第28話 聖女リリア
大広間は、背景の絵よりも少しだけ狭かった。
高い窓が南に六つ。
赤い絨毯が、扉から玉座の前までまっすぐ伸びている。
天井から下がった燭台には、昼なのに火が入っていた。
違うのは、いちばん端の窓だけだ。
庭に面した窓が大きく開け放たれ、そこから金色の目が一つ、広間をのぞき込んでいた。
貴族たちは、誰もその窓の方を見ようとしない。
見ないようにして、全員が見ている。
私は、窓のすぐ脇の柱の陰に立っていた。
借り物の、灰色の地味な服を着せられている。
宿屋の娘には、それでも上等すぎる服だった。
「緊張してるか、嬢ちゃん」
隣で、ロルフさんが小声で言った。
騎士の礼装を着ると、髭が余計に目立つ。
「いいえ。この場面、知ってるので」
「知ってる?」
「……いえ。なんでもないです」
ロルフさんは、片方の眉を上げただけだった。
◇
玉座には、王が座っていた。
灰色の髭の、疲れた目をした人だ。
本編の王には、台詞が四つしかない。
そのうちの一つが、もうすぐ来る。
玉座の右に、第二王子のユリウス殿下が立っている。
金の髪に、青い目。
十八歳の王太子で、本編でいちばん人気のあった攻略対象だ。
立ち絵より、ずっと若く見えた。
玉座の左に、カイルが立っている。
騎士団長の礼装で、背筋をまっすぐに伸ばしていた。
扉が開いた。
白い衣の娘が、一人で入ってきた。
栗色の髪を、肩の上で一つにまとめている。
年は、私と同じくらい。
手を胸の前で組んで、絨毯の真ん中を、まっすぐに歩いてくる。
聖女の立ち絵と、同じ顔だった。
同じ髪、同じ衣、同じ、少し伏せた目。
広間じゅうが、息をひそめた。
聖女は玉座の前で足を止め、膝を折った。
「南の神殿より来たる聖女よ。名を」
王が言った。
四つのうちの、一つ目の台詞だ。
「リリアと申します。光の導きにより、陛下の御前に参りました」
一字一句、私が書いたとおりだった。
ユリウス殿下が進み出て、リリアの手を取った。
「ようこそ、王都へ。君の光が、この国の春になる」
「もったいないお言葉です、殿下」
これも、書いたとおりだ。
企画会議で「春になる、は寒い」と言われて、三日悩んで残した台詞だった。
次は、騎士団長の番だ。
カイルが、リリアの前に進み出て、片膝をついた。
「騎士団長、カイル・ヴァレン。聖女の御身は、我が剣がお守りする」
そこで、カイルは口を閉じた。
本編では、この台詞には続きがある。
『一度は、北の村を守れなかった剣だが』。
けれど、北の村は焼けなかった。
カイルには、その続きを言う理由がない。
リリアが、ふわりと微笑んだ。
「守れなかったものの分まで、どうか、ご自分を責めないでください」
広間が、少しだけざわついた。
カイルが、顔を上げた。
灰色の目が、わずかに見開かれている。
何を守れなかったのか、カイルは言っていない。
リリアは、何も気づかない顔で微笑んでいた。
それは、本編でリリアが返す台詞だった。
カイルが言わなかった続きへの、返事だった。
◇
お披露目のあと、庭に出られる時間があった。
貴族たちは、聖女のまわりに輪を作った。
けれど竜のいる窓の側には、誰も来ない。
私は、窓の下の花壇の脇で、竜の鼻先に寄りかかっていた。
礼装のままのカイルが、輪を抜けてこちらへ来た。
竜に軽く頭を下げてから、私の隣に立つ。
「聞いていたか」
「はい」
「俺は、北の村のことを言っていない」
「……はい」
「なのに聖女は、守れなかったものの分まで、と言った」
カイルは、輪の真ん中の白い衣を見ていた。
「俺が北で何を考えていたか、知っている者は少ない。父のことも、あの冬のことも」
「神殿で、噂を聞いたのかもしれません」
「南の神殿に、騎士団の噂は届かん」
カイルは、それ以上言わなかった。
灰色の目が、今度は私を見た。
村を発つ朝に、お前は何者だ、と聞いたときと同じ目だった。
私は、花壇の花を数えるふりをした。
本当のことを言えば、カイルは信じるかもしれない。
信じたら、あの続きの台詞も、私が書いたと知ることになる。
ロルフさんが、輪の向こうからカイルを呼んだ。
カイルは小さく息をついて、戻っていった。
輪がほどけて、白い衣がこちらへ歩いてきた。
リリアだった。
侍女が二人、慌てて追いかけてくる。
リリアは、私の前で止まって、にっこり笑った。
「これから、よろしくお願いしますね」
本編で、聖女付きの侍女に最初に言う台詞だ。
「あの、聖女様。北の村の、リタです。私、侍女じゃなくて」
「わたし、王都は初めてなんです。迷子にならないように、気をつけますね」
これも、台詞だ。
侍女に、王宮の廊下を案内されるときの。
「神殿では、どんな暮らしをしていたんですか」
リリアは、少しだけ首を傾げた。
「神殿の朝は早いんです。鐘より先に起きて、祭壇の花を替えるの」
王子との最初のイベントで、思い出話として言う台詞だった。
私は、竜の方を見た。
「この竜は、怖くないですか」
リリアは、微笑んだまま黙った。
一秒。
二秒。
侍女たちが、困ったように顔を見合わせる。
本編には、竜を見た聖女の台詞はない。
回想の中で、竜はとうに討たれているからだ。
「……光の導きのままに」
ようやく、リリアは言った。
困ったときに、どの場面でも使える台詞だった。
私が、書いた。
そのとき、竜が首を少しだけ下ろした。
「娘。お前の名は、何という」
大広間の窓から、聞いていたはずの名前だった。
竜は、わざと聞いたのだ。
リリアの目が、竜の金色の目を見上げた。
ほんの一瞬だった。
笑顔の奥で、何かが動いた。
怖がっているのとも、驚いているのとも違う。
何かを言いかけて、のみ込んだような。
「リリアと申します。光の導きにより」
侍女が、聖女様、と袖を引いた。
リリアは、もう一度にっこり笑って、輪の方へ戻っていった。
白い衣の背中が、遠ざかっていく。
竜が、低く言った。
「あの娘は、自分の声で話していない」
「……ええ」
「誰の言葉だ」
答えは、分かっていた。
あれは、全部、私の言葉だ。




