第十四章 忘れられた継承
館長が動いたのは、翌日だった。
王宮からの呼び出しについて、エドガルド館長は王宮側に正式な抗議を入れた。図書館の担当者への直接接触は、図書館長を通すこと。それが守られない場合、今回の照合作業への協力を停止する、という内容だった。
ノアからその話を聞いたとき、わたしは少し驚いた。館長はいつも穏やかで、飄々としていて、どちらかといえば物事を丸く収める印象があった。
「館長、そんなに強い出方をされたんですか」
「珍しいでしょう」
ノアは少し声を落とした。
「ミレイユ先輩が昨夜館長室に入っていくのを見ました。それからじゃないですかね」
先輩が動いたのかもしれない。直接は言わないけれど、筋を通さない動きに対して、先輩は黙っていない人だった。
ゼノからも短い連絡が来た。
王宮側は了承した。今後の直接接触は館長経由になる。
それだけだったけれど、状況は少し変わった。
その日の午後、セレナが図書館を訪ねてきた。
今まではわたしたちが王宮へ行く形だったので、セレナがこちらへ来るのは初めてだった。
ミレイユ先輩が応対した。
「サーヴァン司書、突然お邪魔して申し訳ありません。少しお話があって」
「どうぞ」
会議室に通した。わたしも同席することになった。
セレナは椅子に座ってから、いつもより少し直接的な言い方をした。
「今回の件について、わたくしが知っていることをお話しします」
「今まで話さなかったことを、なぜ今話すんですか?」
わたしは聞いた。
「館長が正式な抗議を入れたからです」
セレナはわたしを見た。
「立場上、わたくしは王宮側の人間です。どこまで話せるかという制約があります。ただ、今回の動きは、わたくしが想定していた範囲を超えました」
「直接の呼び出しのことですか?」
「それも含めて。昨日の管理官の動きは、わたくしへの事前通知がありませんでした。王宮内で、この件を急いで収束させたい人間が動いています」
先輩が言った。
「収束させたい理由は」
「三十年前の記録が明らかになることを、恐れている人間がいます」
「恐れている理由は」
セレナは少し間を置いた。
「過去に王位継承を揺るがす出来事があったからです」
落ち着いた、冷静な声だったけれど、その言葉は会議室の空気を変えた。
「王位継承、というのは」
「三十年前、現在の王家の記録に、正式には存在しない継承者がいました。その記録が、禁書事件と一緒に消されました」
わたしは手帳を出した。
「消された継承者というのは、どういう意味ですか?」
「当時の王の子として生まれた人物が、記録から外されたということです。理由は、その誕生が王宮内の権力争いに都合が悪かったから。消すことで、継承問題を単純化しようとした人間がいました」
「その人物は今、どこに」
「分かりません。記録ごと消されたので、現在どこにいるかの追跡が難しい」
先輩が言った。
「記録が消えた時期と、アルヴェイン家の関係は」
セレナの目が少し動いた。
「アルヴェイン家の旧家名をご存じですか?」
「調べました」
「では、話が早い」
セレナはわずかに息を吸った。
「旧アルヴェイン家は、当時の王の側近の家柄でした。消された継承者の記録を守ろうとした人間が、その家に関わっていました。それが禁書事件に巻き込まれた理由の一つです」
「記録を守ろうとしたから、巻き込まれた」
「はい。禁書の暴走は、意図的に引き起こされた可能性があります。記録を守ろうとしていた人間を、事故として排除するために」
わたしは手帳に書きながら、頭の中で点を繋いだ。
消された継承者の記録。それを守ろうとした旧アルヴェイン家。意図的に引き起こされた暴走事件。現場にいた子ども。
「セレナ様」
わたしは顔を上げた。
「ゼノ様のことを、どこまでご存じですか?」
セレナはわたしをまっすぐ見た。
「アルヴェイン騎士が、旧アルヴェイン家と繋がりのある人物である可能性は、以前から考えていました」
「確信はありましたか?」
「確信と言えるほどの証拠は持っていません。ただ、彼が王宮付き近衛騎士になったときから、気になっていました」
「なぜ今まで話さなかったんですか?」
「話せる立場になかった。そして、彼自身が記憶を失っている状態で、わたくしが推測を伝えることが正しいかどうか、判断できませんでした」
先輩が言った。
「今は話せると判断した理由は」
「記録の欠落が、これ以上隠せない段階に来ているからです。早晩、誰かが全体像を掴みます。それがこちら側でなければ、収束を急いでいる人間の手に渡る」
「情報を渡す相手として、わたしたちを選んだということですか」
「はい」
セレナはわずかに目を伏せた。
