第40話 聖女の本当の声
薔薇園の入口で、ロルフが侍女たちに頭を下げていた。
「いやあ、すまねえ。騎士団の連中が、聖女様に花を贈りてえって言うんだが、どの薔薇がいいのか、さっぱりでさ。ちょいと見立ててくれねえか」
侍女たちは、顔を見合わせた。
それから、くすくす笑いながら、ロルフについて温室の方へ歩いていった。
ロルフが、振り向きざまに、私に片目をつぶってみせた。
頼んだのは、私だ。
理由は聞かずに、ロルフは「上等上等」とだけ言った。
薔薇の小道に、リリアが一人で残された。
◇
「これから、よろしくお願いしますね」
リリアは、私に気づくと、にっこり笑った。
お披露目の日と、同じ台詞だった。
私は、その前に立った。
深く、息を吸った。
「聖女様。明日の夜の、お清めの儀のことで、お話があります」
私は、話した。
塔の上の、銀の円。
北の竜の声を、聖女の身に移して封じる儀式。
聖女は、そのかわりに声を失うこと。
二度と、話せなくなること。
リリアは、微笑んだまま聞いていた。
聞き終えても、微笑んだままだった。
「光の導きのままに」
困ったときの、台詞だった。
私は、首を振った。
「聖女様。台本の言葉じゃなくて、あなたの言葉で答えてください」
リリアの微笑みが、止まった。
一秒。
二秒。
三秒。
唇が、かすかに動いた。
何かを言いかけて、また閉じた。
お披露目の日に、竜を見上げたときと同じだった。
胸の前で組んだ指が、白くなっていく。
「……こ」
小さな、小さな声だった。
「こわい」
◇
それから、リリアは、ぽろぽろと泣きだした。
泣きながら、話した。
台本にない言葉を、一つずつ、喉の奥から引っぱり出すように。
「神殿の、祭壇の前で、光に包まれた朝から……言葉が、勝手に出てくるんです。言いたいことが、ほかにあっても、口を開けると、決まった言葉になって」
「はい」
「お披露目の日、竜を見て、わたし、言いたかったんです。でも、言えなかった。わたしの言葉じゃ、なかったから」
リリアは、泣きながら、少しだけ笑った。
「大きい、って」
私も、泣きそうになった。
大きい。
それだけの言葉だ。
私は、聖女にその台詞を書かなかった。
ヒロインは、竜を見て、そんなふうには言わないことになっていた。
「この前、あなたに満月の夜のことを聞かれたとき。また、勝手に口が動いて。知らない言葉が出てきて。……自分の声が、自分のものじゃないみたいで、こわかった」
リリアは、白くなった指を、ゆっくりとほどいた。
「竜さんは」
「はい」
「声を取られたら、竜さんは、どうなるんですか」
「話せなくなります。今度は、吠え声も出ません」
リリアは、唇を噛んだ。
それから、考えながら、ゆっくりと言った。
「わたし、声がなくなるのは、こわいです。でも、それだけじゃなくて」
言葉を探すように、リリアの目が、薔薇の上をさまよった。
「竜さんが、また話せなくなるのも、いやです。百年、黙っていたって、侍女さんが言ってました。やっと話せるようになったのに」
台本には、ない言葉だった。
本編の聖女は、竜のことを何も知らない。
竜のルートは、本編を全部終えたヒロインだけが入れる場所で、しかも削られた。
この人が竜を心配する台詞は、どこにも書かれていない。
それなのに、リリアは、自分で考えて、それを言った。
◇
「塔の上で、聖女は、もう一つ台詞を言います」
私は、リリアの手を取った。
冷たい手だった。
「わたしの声を、どうぞ、お持ちください。……その言葉で、聖女は自分から声を差し出すんです。それがなければ、声は移りません」
「どうして、知っているんですか」
「古い本で、読みました」
嘘ではなかった。
前世の私が書いた、古い紙束だ。
「言わないで。誰に、どんな顔をされても」
リリアは、私の手を握り返した。
さっきより、少しだけ温かかった。
「言いません。……言えるか、わからないけど。口が、勝手に動いたら」
「そのときは、私が、あなたの名前を呼びます」
リリアが、目を丸くした。
「わたしの、名前」
「リリア」
私は、はじめて、その名前を呼んだ。
前世の私が、ヒロインの既定の名前として付けた名前だ。
入力欄の、いちばん上に、最初から入っている名前。
それを、今、この人に向かって呼んだ。
「……あなたの名前は」
「リタです」
「リタさん」
リリアは、その名前を、確かめるように口の中で繰り返した。
それから、泣き顔のまま、笑った。
台本の笑顔とは、違う笑い方だった。
◇
夕方、リリアは、侍女たちに内緒で、練兵場へ来た。
竜は、首を上げて、リリアを見下ろした。
金色の目が、ゆっくりと瞬いた。
リリアは、両手を胸の前で組んだ。
今度は、指は白くならなかった。
「大きい……!」
竜は、少しだけ首を傾げた。
「よく言われる」
リリアが、吹き出した。
声を上げて笑った。
練兵場の柵の向こうで、騎士たちが振り向くほどの声だった。
竜は、目を細めて、それを聞いていた。
「自分の声で、話したな」
「はい」
「悪くない」
◇
リリアが侍女たちのところへ帰ったあと、私は、カイルとロルフに話した。
もう一つの結末のことを。
塔の上で、何が行われようとしているのかを。
なぜ私がそれを知っているのかは、言わなかった。
カイルは、腕を組んで、黙って聞いていた。
聞き終えると、槍を握り直した。
穂先の下で、父君の布が揺れた。
「塔の警護の騎士二十名は、俺が選ぶ」
「カイル」
「頼まれたのは、塔を守ることだ。塔の上にいる人を守るのも、塔を守ることだろう」
ロルフが、にやりと笑った。
「上等上等。二十人なら、もう決まってるぜ。岩棚に登った連中だ」
カイルは、私を見た。
灰色の目だった。
「お前がそれを、どこで知ったのかは、聞かない」
「……はい」
「いつか、の日に、まとめて聞く」
東の空に、月がのぼりはじめていた。
ほとんど丸い、けれど、まだ少しだけ欠けた月。
明日の夜、あの月は、丸くなる。




