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自分がシナリオを書いた乙女ゲームに転生したので、台詞を実装し忘れた邪竜に話しかけてみます  作者: ま
第三章 削られた人たち

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第30話 塔の第一王子



「西の塔か」



朝の稽古のあと、カイルは汗を拭きながら、少しだけ黙った。


練兵場の柵の外には、今日も見物の人が並んでいる。

竜は空を告げ終えて、砂の上で日を浴びていた。



「昨日の夜、窓に灯りがついていました。人も立っていました」


「……あれは、第一王子殿下の塔だ」



第一王子。


その言葉を聞いた瞬間、頭の中で、古い紙がめくれる音がした。


本編の資料集に、たった一行だけ残した設定がある。



『第一王子は病弱のため、王位継承権を弟に譲った』。



第二王子のユリウス殿下が、なぜ王太子なのか。

その説明のためだけに、残した一行だった。


本当は、企画の途中まで、王子の兄という人物がいた。

名前も決めて、顔も描いてもらって、設定も書いた。

それから、没になった。


立ち絵はラフのまま止まって、台詞は一つも書かれなかった。

残ったのは、資料集の一行だけだ。



「お体が弱く、西の塔でお暮らしだ。……ということに、なっている」


「なっている」


「王宮の者は、殿下の話をしない。陛下の前では、とくにだ」



カイルは、私の目を見た。



「会いに行くのは、止めない。だが、誰かに聞かれても、俺から聞いたとは言わない方がいい」


「どうしてですか」


「誰も、答えられないからだ」




◇




西の塔は、近くで見ると思ったより古かった。


石の壁は、蔦にびっしりと覆われている。

入口の木の扉は、半分だけ開いていた。

扉の脇に、盆が一つ置かれている。


盆の上には、冷めたスープと、硬そうなパン。

手をつけた跡はない。


塔の入口の前を、侍従が一人、足早に通り過ぎた。

新しい盆を、扉の脇に置く。

古い盆を持ち上げて、上も見ずに去っていく。


声をかける間もなかった。


私は、扉を押して中に入った。

石の階段が、ぐるぐると上へ続いている。

窓が小さくて、中は薄暗い。


上るほどに、息が白くなった。

春なのに、塔の中だけ冬が残っているようだった。


いちばん上に、扉が一つあった。

私は、二度叩いた。



「……どうぞ」



少しかすれた、若い男の人の声だった。




◇




部屋は、本で埋まっていた。


床から天井まで、壁という壁に本が積み上がっている。

窓辺の机の上にも、開いたままの本が何冊も重なっていた。

その窓から、練兵場の竜の背中がよく見えた。


机の前に、男の人が座っていた。


黒い髪が、肩に届くほど伸びている。

痩せていて、顔色が白い。

目は、薄い灰色に青を一滴落としたような色だった。


その顔を、私は知っていた。


前世で、絵の人に描いてもらった顔だ。

没になったあと、ラフのまま箱にしまった顔だ。


男の人は、私を見て、少しだけ目を見開いた。



「君は、竜の娘だな。昨日の夜、窓辺にいた」


「北の守り人の村の、リタです。勝手に上がって、すみません」


「いや」



男の人は、立ち上がろうとして、本の山に膝をぶつけた。

本が三冊、床に崩れた。

拾おうとして、また別の山を崩した。


私は、思わずしゃがんで一緒に拾った。



「ありがとう。……人がここまで上がってきたのは、久しぶりなんだ」


「あの、失礼ですが」


「エドガーだ。この国の、第一王子ということになっている」



エドガー。


企画書の、人物の欄の四番目に書いた名前だった。

王子の兄、エドガー。

二十二歳。


私は、本を抱えたまま、ゆっくり頭を下げた。



「……殿下」


「殿下、か」



エドガー殿下は、少しだけ笑った。

笑い方を思い出しながら笑う、というような笑い方だった。



「そう呼ばれるのも、久しぶりだ」




◇




殿下は、窓辺の椅子を私にすすめて、自分は本の山の上に腰かけた。



「竜を見ていた。来た日から、毎日」


「声も、ここまで届きますか」


「届く。毎朝、明日は晴れ、明後日は雨、と」



殿下は、机の上の帳面を一冊、私の方へ押した。

細い字で、日付と空模様が並んでいる。

来た日の次の朝から、一日も欠けていない。



「書き留めていたんですか」


「することがないからね。それに」



殿下は、少し言いよどんだ。



「朝、窓を開けると、誰かが私に向かって話しているような気がした。そんなはずはないのに」



私は、自分の帳面のことを思った。

同じ声を、同じ朝に、私も書き写していた。



「ご存じなんですか。竜が、百年話せなかったこと」


「侍従たちが、塔の下で話していた。北の竜は百年の呪いが解けて、人の言葉を話す。宿屋の娘が、それを解いた」



殿下は、窓の外を見た。



「この塔の下では、皆、何でも話していく。私がいても、いなくても同じだから」


「同じ、というのは」


「誰も、私に話しかけない。私が話しかけても、誰も答えない」



殿下は、責めるような口ぶりではなかった。

天気の話でもするように、静かに言った。



「最初は、聞こえていないのかと思った。だが、そうではなかった。皆、聞こえている。聞こえないことに、しているんだ」


「……いつから、ですか」


「覚えていない。気がついたら、そうだった」



盆のスープが、冷めていた理由が分かった。

扉の前に置いて、誰も声をかけない。

殿下が気づいたときには、いつも冷めているのだ。


私は、窓の外の竜の背中を見た。


百年、誰に話しかけても、吠え声にしか聞こえなかった竜。

話しても、誰にも聞いてもらえない王子。


どちらも、台詞を入れてもらえなかった。

入れなかったのは、私だ。



「君は、答えてくれるんだな」



殿下が言った。



「当たり前です。話しかけられたら、答えます」


「当たり前か」



殿下は、その言葉を舌の上で転がすように、もう一度言った。



「また、来てくれるか」


「来ます。明日も」



殿下は、何も言わずにうなずいた。

目の端が、少しだけ赤くなっていた。




◇




階段を下りると、塔の入口の前で、さっきの侍従が新しい盆を置いていた。


私は、思いきって声をかけた。



「あの、殿下のお食事は、温かいうちにお部屋まで運んではいけないんですか」



侍従は、きょとんとした顔で私を見た。



「殿下、とおっしゃいますと」


「上の、エドガー殿下です。今、お話ししてきました」



侍従は、困ったように眉を寄せた。

それから、とても丁寧に、頭を下げた。



「お嬢さま。この塔の上には、どなたもいらっしゃいませんよ」



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