「正直に言います。わたくしは今、王宮内のどの立場にも、完全には属していません。記録を守るべきだと考えている点では、フォルナーさんやサーヴァン司書と近いと思っています」
その言葉に、嘘はない気がした。でも、すべての本心が見えているわけでもないと思った。
会議が終わって、セレナが帰った後、ゼノに連絡を取った。
ゼノが書庫に来たのは夕方だった。
会議の内容を伝えると、ゼノは黙って聞いた。消された継承者の話、旧アルヴェイン家の関与、意図的な暴走の可能性。
聞き終えてから、しばらく動かなかった。
「……旧アルヴェイン家が、消された継承者の記録を守ろうとしていた」
「セレナ様はそう言いました」
「その家が、事件に巻き込まれた」
「はい」
「現場にいた子どもが俺だとしたら」
ゼノは少し間を置いた。
「俺は、その記録を守ろうとした人間の、関係者ということになる」
「そうなります」
「あるいは」
ゼノの声が、少し低くなった。
「消された継承者そのものか」
会議室の空気が変わった気がした。
わたしは手帳を持ったまま、ゼノを見た。
「その可能性は、考えていましたか?」
「……今日、初めて考えた」
「怖いですか?」
「怖い、という言葉では足りない」
ゼノは手元を見た。
「もし俺が消された記録の中にいる人間だとしたら、俺の記憶が消されたのは、偶発的な事故ではなく、意図的なものだったということになる」
「呪いのかかった禁書に触れたから、という話でしたが」
「その禁書が、意図的に暴走させられたとしたら」
「ゼノ様を標的にした可能性がある」
「ああ」
わたしは少し考えてから言った。
「今日の段階ではまだ、可能性の話です。セレナ様の情報も、全部が確認されたわけではない」
「分かっている」
「ゼノ様の出自が何であっても、今日までのゼノ様の判断や行動は変わらない。そう言いましたよね、わたし」
「覚えている」
「覚えていても、揺れますよね」
ゼノはわたしを見た。
「……揺れる」
「それでいいと思います」
「なぜ」
「揺れない方がおかしい。記憶がないまま生きてきて、自分の過去に関わる話を聞いたんですから。揺れていいです」
ゼノはしばらく黙った。
それから、短く言った。
「おまえは、なぜそういうことを言えるんだ」
「前にも同じことを聞きましたね」
「また聞いている」
「記録を扱うからかもしれません。記録というのは、揺れた人間の痕跡でもあるので。揺れることを、悪いものとして見ていない」
「……そうか」
静かな返事だった。
わたしは手帳に今日のことを書いた。
消された継承者。旧アルヴェイン家の関与。意図的な暴走。ゼノの出自の可能性。
書いてから、少し手が止まった。
これを記録することは、誰かを傷つけるかもしれない、と館長が言っていた。
傷つくとしたら、ゼノかもしれなかった。
でも記録しないことは、また誰かが消すことを許すことだった。
わたしは手帳を閉じた。
夜、書庫を出る前に、ミレイユ先輩がわたしを呼んだ。
「今日のセレナ書記官の話、どう受け取りましたか」
「信じていいと思います。全部ではなくても、核心の部分は本当だと」
「なぜそう思うんですか」
「彼女が今まで話さなかった理由が、説明できていたからです。嘘をついている人間は、理由まで辻褄を合わせません」
「なるほど」
先輩は少し間を置いた。
「アルヴェイン騎士は、大丈夫そうでしたか?」
「揺れていました。でも、揺れながら聞いていました」
「そうですか」
先輩はわたしをまっすぐ見た。
「フォルナーさん、あなた今、仕事としてだけこの件を追っていますか?」
「仕事として、と仕事だけとして、は違います」
「どう違うんですか?」
わたしは少し考えた。
「仕事として追っています。でも、それだけではないかもしれません。消された記録と、消された人の話を聞いていると、放っておけない気持ちになります。それは仕事と別の部分かもしれない」
「それは、アルヴェイン騎士のことも含まれていますか」
先輩の問いは直接的だった。
わたしは答えに少し時間がかかった。
「……含まれているかもしれません」
「正直ですね」
「聞いたのは先輩ですから」
先輩は少し口元を緩めた。
「仕事と仕事以外が混ざると、判断が鈍ることがあります。それだけ注意しなさい」
「はい」
「ただ」
先輩はそこで一度止まった。
「混ざること自体は、悪いことではありません。本を守りたいという気持ちも、誰かを守りたいという気持ちも、どちらも本物です」
それだけ言って、先輩は書類に向き直った。
わたしは書庫の出口に向かいながら、先輩の言葉を繰り返した。
どちらも本物。
それでいいのかもしれない、と思った。




