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伯爵令嬢のわたし、婚約破棄されたので司書になったら、呪われ書庫で無愛想騎士の秘密に触れました  作者: 明石竜


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第十五章 選ばれなかった頁たち

 三日後、ルシアンが図書館に来た。

 今度は事前に館長経由で連絡があった。前回の直接接触への抗議が通った形だったけれど、それはつまり、ルシアンが正規の手続きを踏んでまで来る必要があると判断したということでもあった。

 ミレイユ先輩は応対しながら、わたしに目で合図を送った。気を抜くな、という意味だと受け取った。

 ルシアンは今日も穏やかだった。

「先日の件は失礼しました。管理官の動きは、わたしの本意ではありませんでした」

「グレイヴ補佐官が指示したわけではないんですか?」

 先輩が直接聞いた。

「違います。ただ、わたしが今回の件に関心を持っていることを知っている人間が、先走った。そういうことです」

「先走ったことを、把握していましたか?」

「事後に知りました」

 先輩はそれ以上追及しなかった。表情は変わっていなかったけれど、信じているわけでもないということは、横にいれば分かった。

「今日は何のご用件ですか?」

「フォルナーさんと、少し話をしたいと思いまして」

 先輩がわたしを見た。わたしはうなずいた。

「会議室で、先輩も同席していただけますか」

「もちろん」

  

 会議室でルシアンは、資料を一枚出した。

「これを見てください」

 系譜に似た図だった。丸と線で繋がれた構造の中に、名前が並んでいる。ただし、いくつかの名前が空白になっていた。

「王家の系譜の、非公式版です」

「非公式、というのは」

「公式記録から外された部分を、わたしが独自に復元しようとしたものです。空白になっているのは、確認できていない箇所」

 わたしは図を見た。

 空白の一つに、三十年前の時期と一致する位置があった。

「この空白は、消された継承者の位置ですか?」

 ルシアンはわたしを見た。

「どこでその情報を」

「独自に調べました」

「なるほど」

 ルシアンは少し考えてから、続けた。

「フォルナーさんは、消された記録を残すことが重要だと思っているでしょう。それは正しい考えだと思います。ただ」

「ただ?」

「記録は、誰が残すかによって、意味が変わります」

「どういう意味ですか?」

 ルシアンは図に目を向けた。

「歴史というものは、常に勝者が書いてきました。消された記録があるとして、それを誰が復元し、どう記録するかによって、その内容は変わります。完全に中立な記録というものは、存在しない」

「それは、消された記録を消したままにしていい理由にはなりません」

「そうは言っていません。ただ、真実を記録することは、それを記録する者の視点が入るということです。だとすれば、記録を管理する側が、どういう形で残すかを慎重に選ぶことは、悪いことではない」

