衛兵が、わずかに姿勢を正す。廊下で話していた文官らしき人物が、ゼノを見て軽く会釈する。図書館で見るよりも、明らかに一目置かれている。

 記録保管庫の前に着いたとき、担当の文官が待っていた。

「アルヴェイン騎士、こちらへどうぞ」

 文官はゼノに話しかけた後、わたしたちを見て少し表情を確認するような顔をした。

「図書館の方ですね。ご案内します」

  

 王宮の記録保管庫は、図書館の閉架書庫とは全く違う場所だった。

 閉架書庫が古い石と本の重さで成り立っているとすれば、こちらは精密さで成り立っている。棚は金属製で、書物の並びに一切の乱れがない。温度と湿度を保つための術式が壁に刻まれていて、空気が一定に保たれている。閉架書庫の持つ、あの古い感情の積み重なりのような気配は、ここにはほとんどなかった。

 整っている。整いすぎている。

 整えることと、残すことは、少し違うのかもしれないと思いながらわたしは棚を見た。

「こちらが今回の照合に使う記録です」

 文官が棚の一角を示した。禁書指定台帳と、系譜記録の一部が並んでいた。

「閲覧は記録に残ります。複写は申請が必要です。不明な点があれば担当にお声がけください」

「分かりました」

 ミレイユ先輩が答えた。

 作業机に資料を広げ、照合を始めた。わたしは持参した閉架書庫の台帳写しと、王宮の禁書指定記録を並べた。

 照合を始めて最初に気づいたのは、記録の量の違いだった。

 閉架書庫の台帳が記録しているより、王宮の禁書指定記録のほうが件数が多い。時代は重なっているのに、図書館側には記録がない指定がいくつかある。

「先輩、王宮側の禁書指定記録に、図書館の台帳と一致しない件が複数あります」

「何件」

「今のところ、四件。同じ時代のものです」

 先輩が手を止めて、こちらに来た。確認する。

「……これは、図書館の台帳が後から修正された可能性と、王宮側が独自に管理していた記録の可能性と、両方考えられますね」

「はい。ただ、問題の時代と重なっているのが気になります」

「記録しておきなさい。後でアルヴェイン騎士に確認する」

 ゼノは今、部屋の端で文官と話をしていた。護衛の役割として、わたしたちから離れすぎない距離にいるけれど、作業の邪魔はしない。

 わたしは照合を続けた。

 系譜記録の確認に移ったとき、また手が止まった。

 系譜の一ページに、明らかに後から修正された痕跡があった。元の記述の上から新しい記録が重ねられているのだが、紙の質がわずかに違う。継ぎ足しではなく、貼り直し。

「……」

 わたしはその箇所を静かに見た。

 感じた。

 閉架書庫の本で感じるようなものとは違う。でも、何かが意図的に変えられた場所に残る、特有の緊張感のようなものを。

 ここも、誰かが手を加えた。

「フォルナーさん」

 ミレイユ先輩の声で顔を上げると、扉の近くに人が立っていた。

 女性だった。

 金茶の髪を端正にまとめ、落ち着いた色の官服を着ている。すらりとした立ち姿に、王宮の空気がよく馴染んでいた。知的で、整った顔立ち。年齢はわたしより少し上だろうか。

 先輩が立ち上がった。

「ユーヴェル書記官」

「ご足労おかけしました、サーヴァン司書」

 柔らかく、しかし滑らかな声だった。

「今回の照合作業を担当することになりましたセレナ・ユーヴェルです。何かご不明な点があれば、わたくしにお声がけください」

 先輩がわたしを紹介した。

「こちらは閉架書庫の司書見習い、リシェル・フォルナーです。今回の担当者です」

 セレナ・ユーヴェルがわたしを見た。

 その視線は冷たくはなかった。

「フォルナーさん。伯爵家のご出身でしたね」

「はい」

「司書見習いとして閉架書庫に。珍しい経歴ですね」

「そうかもしれません」

「とても良いことだと思います」

 セレナはそう言って、わずかに微笑んだ。

 何もおかしなことは言っていない。親切な言葉だった。でも、その言葉の置き方が、どこか計算されているような気もした。言い方が巧みすぎて、本心がどこにあるか見えない。言葉そのものは穏やかなのに、どこへ返事を置いても先に読まれているような落ち着かなさがあった。

