第18話 代官ヘルマン
「こ、こちらが、南の町の代官所の、ヘルマンさまで」
村長が、帽子を握りしめたまま、私たちに言った。
声が裏返っていた。
代官は、五十を少し過ぎたくらいの、痩せた男だった。
顔色が青白く、口ひげを細く整えている。
手袋を脱ぐと、指に大きな銀の指輪が三つはまっていた。
「宿の主人は、どなたですかな」
父さんが、一歩前に出た。
「結構。いちばん良い部屋を。それから、従者と御者の部屋も」
「あいにく、今夜は満室で」
父さんが言うと、代官は、初めて父さんの顔を見た。
それから、薄く笑った。
「満室。結構なことですな。では、空けていただきましょう」
その晩、二階のいちばん奥の部屋に泊まっていた吟遊詩人は、竪琴を抱えて馬小屋へ移った。
文句一つ言わなかった。
言っても無駄だと、知っている顔だった。
◇
夕飯のあと、代官は広間の暖炉の前に、村長と、父さんと母さんと、私を呼んだ。
代官は、いちばん上等な椅子に腰かけて、母さんの煮込みを半分残していた。
葡萄酒の杯を、銀の指輪の指でゆっくりと回している。
「さて。竜の話は、南の町まで届いておりますよ。百年ぶりに、竜の守り人が戻った、と」
「は、はあ」
村長が、頭を下げた。
「実に結構。この領地にとって、またとない宝です」
代官は、杯を卓に置いた。
「そこで、代官所として、いくつか決めたことがある」
代官は、細い指を一本立てた。
「一つ。竜は、この領地のものです。竜を見に来る者からは、見物料を取る。炭焼き小屋のあの岩の周りに柵を巡らせ、代官所の者を置く」
二本目の指が立った。
「二つ。竜の恩恵で稼いでいる者からは、竜の税を取る。たとえば、この宿」
母さんの肩が、ぴくりと動いた。
代官は、入口の方へ顎をしゃくった。
「表の板。あれも、勝手に立ててもらっては困る。竜の見立ては、代官所が預かって、代官所が知らせる」
三本目の指が立った。
「三つ。竜は、王都へ献上する。いや、竜そのものを運ぶわけにはいかんから、竜を従えた北の領地として、王都に名を上げる。北の竜を、王国の盾とするのです。隣の国も、竜のいる国に手は出せんでしょう」
私は、思わず口を開いていた。
「竜は、誰のものでもありません」
広間が、しんとした。
村長が、真っ青な顔で私を振り返った。
代官は、ゆっくりと私の方を見た。
初めて、虫でも見つけたような目だった。
「宿屋の娘が、代官に意見ですかな」
「竜は、見世物でも、兵器でもありません。この村に、雪と嵐を教えてくれているだけです」
「だから、宝だと申し上げている」
代官は、薄く笑った。
「娘さん。あなたが竜と話せるという噂も、聞いております。結構。あなたには、竜の通訳として、代官所に仕えていただく。悪い話ではないでしょう。宿屋の娘には、身に余る名誉だ」
父さんが、私の横に立った。
何も言わなかった。
ただ、私の肩に、大きな手を置いた。
「十日後に、領主さまがお見えになる」
代官は、杯を取り上げて言った。
「私がお招きした。竜を従えた北の村を、ぜひご覧に入れたいとね。その日までに、竜には、領主さまの前で頭を下げる練習をしておいてもらう。娘さん、あなたが教えるのです」
「竜は、頭を下げません」
「下げさせるのですよ」
代官は、葡萄酒を一口飲んだ。
「下げぬなら、私は王都へこう書くだけです。北の竜は、人の言うことを聞かぬ危険な獣である、と。今度こそ、騎士団は槍を下ろさんでしょうな」
母さんが、前掛けを握りしめていた。
指が白くなるほど、強く。
村長が、震える声で口を挟んだ。
「お、お代官さま。ですが、村の者は、ただでさえ年貢で手一杯で。この上、竜の税までは」
「年貢で手一杯」
代官は、鼻で笑った。
「北の村々は、この十二年、ろくに年貢も納められぬ貧しい村ではありませんか。毎年、領主さまに頭を下げて、減らしていただいているのは誰だとお思いか。竜で稼げるなら、ありがたく思いなさい」
村長が、ぽかんと口を開けた。
「減らして、いただいて……? いえ、年貢は、毎年きちんと」
「話は、以上です」
代官は、村長の言葉を遮って立ち上がった。
銀の指輪が、暖炉の火を受けて光った。
「明日の朝、竜の顔を拝見しましょう。娘さん、案内を頼みますよ」
代官が二階へ上がっていくと、広間に残った誰も、しばらく口をきかなかった。
最初に声を出したのは、母さんだった。
「……何が、身に余る名誉だよ」
低い声だった。
母さんの声がこんなに低いのを、私は初めて聞いた。
「うちの娘を、代官所の通訳に。竜に頭を下げさせる係に。冗談じゃない」
「声が大きい」
父さんが言った。
母さんは、ぎゅっと唇を結んだ。
村長は、帽子を胸に抱えたまま、ぼんやりと暖炉の燃えさしを見ていた。
「減らしていただいている、と言われた」
独り言のようだった。
「年貢は、毎年、秋に代官所のお役人さまがここへ泊まって、受け取っていきなさる。減らしてもらったことなど、わしが村長になってから一度もない。凶作の年だって、村じゅうで切り詰めて、きちんと」
「受け取りは、毎年、うちの帳簿に書いてもらってる」
父さんが、ぽつりと言った。
村長が、顔を上げた。
「お役人の判も、押してもらってる。じいさんの代からの決まりだ」
私は、帳場の棚に並んだ、古い帳簿の背表紙を思い出していた。
あの代官は、私の書いた物語のどこにもいない。
ゲームの中のハルデ村は、この冬に焼けて終わったから。
焼けなかった村の続きには、私の知らない人が、私の知らない顔で立っている。
◇
その夜、私は厨房の窓を開けた。
吹きこむ風が、冷たい。
広間の暖炉の火は、もう落ちている。
二階の奥の部屋だけ、まだ灯りがついていた。
「ヴェルグ」
小さな声で呼ぶと、尾根の上で、雪がさらりと鳴った。
「聞こえていた」
低い声だった。
いつもより、さらに低い。
「あの男の馬車は、知っている。金色の紋章の、四頭立てだろう」
「見たことが、あるんですか」
「毎年の秋に見る。北の村々の荷馬車が、峠を越えて南の町へ下りていく。何日かすると、南の町から、さらに南へ荷馬車の列が出ていく。その列の先を、あの馬車が走っていく」
私は、窓枠を握った。
「荷馬車の列って」
「北の村々の年貢だ。私は、百年、毎年数えてきた」
竜は、少し黙った。
「リタ。明日の朝、あの男を大岩の前へ連れてこい」
「……どうするんですか」
「頭を下げる練習なら、せん」
尾根の上で、大きな影が身じろぎする気配がした。
「私も、あの男に聞きたいことがある」




