第4話 回想の順番が違う
厨房の戸口で、私は足を止めた。
違う。
順番が違う。
占星院の予言は、竜が山を下りると告げたという。
だから騎士団は、下りてくる前に討ちに来た。
けれど、私の書いた回想では、竜は自分から山を下りたのではない。
騎士団が先に巣を攻めた。
眠っていた竜は、槍で起こされて、怒って山を下りた。
そして、麓のハルデ村を焼いた。
予言が当たったのではない。
予言を信じて登った騎士団が、予言を当ててしまうのだ。
回想の台詞を書いたのは私だ。
間違えるはずがない。
私は盆を厨房の台に置いて、広間へ引き返した。
◇
「あの」
声が出ていた。
地図を囲んでいた騎士たちが、一斉にこちらを見る。
カイルの灰色の目が、私を捉えた。
「竜は、今は眠っているだけです。こちらから起こさなければ、下りてきません」
「……宿の娘か。なぜそう言える」
「百年、下りてこなかったからです」
「百年、下りてこなかったものが、今年も下りてこないとは限らない」
カイルは静かにそう言って、地図に目を戻す。
声に、怒りはなかった。
聞き分けのない子どもに言い聞かせるような声だった。
「でも、槍で起こしたら」
「娘」
今度は、顔も上げなかった。
「占星院の予言は、外れたことがない。この冬、竜は下りる。下りてから討つか、下りる前に討つか。それだけの違いだ」
ロルフが苦笑いしながら、こちらに手を振る。
「嬢ちゃん、心配しなくていい。竜は俺たちが片づける。村には指一本触れさせないさ」
その台詞も、知っている。
回想の中で、焼ける村を見下ろしながら、この人は同じことを言って泣いていた。
『村には指一本触れさせないと、言ったのに』と。
私が書いた。
喉の奥まで、言葉が上がってきた。
十年、考えてきた台詞がある。
騎士団長に槍を下ろさせるための、たった一つの切り札。
彼の父親が、二十年前にこの山で何をしたか。
彼自身も知らない、父親の沈黙の理由。
けれど今それを口にしたら、どうなるだろう。
北の果ての宿屋の娘が、王都の騎士団長の家の秘密を知っている。
気味の悪い娘だと思われて、厨房に閉じ込められる。
それで終わりだ。
切り札は、一度しか使えない。
使うなら、竜の前でなければ意味がない。
「……失礼しました」
私は頭を下げて、厨房に戻った。
母さんが、心配そうに私を見る。
「あんた、騎士さまに何を言ったの」
「竜を起こさないでくださいって」
「ばかだねえ。騎士さまのお仕事に、宿の娘が口を出すもんじゃないよ」
母さんは私の額を指で軽く弾いて、それから、少しだけ声を落とした。
「……でも、ほんとにねえ。起こさなきゃ、いいのにねえ」
私は笑って、芋の皮むきに戻った。
三日後の明け方。
それより先に、竜に会わなければならない。
◇
騎士団が泊まった最初の夜、宿屋はお祭りのような騒ぎになった。
村じゅうの女たちが手伝いに来て、厨房では鍋が五つ同時に湯気を上げている。
羊の煮込み、黒パン、塩漬けの鱒。
広間では、騎士たちが薄い麦酒で頬を赤くしていた。
隣のハンナおばあさんは、暖炉のそばで騎士たちに竜の昔話を聞かせていた。
百年前、竜がまだ吠えなかったころの話だ。
「わしの祖母が、子どものころの話じゃがな。昔は山の竜が、冬至の晩に村まで下りてきて、子どもらと話をしたそうな」
「竜が、話を?」
「そうとも。蜂蜜酒を一瓶持っていくと、雪崩の来る日を教えてくれたそうじゃ。ところがある年から、何を言うても吠えるばかりになった。それからは、誰も山に近づかん」
騎士たちは、酒の肴の作り話だと思って笑っている。
私は、笑えない。
その昔話も、私が書いた。
隠しルートの第一章で、ヒロインが村の古老から聞く話だ。
削られたはずの台詞が、この世界では、おばあさんの口からちゃんと語り継がれている。
暖炉の向こうの卓で、カイルだけが笑っていなかった。
麦酒の杯に手もつけずに、黙っておばあさんの話を聞いている。
話が終わって騎士たちが手を叩くと、カイルが初めて口を開いた。
「ご老人。一つ聞きたい」
「なんじゃね、若い団長さん」
「その竜は、人を襲ったことがあるか。吠えるようになってから、この百年で」
おばあさんは、少し考えてから首を振った。
「わしの知る限り、一度もないのう。わしの祖母の代からな」
「……そうか」
「団長、ばあさんの昔話を真に受けちゃいけませんぜ。竜が子どもと話をするなんて」
「受けていない。聞いただけだ」
ロルフに短く答えて、カイルはまた黙った。
杯の麦酒は、最後まで減らなかった。
何を考えているのかは、分からなかった。
厨房の隅で、トマが私の袖を引いた。
「リタ姉ちゃん。騎士さまたち、竜をやっつけるの?」
「……どうして?」
「おれ、竜の声、きらいじゃないんだ。夜に吠えるの、なんか、歌みたいだから」
トマは、少し恥ずかしそうに笑う。
私は、トマの頭を撫でる。
ゲームの回想で、焼けた村の瓦礫の中から、小さな鉄の笛が見つかる場面がある。
鍛冶屋の子どもが、竜の声を真似して吹いていた笛だ。
名前も付いていない、背景の小道具だった。
それが、この子だ。
トマの首には、細い革紐が下がっている。
外套の内側に、何か固いものが隠れている。
「トマ。竜の声、今夜も聞こえたら、笛で返事してあげて」
「え、なんで知ってるの、笛のこと」
「なんとなく」
トマは慌てて外套の胸を押さえた。
それから、内緒だよ、という顔で、小さくうなずいた。
「トマ! 帰るぞ!」
広間の入り口で、鍛冶屋のおじさんが呼んでいる。
煤だらけの大きな手で、騎士たちと握手を交わしてきたところらしい。
トマは蜂蜜のパンを一つ口にくわえて、父親の方へ駆けていった。
戸が開いて、冷たい風が厨房まで流れ込んでくる。
雪の匂いがした。
私は窓の外を見る。
夜の山は、雪明かりで白く浮かんでいる。
三日後まで、待つつもりはない。
騎士団が登るより先に、私が登る。
外套は二枚重ねる。
地下の貯蔵庫には、去年の秋に仕込んだ蜂蜜酒の小瓶が並んでいる。
道は、南の尾根ではなく、炭焼き小屋の脇から入る古い山道を使う。
騎士団の地図には、たぶん載っていない道だ。
今夜だ。




