↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自分がシナリオを書いた乙女ゲームに転生したので、台詞を実装し忘れた邪竜に話しかけてみます  作者: ま
第一章 百年、誰も答えなかった問い

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/32

第2話 白樺亭の娘



「リタ姉ちゃん、薪、こっちに置けばいい?」


「うん。濡れないように、軒の下にね」



トマが両腕いっぱいに薪を抱えて、裏庭をよたよた歩いていく。

雪はまだ降り続いていて、トマの茶色い頭がだんだん白くなる。


トマは八歳。

村の鍛冶屋の末っ子で、宿が忙しい日には手伝いに来てくれる。

お駄賃は、厨房で焼いた蜂蜜の小さなパンだ。



「初雪だね」


「そうだね」


「おれ、雪、好き。鉄みたいな匂いがするから」



鍛冶屋の子らしいことを言って、トマは得意そうに鼻をこすった。

私は笑って、トマの頭の雪を払ってやる。


この子の名前も、私は書いていない。

この村の人は、ほとんど全員そうだ。


ゲームの中のハルデ村には、名前のある人が一人もいなかった。

焼けるための村だったからだ。




◇




白樺亭は、ハルデ村でたった一軒の宿屋だ。


広場に面した二階建てで、一階に広間と厨房、二階に客室が六つある。

入り口には、白樺の板に木の葉の焼き印を押した看板が下がっている。

曾祖母がこの宿を開いたときからある、古い看板だそうだ。


冬のあいだの客は、南の町から来る行商人と、山向こうの砦へ向かう兵士くらい。

夜になると、村の男たちが広間の暖炉の前に集まって、薄い麦酒を飲む。

宿屋というより、村の居間みたいな場所だ。


父さんは、この宿の主人だ。

口数が少なくて、一日に十言もしゃべらない日がある。

その代わり、よく人を見ている。

客の顔色を見て、黙って温かいスープを一杯多く出すような人だ。


母さんは、この宿のおかみだ。

口数が多くて、心配性で、一日に百回は私の名前を呼ぶ。

怒るときも笑うときも声が大きいので、村じゅうに筒抜けだ。


夕方、隣の家のハンナおばあさんが、いつものように勝手口から入ってきた。

雪を払いながら、厨房の椅子に腰を下ろす。



「今年は早いのう。山がもう真っ白じゃ」


「おばあさん、スープ飲む?」


「もらおうかの。リタは、ええ子じゃ」



おばあさんは村でいちばんの年寄りで、竜の昔話をたくさん知っている。

けれど、村の人はあまり本気で聞かない。

竜が話をしたなんて、子どもを寝かしつけるための作り話だと思っているからだ。


私は知っている。

あれは作り話ではない。

少なくとも、私が書いた設定の中では。


おばあさんはスープをすすりながら、窓の外の山に目をやった。



「リタは、今夜も山を見るのかい」


「うん。たぶん」


「そうかい。あんたのひいばあさんも、よう見とったよ。この窓から、毎晩な」


「ひいおばあちゃんが?」


「わしがまだ娘っこのころじゃ。何を見とるのか聞いたら、笑うて、内緒じゃと言うとった」



おばあさんは懐かしそうに目を細めて、それ以上は話さなかった。

曾祖母は、私が生まれるずっと前に亡くなっている。

顔も知らない。


同じ窓から、同じ山を見ていた人がいた。

そんなこと、十年も見ていたのに、今日まで知らなかった。




◇




夜になって、広間の客が帰ると、私は厨房の窓辺に座った。


雪は止んでいた。

雲の切れ間から星がのぞいて、北の山が白く浮かび上がっている。


記憶が戻った六歳の冬から、毎晩こうしている。

母さんは最初、怖い夢を見るのかと心配した。


父さんは何も言わずに、窓辺に古い毛布を一枚置いてくれた。

その毛布は、今も私の膝の上にある。


山の上から、低い音が降ってきた。


竜の吠え声だ。


村の人たちは、もう慣れっこで気にもしない。

冬の夜、竜はときどきこうして吠える。

百年前から、ずっとそうだ。


私は、目を閉じて耳を澄ませる。


古竜語には、決まった区切りがある。

四拍、休み、三拍、休み。

私が資料集のために作った、竜の言葉の文法だ。


けれど、この窓まで届く吠え声は、山にこだまして崩れている。

区切りが重なって、ただの長い唸りになる。

十年、毎晩数えようとして、一度も数えきれたことがない。


近くで聞けば、きっと分かる。

そう思いながら、私は一度も山に登らなかった。


登れなかった、と言う方が正しい。


六歳の子どもが雪の山に入れば、それだけで死ぬ。

大きくなってからは、別のことが怖くなった。


隠しルートに入れるのは、本編をすべて終えたヒロインだけだ。

南の神殿で目覚める聖女で、王子や騎士たちと絆を結んで、世界を救った人。

竜は、その人の言葉だから耳を傾けた。

私がそう書いた。


宿屋の娘が岩棚に登って、台詞を言ったらどうなるだろう。

竜は聞いてくれるだろうか。

それとも、ただの吠え声と一緒に、私を雪の上に払い落とすだろうか。


だから、別の道を考えた。


回想の中で、竜は自分から山を下りたのではない。

騎士団が先に巣を攻めた。

眠っていた竜は、槍で起こされて怒り、麓の村を焼いた。


だったら、騎士団を止めればいい。


騎士団長のことなら、竜の次によく知っている。

好きな食べ物も、嫌いな言葉も、誰にも話していない父親のことも。


十年、何を言えば彼が槍を下ろすか、考えてきた。

台詞を考えるのは、前世からの仕事だ。


山の上で、もう一度、竜が吠えた。

短い吠え声だった。

誰かに声をかけるような。



「おやすみ」



小さな声で、私は窓に向かって言った。

誰にも聞こえないくらいの声で。

十年、毎晩そうしている。




◇




翌朝は、よく晴れた。


村じゅうの屋根が白くて、広場の雪に朝日が跳ね返って目が痛い。

私は寝不足の目をこすりながら、宿の前の雪かきをした。


母さんは、二階の客室を全部開けて、寝台に乾いた藁を詰め直している。

父さんは裏の馬小屋の扉を、黙って直している。

昨日の噂を、二人とも半分は信じているらしい。


昼が近づくにつれて、私は何度も南の街道を振り返った。

雪をかぶった二本の杉の向こうに、道が白く延びている。


まだ、何も見えない。


回想の一行は、私が書いた。

けれど、書いたことが本当に起きるところを、この目で見たことは一度もない。


もしかしたら、来ないかもしれない。

私が十年、何か思い違いをしていただけかもしれない。


そう思いかけたとき、広場の向こうから、トマが雪を蹴立てて走ってきた。

顔が真っ赤だ。

口から白い息が、煙みたいに上がっている。



「リタ姉ちゃん! 来た!」


「……何が」


「騎士さま! いっぱい! 街道に、馬がずうっと並んでる!」



私は、雪かきの板を握りしめた。


遠くから、蹄の音が聞こえてくる。

雪を踏む、重い音。

一つや二つではない。


南の街道の、二本杉の向こうに、銀色の光がちらりと見えた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。