別れの朝
壱岐脱出。
そして、資時の最期。
今回は覚悟して読んでいただければと思います。
夜明け前。
砦の中は、奇妙なほど静かだった。
誰もが眠っていない。
眠れるはずもない。
残る者。
去る者。
それぞれが、自分の選んだ最期と向き合っていた。
ステフは、隠し通路の入口に立っていた。
岩の裂け目のような暗い穴。
その奥は、海へと続く唯一の逃げ道。
振り返る。
そこに、資時がいた。
鎧は整えられ、香の匂いがほのかに漂う。
白い顔立ちに、静かな覚悟が宿っている。
色白で端正なその顔は、まだ若い。
十代の少年と呼んでもおかしくない。
だが、その目は――すでに死を見据えていた。
「……行くね」
ステフの声は、かすかに震えていた。
資時は、ゆっくりとうなずく。
「ああ」
短い返事。
それだけで、すべてが決まる。
ステフは一歩踏み出す。
だが、足が止まる。
どうしても、視線を切れない。
(……嫌だ)
胸の奥で、叫びが渦巻く。
(置いていきたくない)
けれど――
資時は静かに、脇差を差し出した。
「これを」
「……なんで」
分かっているのに、聞かずにはいられない。
「持っていけ」
短い言葉。
それが“別れ”だと、嫌でも理解してしまう。
「……ばか」
涙がこぼれる。
止まらない。
それでも、受け取る。
両手で、しっかりと。
重い。
その重さが、資時そのもののように感じられた。
「行け」
資時の声。
それは優しくて、残酷だった。
ステフは歯を食いしばり、背を向ける。
もう振り返らない。
振り返れば、動けなくなる。
闇の中へ、足を踏み入れる。
外では、戦が始まっていた。
元軍の総攻撃。
砦へ押し寄せる無数の兵。
資時は先頭に立つ。
「来い!」
叫び、斬る。
刀が閃く。
血が飛ぶ。
矢が飛来し、鎧に当たり、肉を裂く。
毒はすでに回り始めていた。
視界が揺れる。
息が重い。
だが――
(まだだ)
踏みとどまる。
時間を稼ぐ。
それが、自分の役目。
通路の奥。
ステフは走る。
暗闇の中、ただ前へ。
後ろから戦の音が響く。
金属のぶつかる音。
叫び。
そして――
誰かが倒れる音。
(やめてくれ……)
耳を塞ぎたくなる。
だが、止まれない。
止まった瞬間、すべてが終わる。
それでも。
足が止まる。
振り返る。
ほんの一瞬だけ。
出口の向こう。
朝の光の中に――
資時が見えた。
矢を受けている。
一つ。
二つ。
三つ。
それでも、立っている。
そして。
こちらを見た。
目が合う。
その瞬間。
資時は――笑った。
あの、優しい笑顔で。
まるで、「行け」と言うように。
次の瞬間。
膝が崩れ、身体が倒れる。
「……っ!!」
声にならない叫び。
だが、足は動く。
走る。
走る。
涙が止まらない。
海岸。
小舟が並ぶ。
島民たちが慌ただしく乗り込む。
資能、経資の姿もある。
「早く!」
声に押され、ステフは船に飛び乗る。
櫂が水を切る。
船が離れる。
壱岐が、遠ざかっていく。
煙が上がる。
あの砦の方向。
(……終わった)
否。
終わっていない。
ここからだ。
船の上。
揺れる甲板に座り込み、ステフは動けなくなっていた。
手の中には、脇差。
資時のもの。
それを見つめる。
そして――
記憶が、溢れる。
最初に出会った時。
異人だと警戒され、銃に手をかけた自分。
それでも、剣を向けずに言葉を選んだ資時。
あの、優しい目。
蒙古に捕まっていた異人の前で、とっさに嘘をついたやり取り。
「西の果ての国だ」と言ったとき、少しだけ不思議そうにしながらも受け入れた顔。
ぎこちない笑い。
浜で並んで座った夜。
怖いと、初めて弱音を漏らしたあの時間。
抱きしめたときの体温。
震えていた手。
それでも、逃げないと言った声。
戦の中で見せた背中。
誰よりも前に立つ姿。
そして――
最後の笑顔。
「……っ……」
喉が詰まる。
息がうまくできない。
涙が溢れ続ける。
「なんで……」
かすれた声が漏れる。
「なんで、あんな顔で……」
笑えるんだよ。
死ぬって分かってて。
それでも。
あんなに優しく。
あんなに――
「……ばかだよ」
震える声。
だが、次の瞬間。
握る手に力が入る。
脇差を、強く握る。
涙を拭う。
(……決めた)
顔を上げる。
目は赤い。
だが、もう揺れていない。
「絶対に」
低く、はっきりと。
「討つ」
蒙古を。
あの軍勢を。
資時を殺したすべてを。
そして――
(見せてやる)
資時が託した言葉。
鎌倉武士の強さ。
そして。
アメリカ兵としての自分の戦い。
そのすべてを。
船は、博多へ向かう。
新たな戦場へ。
復讐へ。
そして――
約束を果たすために。
資時を書きながら、自分でもかなり感情移入していました。
壱岐で過ごした数日間は短い。
でも、ステフにとっては人生を変える時間だったのだと思います。