 ゼノが部屋の端から、こちらをちらりと見た。

   

 午後の照合作業は、セレナの案内のもとで進んだ。

 彼女は王宮の記録に詳しく、必要な書類をすぐに引き出せた。質問には丁寧に答えたけれど、こちらの気づきに対しては「なるほど」と聞くだけで、自分からは踏み込まない。

 わたしは系譜記録の修正痕について、セレナに聞いてみることにした。

「このページなんですが、紙の質が前後と少し違う気がします。修正か、貼り直しがあったのでしょうか」

 セレナはそのページを見た。

 ほんの短い間、何か確認するような表情をした。気づかなければ分からない程度の、わずかな変化だった。

「古い記録ですから、補修をしていることもあります。破損した部分を修復するために、後から紙を足すことがあります」

「補修ですか」

「ええ。ただ、ご指摘の箇所が具体的にどこか、後で記録保管庫の担当者に確認させていただきます」

「ありがとうございます」

 わたしは礼を言いながら、セレナの答え方を頭の中で繰り返した。

 嘘は言っていないかもしれない。でも、あのわずかな表情の変化は何だったのか。

 見間違えではないと思った。

 帰り道のため廊下を歩いているとき、ゼノがわたしの横に来た。

「セレナ書記官に何か聞いたな」

「系譜記録の修正痕について」

「反応は」

「補修だと言いました。ただ、わたしが指摘した瞬間に、少し表情が変わりました。ほんの一瞬でしたが」

 ゼノは前を向いたまま、少し間を置いた。

「よく見ていた」

「気のせいかもしれません」

「気のせいかどうかは、今後分かる」

「ユーヴェル書記官は、信用できる方ですか」

 ゼノはすぐに答えなかった。

 廊下をいくつか曲がり、渡り廊下に出たところで、短く言った。

「王宮にいる人間は全員、何かを守りながら動いている。それが仕事の記録なのか、自分の立場なのか、誰かとの約束なのか、俺には分からない。ユーヴェルも同じだ」

「答えになっていませんよ」

「信用できるかできないかで人を見ると、足元をすくわれる。何を守ろうとしているかで見ろ」

 わたしはその言葉を聞いて、少し考えた。

「ゼノ様は、何を守ろうとしていますか」

 答えが返ってくるとは思っていなかった。

 でもゼノは少しの間を置いてから、前を向いたまま言った。

「今は、書庫の記録と、そこで働いている人間だ」

 それだけだった。

 わたしは少し驚いたけれど、それを顔に出さないように努めた。

  

 王宮を出て馬車に乗り込むと、ミレイユ先輩は疲れた顔をしていた。先輩が疲れた顔をするのは初めて見た。

「先輩、お疲れ様でした」

「あなたも。よく動けていたわ」

「系譜記録の修正痕を見つけましたが、まだ何も確認できていません」

「今日見つけたことは全部記録してあるでしょう」

「はい」

「それでいい。一日で結論が出ないのは当然です。今日は種を植えた」

 先輩は窓の外を見た。

「ただ、一つ確認しておきたいことがあります」

「何ですか」

「王宮の禁書指定記録に、図書館側と一致しない件が四件ありました。あの中に、百三十七番から百四十二番の蔵書番号に関係するものがあったかどうか、帰ってから照合しなさい」

「分かりました」

 先輩は目を閉じた。それ以上は話しかけないほうがいい空気だった。

 わたしは手帳を開いて、今日見たものを書き出した。

 禁書指定記録の一致しない四件。系譜記録の修正痕。セレナの一瞬の表情。

 そして、王宮という場所が持つ、記録が権力になるという空気のこと。

 整えられた棚の、整えられた記録の中に、整えられないものが残っていた。それはこちらに、何かを教えようとしているのかもしれなかった。

 馬車が石畳を走る振動の中で、わたしは手帳を閉じた。

 閉架書庫に戻ったら、もう一度台帳を開こうと思った。

 百三十九番の本は、まだ棚の中にある。封印札もなく、誰かの気配を残したまま。

 その本が何を知っているのか、少しずつ近づいている気がした。


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