 わたしは少し間を置いた。

「慎重に選ぶことと、都合よく選ぶことは、別のことです」

「境界は曖昧です」

「曖昧でも、区別しようとするかどうかで、結果は変わります」

 ルシアンは少し微笑んだ。

「鋭いですね、フォルナーさん」

「鋭いかどうかではなく、記録というものに対してどう向き合うかの話をしています」

「では、聞かせてください」

 ルシアンは少し前に傾いた。

「今回の件で明らかになる記録が、王宮の秩序を揺るがすとしたら、あなたはそれを記録しますか」

「秩序を揺るがすから記録しないという判断は、誰かの都合で記録を選ぶことです。それはファルク・ベルンの名前を消した人間と、同じことをしています」

「ファルク・ベルン」

 ルシアンの目が、わずかに動いた。

「その名前を知っているんですか?」

「書庫の記録で見つけました。記録から消された人物です」

「……なるほど」

 ルシアンはしばらく黙った。

「記録が消されても、残るものがある。あなたはそう考えているんですね」

「はい」

「わたしの考えは少し違います」

 ルシアンは真直ぐわたしを見た。

「記録というものは、秩序があってこそ意味を持ちます。秩序が乱れれば、記録そのものが人を傷つける道具になる。それを防ぐために、人の手が必要なことがある」

「人の手を入れることが、正しいかどうかを誰が判断するんですか」

「判断できる立場の人間が、します」

「その立場は誰が決めるんですか?」

「それが秩序というものです」

 わたしは少し息を吸った。

「それは、力を持つ側が記録を選ぶということです。選ばれなかった頁は、存在しなかったことになる。ファルク・ベルンのように」

「感情論だ」

「感情ではありません。記録というものの性質の話をしています」

 ルシアンは少し間を置いてから、わたしを見た。

「フォルナーさん、あなたの力を、記録の復元のために使いませんか」

「以前も似た提案をされました」

「今回は、より具体的な話です。封鎖区画の書物から、あなたが感じ取ったことを、正式な記録として残す作業です。それを、わたしが管理する形で行う」

「グレイヴ補佐官が管理する、ということですか?」

「わたしは、記録が正しく扱われることに関心を持っています。あなたの能力と、わたしの知識を合わせれば、より完全な記録が残せます」

「その記録を、誰が持ちますか?」

「管理は王宮側で」

「断ります」

 ルシアンはわずかに目を細めた。

「理由を聞かせてください」

「グレイヴ補佐官が管理する記録は、グレイヴ補佐官の判断で選ばれた記録になります。さっきおっしゃったことと矛盾します」

「矛盾はしていません。慎重に選ぶということは」

「わたしが何のために記録を追っているか、さっきお伝えしました。選ばれなかった頁を残すためです。その記録を、選ぶ立場の人間に預けることはできません」

 沈黙が続いた。

 先輩が横でわずかに動いた。何も言わなかったけれど、その気配はわたしを支持していた。

「……残念です」

 ルシアンは椅子から立ち上がった。

「ただ、考えを変える機会があれば、またお話しましょう」

「考えは変わりません」

「そうですか」

 ルシアンは出口に向かった。

 扉の前で少し振り返った。

「フォルナーさん、一つだけ言わせてください」

「はい」

「真実を追うことは、時に取り返しのつかないことをもたらします。それでも、知ることを選びますか」

「選びます」

「その覚悟を、周りの人にも負わせることになっても」

 わたしは少し間を置いた。

「それは、わたしだけで決めることではありません。一緒に動いている人たちと、一緒に考えることです」

 ルシアンは何も言わずに出ていった。

  

 その夜、ゼノが書庫に来たとき、ノアから今日のルシアンとのやりとりを聞いていたらしく、書庫に入った瞬間の顔が険しかった。

「グレイヴが来たと聞いた」

「はい」

「何を言われた」

 わたしは今日の会議の内容を伝えた。記録は勝者が選ぶという話、能力を使う提案、断ったこと。

 ゼノは黙って聞いた。聞き終えてから、しばらく何も言わなかった。

「ゼノ様」

「……よく断った」

「断るのは当然です」

「グレイヴと一対一で話して、断るのは簡単ではない。あの男は、相手の話したいことを先に言う」

「知りたい欲を刺激するのが上手いと、前に言いました」

「ああ。だから断れなくなる前に来るのが早い」

「今日は先輩もいました」

「それでも」

 ゼノは少し間を置いた。

「グレイヴに接触されたことを、今すぐ俺に言いに来なかった」

「先輩から聞くと思っていました」

「ノアから聞いた」

「それは」

「俺への連絡が後回しになった」

 わたしは少し考えた。

「怒っていますか」

「怒っているわけではない。ただ、グレイヴが絡んだ件は、すぐに教えてほしい」

「分かりました。ただ、今日は断ったので問題ないと思って」

「断った結果ではなく、接触があった時点で教えてほしい。結果が出てからでは、遅い場合がある」

「……それは、わたしを心配してのことですか」

 ゼノは少し黙った。

「そうだ」

 あっさり認めた。

 わたしは少し驚いた。

「グレイヴは、おまえのことを知りたがっている。能力のことだけではなく、どういう人間かを測っている。それが俺には嫌だ」

「嫌、というのは」

「おまえが利用されることが、嫌だ」

 ゼノの言い方は、いつもより少し詰まっていた。感情が、言葉の端に出ていた。

「ゼノ様」

「何か」

「おまえを失いたくない、というような気持ちがありますか」

 直接的すぎる問いだった。

 でも、言ってしまった。

 ゼノはわたしを見た。

 しばらく沈黙が続いた。

 それからゼノは視線を少し逸らして、短く言った。

「……ある」

 それだけだった。

 短い一言だったけれど、その一言の重さは、他の何より確かだった。

 わたしは手帳を持ったまま、何も言えなかった。

 言葉を探したけれど、出てこなかった。

 ゼノも何も言わなかった。

 書庫の燭台が揺れた。二人の影が壁に伸びて、重なった。

 ノアが廊下から「あの、資料の確認終わりました」と声をかけてきて、沈黙が破れた。

「分かった」

 ゼノが答えた。いつもの声に戻っていた。

「今後、グレイヴから接触があったらすぐに教えろ」

「はい」

「それだけだ」

 ゼノは棚の確認に向かった。

 わたしは手帳を開いた。

 何かを書こうとして、何も書けなかった。

 今日の言葉は、手帳に書き留める種類のものではない気がした。

 書かなくても、忘れない。そう思った。

  

 帰り際、先輩がわたしに言った。

「今日のルシアンへの言い方、よかったわ」

「記録の話は、自分の考えを持っていたので」

「選ばれなかった頁、という言い方は、あなたの言葉ですか」

「はい」

「いい言葉です」

 先輩はそれだけ言って、鍵をかけた。

 外に出ると、夜の空気が冷たかった。

 わたしは少し立ち止まって、空を見上げた。

 選ばれなかった頁。

 消された記録。

 欄外に残された名前。

 そして、記憶を失ったまま今日まで来た一人の騎士。

 それらがみんな、同じ線の上にある気がした。

 どこかに残っているものを、見つけ続けること。

 それがわたしの仕事だと思った。


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